第九章 収束
医務室の窓から射し込む昼の光が、少しだけ柔らかく感じられた。喧騒と緊張の嵐がようやく過ぎ去り、ベッドの数は減り、薬瓶も整頓され、あの数週間の混乱が嘘のようだった。
ナージュは片付け途中の薬棚の前で小さく背伸びをし、肩を回す。ユキは薬湯の器を拭いながら、疲れを隠しきれない表情を浮かべていた。シュアンランは机に広げた調薬記録に視線を落としたまま、頬杖をついている。
「ようやく、か……」
ぽつりとつぶやいた彼の声に、母と姉が微かに笑った。そこへ、扉が静かに開かれる音が響く。
現れたのは第四王子ルカと、彼の傍らに立つフーリェンだった。
「みんな、お疲れさま」
その言葉だけで、肩の力が抜けるようだった。
ナージュが僅かに目を細め、シュアンランが立ち上がりかけたのをルカが手で制す。
「いいよ、そんなに構えなくて」
そう言って、ゆっくりと室内を見渡すルカの瞳が、ユキの疲れた頬に、シュアンランの指先に、ナージュの背中に、順番に優しく触れていく。
「ここまで持ち直したのは、君たちのおかげだ。心から感謝してる」
「……俺たちは、できることをしただけです。兵士たちが元に戻ってくれたなら、それが何よりです」
静かにそう返したシュアンランの言葉に、ユキが小さく頷く。その隣で、フーリェンがひとつ息をついた。
「……本当に、よかった」
その声はどこか、深い安堵と小さな疲労を含んでいた。ルカが視線を向けると、フーリェンもまた、わずかに微笑んでいた。
「今回のこと……僕の“抑制剤”が、解決の糸口になったって聞いた。あの薬……幼い頃は、これがなきゃまともに眠れなかった」
ぽつり、とこぼすように語られた言葉に、ナージュがふと動きを止めて、言葉を繋げた。
「それが……誰かの助けになるなら、長年付き合ってきた甲斐があった、そうでしょ?」
その言葉に、フーリェンは壁際の棚に目をやる。その瞳は昔のように怯えてなどいない。芯のある静けさと、確かな意志を携えていた。ナージュはしばらく無言のまま彼を見つめていたが、やがて、口元に静かな笑みを浮かべた。
「もう、あの頃の“子狐”じゃないのね」
その言葉に、シュアンランが目を丸くし、ユキがふふっと笑う。その言葉に、ルカが微笑みながらフーリェンに向き直った。
「君がいたから、守れた人たちがいる。間違いなく、それは君の力だよ、フー」
温かな光が、ふと、医務室の床を照らした。
やっと取り戻した日常。けれどその背後では、なおも静かに、次の波が忍び寄ろうとしている。
それを知らぬまま、安堵と疲労を噛み締める者たちは、束の間の穏やかな時間に身を委ねていた――。