第十章 望み
新兵たちの証言と、現場の状況を手早く整理したフーリェンは、重く沈んだ空気の中で報告書をまとめ上げた。手早く一羽の伝令鳥を放つと、羽ばたく鳥は冬の空を切り裂き、情報を迅速に伝えるために王宮へと飛んでいく。
王宮ではすでに第一軍を動かすことが決まっている。だが、戦況の変化にすぐ対応できるよう、援軍を急派できる体制を整える必要があった。
一方で、シュアンランとジンリェンは防衛についての話を進めていた。
「援軍到着までの時間……どんなに早くても、あと数時間はこの人数で持ちこたえなければならない」
二人は表情を曇らせながらも、冷静に戦況を分析していく。
直属護衛が三人揃っているとはいえ、状況が厳しいことに変わりはない。敵の猛攻が今のところないのは、むしろ奇跡に近い。だがそれは、いつ襲撃が始まってもおかしくない緊迫した均衡の証でもあった。
そんな中、ライヤンが静かに口を開く。
「もうひとつの駐屯地について、可能性があります」
彼の言葉に、場の空気が一瞬引き締まる。
「リヴェラとの国境沿いに、もうひとつの西の拠点があるでしょう。西の砦の兵士のうち、約二十名の死体は見つかっていません。つまり…」
シュアンランが眉をひそめる。
「そっちに行っていて、生き残っている可能性があると?」
ライヤンは頷く。
「はい。異変に気づき、こちらに向かっているかもしれません」
フーリェンは雪を踏みしめながら遠くを見つめ、その視線の奥に、ある猪獣人の顔が浮かんだ。
数か月前に西の駐屯地へと異動になった男。屈強な体躯に似合う、勢いのある男。この砦には、ダズールの死体は見つかっていなかった。
「……ダズールたちか」
フーリェンは呟くようにそう言い、拳を軽く握りしめた。
西の駐屯地から王宮へは、まだ伝令が届いていなかった。そのため、砦と同じように敵に襲われ、壊滅している可能性も否定できない。だが、生き残っているのであれば、大きな戦力になる。わずかな望みにも賭けるしかないと三人は判断した。
「じゃあ、作戦をまとめるぞ」
ジンリェンが手を叩き、これからの動きを整理する。
「フーは、新兵をまとめつつ、何かあった時は援護と全体指揮を頼む。シュアン、お前は俺と前線で防衛だ」
ジンリェンの指示に、フーリェンとシュアンランは無言で頷く。
「ライヤンは駐屯地に飛んで、援軍を連れてきてくれ。潰されてる可能性もある。その時はすぐに戻ってこい」
「分かりました」
ライヤンがしっかりと頷き、一度大きく伸びをする。度重なる長距離転移による反動はまだ抜けきってはいないが、自分一人だけであれば、転移は可能。静かに虚空に向かって手をかざし、空間を裂くように手を動かした--
その時だった。
フーリェンの目の前の土が、不自然にぐにゃりと歪み形を変え始める。まるで生きているかのように、地面から何かが這い出してきた。そこから現れたのは、フーリェンと全く同じ姿をした何かだった。
驚愕の沈黙が辺りを包み込む中、フーリェンのすぐ目の前に迫るそれに、何も言わずジンリェンが割り込んだ。彼の手から炎がほとばしり、容赦なくその“影”を焼き尽くしていく。
燃え盛る炎の間に、フーリェンは体勢を立て直し、素早く戦闘態勢に入った。その場にいた全員が、今まさに襲撃が始まったことを鋭く察知した。
「言ってるそばから来たか……!」
敵はすぐそこに。
今、フェルディナの有する三人の直属護衛たちの防衛戦が、幕を開けたのだった。