第十章 見えない敵
簡素に築かれた即席本部の中、四人は新兵たちから状況を聞き取り、現場の痕跡を詳しく調べていた。
「敵の襲撃は一瞬で……」と、ひとりの新兵が声を震わせる。
「気づいたときには、もう砦の中に入られていました」
ジンリェンが頷きながら、砦周辺の地面を注意深く観察する。そこには数本の足跡が薄く刻まれているものの、明確な群れの動きとしては不自然なばらつきがあった。
「にしても変だよな」
シュアンランが眉をひそめ、冷静に言葉を紡ぐ。
「一度敵が撤退したにしては痕跡が少なすぎる。装備の破片や血痕ひとつ、残っていないとかあるか?」
「それに……」とフーリェンが言葉を続けた。
「砦の周囲には足跡はあるけど、どこから来たのか全く分からない。…というか、砦周辺にしか足跡がないのもおかしい」
三人の視線が再び周囲の雪と土の混ざった地面に向けられる。
「ライヤンのような転移能力を持つ者が関与している可能性もあるな。敵が痕跡を残さず一瞬で移動するとなれば、なおさらさ」
その言葉にライヤンも頷きながら付け加えた。
「それに、砦だけでなく周辺の村が二箇所、同時に潰されています。これは一個軍隊の仕業とは思えません…」
「強化兵の存在を考えれば、複数人の強化兵が同時に進軍し、異なる目標を同時攻略していると考えるのが妥当だろ」
四人は互いに視線を交わしながら、現場の異常さと敵の戦力の規模に改めて緊張を強めた。その時、三人の会話を黙って聞いていた新兵の一人が、ためらいがちに口を開いた。
「……あの、俺、ひとつだけ……」
フーリェンが視線を向けると、新兵は拳を握りしめたまま続けた。
「突如現れた敵は……見た目は、普通の兵士そのものでした。けど……切っても、倒れたはずなのに、立ち上がって……また襲いかかってきたんです」
ジンリェンの狐耳がわずかに動き、シュアンランも眉を寄せた。
「立ち上がった?」
「はい……。自分は先輩兵士に守られて砦を脱出したんですが……あの感触……獣人でも、人間でもない……そんな気がしました」
新兵の声はわずかに震えていたが、その眼には確かな恐怖が宿っていた。フーリェンは短く息を吐き、他の新兵たちに視線を走らせる。彼らも同じことを思い出したように小さく頷いている。
「……王宮に知らせるために、砦を脱出した俺たちは、敵の特徴は覚えてます。でも……規模までは……分かりません」
その言葉が、空気をさらに重くした。雪の静けさの中、焚き火のはぜる音だけがやけに大きく響く。ジンリェンは崩れかけた砦の壁越しに、遠くの雪原を見つめた。
「……強化兵に、砦を潰せるほどの能力もちが混じっている可能性が高いな」
その声音には、確信に近い重さがあった。
フーリェンも静かに頷く。
「断片的な情報と仮定だけど……きつい戦況であることに変わりはないね」
彼の視線は即席の本部の地図に落とされ、すでに失われた拠点と周辺の村の位置が赤く印されていた。
地図を覗き込んだシュアンランが、眉間に皺を寄せる。
「それに、砦や村を落としたあと、進軍しているって報告はない。となると――国に戻ったか、近くに潜伏しているかのどちらかだ」
ジンリェンは黙って雪原を見据え、わずかに目を細めた。
「その意図が読めない。王国そのものを潰すための先手なのか……それとも、別の狙いがあるのか」
吐く息が白く広がり、すぐに冷たい空気に溶ける。
戦場に残るのは、血の鉄臭さと、足跡を覆い隠す雪の舞う音だけだった。その沈黙が、逆に迫る脅威の存在を際立たせていた。