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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第12章 2幕

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第十二章 あの時

前にここを訪れてから、まだ一年も経っていない。


それでも、頬をかすめる風の匂いは、あの日の記憶とはどこか違って感じられた。


「久しぶりだな、隊長」


声をかけてきたのは、兎獣人のウィードだった。再編成の折、第二軍副隊長だった彼は南の砦へと回されている。互いに任務続きで顔を合わせる機会もなく、こうして言葉を交わすのはアスランとの野営戦以来だった。


「……見ないうちに、少し背が縮んだか?」


軽口として放った言葉に、ウィードは即座に顔をしかめた。


「はったおすぞ。……冗談にしても雑すぎるだろ」


一拍置いてから、今度はじっとこちらの顔を覗き込んでくる。


「――それより顔、酷いな。表情も死んでる」

「……そう見えるか」

「見えるな」


取り繕う気もない即答だった。それ以上は踏み込むことはせず、ウィードは短く息を吐く。


「……行くか」


踵を返す兎獣人の背を追い、シュアンランは南の砦へと足を踏み入れた。冷えた石造りの階段を上り、通路の奥にある唯一の応接間へ向かう。


薄い絨毯の上に据えられた長机が一つ。

その両側に、簡素な長椅子が二脚。


春先――南からの使者を迎え入れたのは、この部屋だった。


シュアンランは壁際に立ち、静かに室内を見回した。

装飾のない無機質な空間。壁に背を預ければ、石の冷たさが衣越しに伝わってくる。


あの時。


腹の底を探り合うような言葉の応酬を交わしていた自分たちを、あいつは――ここから、黙って見つめていた。


『……あいつ、僕のことを探ってた』


耳元で聞こえたのは、いつかのフーリェンの声だった。


『何かあったら俺が守る』


そう言ったのは、自分だったはずなのに。


「近隣住民への聞き込みはアドルフが向かっている。隊長は俺と一緒に交易関係の記録の洗い出しだ」


思考の底へと沈みかけた意識を浮上させたのはウィードの声だった。


「了解。後で俺もオルカ側の国境付近を調べてこようと思う。確か……小さな村があったよな」

「……敢えて触れなかったが」


ウィードは一拍置き、困ったように視線を泳がせた。


「その顔で行かない方がいいと思うぞ。速攻で衛兵に通報される。……右目、見えてるのか?」


神妙な面持ちで、自分の右目を指さしながら問いかけてきた彼の様子に、シュアンランは思わず小さく笑った。


「安心しろ。ちゃんと見えてる。なんの支障もねーよ」

「それならいいが……」


わずかに肩をすくめてから、彼は続ける。


「フーリェンが帰ってきたら、驚くだろうな。自分のことより、仲間の心配が勝る子だ」

「……そうだな。なんか、いい感じの言い分け考えとかなきゃな」

「その前に泣き出すに一票入れておく」


冗談めかした声に、ケロイド状になった右目の周りを確かめるように触れていた狼の耳が、ぴくりと揺れた。


「……なんか、やけにフーの解像度高いなお前」

「新兵時代は同室だったからな。隊長たちほどではないが、それでもあの子の性格は理解しているつもりだ」

「ああ……そう言えば、そうだったな」


言葉を返しながら、シュアンランは差し出された記録簿を受け取り、表紙を捲った。


乾いた紙の音が静かな部屋に響く。ぱらぱらと頁を繰り、不備や不審点がないかを洗い出していく。


机の上に平積みされたその量を見るに、すべてに目を通す頃には夜が明けているだろう。


だが、構わない。虱潰しに記録を当たる作業など、もう慣れた。数か月前の“あの騒動”の際に読み漁った量を思い返せば、目の前の紙の束など無いに等しい。


シュアンランはひとつ息を整えた。伏せていた視線を再び記録簿へと落とす。


感情を沈めるには、手を動かすしかない。紙の上に並ぶ文字をひとつずつ拾い上げていく。


夜が明けるまでに、できることはすべてやる。

それだけが、今の自分にできることだった。

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