第十章 冬の静寂に響く戦鼓3
転移が終わると同時に、ライヤンは大理石の床に膝をついた。背に抱えていた三人の子どもたちが驚いて身を縮めるが、周囲にいた侍女たちがすぐに駆け寄り、彼らを保護するように連れていった。
ライヤンは額の汗を拭いもせず、そのまま立ち上がる。疲弊していたが、まだ倒れるわけにはいかない。
扉を開けた瞬間、重苦しい空気が全身を包み込んだ。
部屋の中央、地図と報告書が並ぶ卓を囲んでいたのは、アルフォンスをはじめとする四人の王子たち。
ライヤンは一礼ののち、すぐに口を開いた。
「報告します。西の砦は、ほぼ壊滅。生き残ったのは、新兵八名と、民間の子ども三名のみでした」
一瞬、空気が凍るように静まり返る。
「敵の数と規模は?」
低く問うたのはセオドアだった。ライヤンは頷き、慎重に言葉を選ぶ。
「詳細は不明ですが、残された痕跡から見て、少なくとも百名規模かと思われます。詳細についてはフーリェンが新兵たちから聞き取りを行い、鳥を飛ばす手筈になっています」
その言葉に、ユリウスの口元が一瞬だけ吊り上がる。しかし言葉は出さず、冷めた瞳でただ机上の地図を見つめたまま。ルカが表情を曇らせ、声を発する。
「子どもたちは……?」
「無事です。砦から離れた丘の麓で、新兵たちに保護されていました。ただ……子どもを守るため、新兵たちはその場から動けなくなっていたようでして」
ライヤンは目を伏せるようにして一拍置くと、続けた。
「現場の指揮は、フーリェンが引き継いでいます。彼は新兵たちとともに砦に残り、拠点を構築すると」
室内に再び、重たい沈黙が降りた。
アルフォンスはゆっくりと報告書を伏せ、卓を叩く。
「……あいつらしい判断だな。状況を受けて即座に残留を選び、戦力の再編を担うか」
ユリウスがやや身を乗り出し、口を開く。
「となると、問題は……どれだけ早く、援軍を送れるかですね。相手がアドラだと仮定するなら、悠長に構えている暇はないと思います」
重たい沈黙の中、アルフォンスが地図に指を滑らせながら、低く告げた。
「……第一軍を出す」
その一言に、室内の空気が凍りつく。
第一軍――4つある王国軍の中でも歴戦の古参兵、そして一部の強力な能力者たちが集うその軍は、滅多なことでは動かされない。それを出すというのは、すなわち「非常事態」であり、「王国の威信」を揺るがす事象が起きたということに他ならなかった。
「西の砦は落ちた。中堅とベテランを中心とした守備隊が、一報もなく制圧された。敵はただの盗賊や傭兵ではない。戦力、統率、戦術……全てにおいて軍規模だ。いや、軍以上の“手練れ”だ」
アルフォンスはそう断じると、転移の余力を確認するようにライヤンに視線を向けた。その視線に、ライヤンが一歩前へ出る。
「……あと一度が限界です。長距離転移で運べるのは、せいぜい二人、多くて三人まで」
ライヤンの答えに、アルフォンスはわずかに眉を動かすと、すぐに決断を下す。
「ジンリェンとシュアンランを先行させる。フーリェンと合流させ、三人で砦の拠点を維持。援軍が到着するまでの時間を稼いでもらう」
「三人で持ちこたえろというのか?」
セオドアの問いに、アルフォンスは頷いた。
「第一軍の展開にはどうしても時間がかかる。それまでの数時間、誰かが西を守らねばならん」
ジンリェンの殲滅能力、シュアンランの広範囲制圧。そして、陽動・支援・潜伏を担えるフーリェン。確かに、この三人の連携は戦術的に見れば極めて高い完成度を持つ。たった三人でありながら、一個中隊を上回る実力を発揮できるだろう。
だが、それでも。
「……彼らの負担が大きすぎます…」
ルカが口を開きかけ、だがすぐに黙り込んだ。
全ての軍を動かす権利を持つアルフォンスの決断に、反論はできない。ルカもまた、状況を理解しているからこそ、言えなかった。
「戦術としては理に適っている。が、…アルフォンス、今回は北の砦の時とは違う。相手は能力持ちの強化兵の可能性が高い。分かっているな?」
セオドアが息を吐き出すように言う。
その言葉に、アルフォンスは視線を落としたまま、静かに口を開いた。
「あぁ、分かっているさ。だが、勝てる博打だ。あの三人なら、それができる」
そう言って振り返ると、扉の前に控えていたランシーへと視線を向けた。
「ランシー。第一軍の出撃準備を整えろ。指揮はお前に任せる」
「……承知しました」
静かに一礼したランシーの表情には、既に決意が宿っていた。
第一軍が動く――
それは、王国が牙を剥いたということ。
そしてその刃が届くまでの時間を、三人の精鋭が命を懸けて稼ぐということだった。