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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第10章
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第十章 冬の静寂に響く戦鼓

その日、王都には今冬初めての雪が降った。

白い粒が音もなく空から舞い、石畳や屋根の端をうっすらと覆い始めている。


王宮の東側回廊、窓辺に寄りかかるようにして立っていたフーリェンは、ぼんやりとその光景を眺めていた。柔らかな白に包まれていく庭園。枯れた枝の先に宿る雪が、静かに冬の到来を告げている。


「……降ってきたな」


傍らでシュアンランがつぶやく。いつものように背筋を伸ばしながらも、窓の外を眺める彼の目はどこか落ち着かない。それでも、寒さにかじかむ手を懐に入れながら、どこか嬉しそうに呟く。


「……今年も、またこの季節が来たんだな」

「うん。去年の初雪は、確か訓練場で見たっけ。皆、手を止めて空を見上げてた」


二人の間に、ほっと息の抜けるような沈黙が流れた。

冷え切った空気の中に、どこか柔らかな温度が宿る。

ただ他愛もない言葉を交わすだけの時間が、こんなにも心地よく感じられるようになったのは、いつからだろうか。


ふと、フーリェンが何かを言おうとしたその時だった。


――〈バシュッ〉という空気を裂く音。


回廊の空気が一瞬にして歪む。現れたのは、第一軍副隊長ライヤンだった。肩を上下させ、息を荒げている。


「……フーリェン、シュアンラン。すぐ来てください。緊急です」


その声には、ただならぬ気配があった。鋭く結ばれた眉。声の震えは隠されていたが、その緊迫は空気を一気に凍らせる。


「……分かった」


フーリェンは小さく頷き、隣で黙っていたシュアンランもすぐに表情を引き締める。二人は無言のまま視線を交わし、ライヤンの背に続く。


向かう先は――王宮西棟最上階。アルフォンスの執務室。


雪が舞う外と違い、長い回廊には重苦しい沈黙が垂れ込めていた。歩を進めるほどに、その静寂が冷気よりも鋭く肌を刺す。


そして、執務室の前に到着したそのとき。反対側の通路から、誰かが駆けてくる足音が響いた。


「……ランシー」


振り返ったシュアンランが呟く。やはり彼も呼ばれたのだろう。髪に雪の粒を残したまま、やや息を切らせながら立ち止まったランシーは、すぐに姿勢を整えた。


「お前も呼ばれたのか」

「あぁ」


フーリェンの一言に、三人の間に緊張が走る。

今、この扉の向こうで何が語られるのか――直感で悟るものがあった。今までとは違う、“何かが始まってしまった”という予感。


数秒の静寂。やがて、シュアンランが一歩前に出る。


「……行こう」


迷いなく、扉の前へ。そして、拳を軽く握り、真っ直ぐに――扉をノックした。


「……入れ」


重厚な声が扉の向こうから返ると、シュアンランがノブを回した。扉が軋むように開かれ、執務室の空気が流れ込む。


部屋に入った瞬間、三人は一様に息を呑んだ。

空気が、冷えていた。外気ではない。報せの重みが、部屋そのものを圧迫していた。


部屋の中央、長机の前に立っていたのは、第一王子アルフォンス。軍服の前をきっちりと締め、顔を険しく歪めたまま、一枚の報告書を睨みつけている。

紙の端はわずかに握られた指の力で皺になり、視線の先には怒りとも焦燥ともつかぬ炎が宿っていた。


その傍らには、ジンリェンの姿もあった。

彼もまた報告書の複写を手にしていたが、目線は紙ではなく、すでに入室した三人へと向けられている。


「来たか」


アルフォンスの静かな声に頷いて、フーリェンとランシー、シュアンランがそれぞれ礼をとり、アルフォンスの前に立つ。


四人――フェルディナ王国に仕える直属護衛たちが、一室に揃った。


重なる沈黙を破ったのは、アルフォンスの低く抑えた声だった。


「……たった今、西の駐屯地より報せが入った」


その声は、静かだった。だが、内に込められた緊張は、剣のように鋭い。


「王国西部の砦が襲撃された。奇襲だ」


ぱさりと、彼の手元から報告書の一枚が机の上に落ちた。そこには、現地で確認された“不可解な戦闘痕”と、“味方の姿をした敵兵の存在”が記されている。


「同時に、国境沿いの二つの村も――」


言葉を区切り、彼は視線を護衛たちに向けた。


「――ほぼ壊滅状態だ。目撃情報が乏しいが、生存者はほぼいないと見られる」

「三か所、同時……?」


と、ランシーが声を漏らす。


「偶然じゃない。……狙って、動いてきた」


ジンリェンが低く続けた。彼の目は、怒りではなく、何かを押し殺すような静けさを湛えている。


「敵は、明確な意思と準備を持って動いている。――アドラだ」


アルフォンスがそう言い切った瞬間、空気が変わった。


「現場に残された痕跡は、過去に報告されていた“番号”付きの強化兵と一致している」


言葉を失うほどの衝撃ではなかった。むしろ、それが“ついに来た”という実感として、護衛たちの背を凍らせた。アルフォンスは手元の報告書を静かに机に伏せ、集まった直属護衛たちに視線を巡らせる。


「これより、全軍に非常配備を命ずる」


重く、はっきりとした言葉。すでに事態は“戦時”に切り替わっている。


「フーリェン」


名を呼ばれた白狐の青年が、一歩前に出た。


「お前には、ライヤンの転移で西の砦へ急行してもらう。防衛線の再編と現地の状況確認、報告をまわせ」


「はい」


フーリェンが短く応じる。

 

「ライヤン、お前は転移を整え次第、すぐに送り届けろ」

「はい。準備はすでに済んでいます」

「ジンリェン、シュアンラン――お前たちは、すぐに出られるよう装備を整えておけ」

「「御意」」

「どこへ向かわせるかはフーリェンの報告を待って決める。だが、敵陣の数が多いのであれば…お前たちでなければ止められん」


ジンリェンが小さく頷き、シュアンランの目には淡い緊張の光が走った。


「ランシー」

「はい」

「お前には、全軍の一時的な指揮を任せる。第一から第四軍までの連絡をとり、各地の布陣と対応策を即座に整えろ。王国全体の動きが遅れれば、連中に隙を突かれる」

「承知しました」


すぐに戦場に出るのではなく、王国軍全体の舵を取る。重責ではあるが、ランシーの冷静さと判断力を見込んでの采配だった。


「……いいな。今はまだ、ほんの先触れにすぎん」

 

アルフォンスが、四人の顔を順に見つめる。


「敵は、手探りではなく明確な意志をもって侵攻を始めた。ここで動かなければ、すぐに血で染まるのは王都だ」


重く、緊張に包まれた沈黙。

しかし、誰一人として退かぬ者はいなかった。


「行け、フーリェン」


彼の一歩が、静かに床を鳴らし、ライヤンが片手を挙げ、指先で空を割く。


雪が降る王都。白き静寂を破るように、転移の閃光が執務室を照らした。

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