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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第9章
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第九章 今、自分にできることを

数日が経ち、薬の影響から回復し始めた新兵たちが、兵舎に戻り始めていた。その多くが異常症状を見せた者たちで、薬の影響に苦しみながらも、徐々に体調を取り戻しつつある。フーリェンは彼らのいる兵舎を回りながら一人ひとりに声をかけていった。


彼の言葉は穏やかで、それでいて確かな励ましを含んでいた。新兵たちはまだ体力が戻りきっておらず、時折顔を歪めながらも、彼の声に安心感を覚えているようであった。しかし一方で、フーリェン自身も、隊長として、直属護衛として兄たちと動くことの出来ない歯がゆさを胸に秘めていた。それでも彼は、回復への希望を繋ぐため、できる限りの支援をしようと決めている。兵舎の奥で、ひとり黙って体を休めている兵士のもとへゆっくり歩み寄り、そっと肩に手を置く。


「焦るな、感覚を取り戻すのは少しずつでいい」


その言葉が、小さな灯火のように新兵たちの心を温めていた。ルカからの命を胸に、フーリェンは今日も彼らの側に立ち続けている。


「隊長、あの……」


一人の新兵が震える声で声をかけた。


「何だ?」とフーリェンは優しく返す。


「みんな、薬がないと不安みたいで……『また症状が出るんじゃないか』って……」


フーリェンはその言葉に一瞬、胸が締め付けられた。

依存と恐怖の狭間にいる彼らを前に、何もできない無力感が胸に迫る。


「お前たちの不安も恐怖も、僕には痛いほどわかる」


そう言ってフーリェンは小さく拳を握り締めた。


「でも、お前たちは薬に頼るだけの兵士じゃない。自分の力を信じろ。焦らずに、必ずまた強くなれる」


新兵たちは少しずつ表情を和らげ、何人かが小さく頷いた。フーリェンは彼ら一人ひとりに目を合わせ、鼓舞しながら回り続ける。その姿は、どんなに弱っても希望を絶やさない、第四軍の象徴そのものだった。


夜が深まる頃、フーリェンは静かに兵舎の窓辺に立ち、遠く夜空を見上げた。そんなときだった。

兵舎の奥から、突如として荒々しい声と物音が響いた。


「隊長! ちょっと来てください!」


呼びにきた若い兵士の声に、フーリェンはすぐさま体を翻し、駆け出す。騒ぎの中心には、片膝をつき、額に汗を浮かべながら荒い息を吐いている青年の姿があった。その手元では、地面を抉るような鋭い棘が不規則に生え出ていた。能力の暴走だ。周囲には他の新兵たちが数人、不安そうな表情で固まっている。


「大丈夫、後ろに下がれ」


フーリェンがそう言って人垣を割るように進み、そっとその兵士の肩に手を置く。


「焦らないで。ゆっくり、息を吸って。……そう、吐いて。繰り返して」


柔らかく、けれど芯の通った声だった。


「能力は、敵じゃない。恐れても拒んでも、なくなったりはしない。でも――落ち着けば、必ず聞いてくれる」


言葉を紡ぎながら、フーリェン自身の呼吸を深く整える。青年の荒れた息が、次第に静まり始める。


しかしその時、不意に――

突然、掌の下から棘が一本、鋭く飛び出す。


「隊長!」


声が上がるよりも早く、それはフーリェンの腕に向かって一直線に飛んだ。


しかし次の瞬間、カンッ と金属音のような音がして、棘は弾かれた。見れば、フーリェンの右腕には、鈍く光る“鱗”が浮かび上がっていた。硬質な、まるで爬虫類のような鱗。


「……あれ、……鱗?」

「能力…?」

「ていうか、あんなの初めて見た……」


新兵たちの間に、ざわつきが広がる。

フーリェンは特に何も言わず、黙ってその鱗の浮いた腕を下ろすと、再び青年の前に屈んだ。


「……大丈夫、もう少しだ」


怯えた表情でフーリェンを見つめる兵士にそう告げると、ゆっくりと立ち上がるフーリェン。鱗はその瞬間、静かに消えていった。


棘の暴走が収まりきってなお、ざわつく空気はなかなか静まらなかった。初めて見る“鱗”のような腕に、新兵たちは目を丸くしていた。


「今の、隊長の……あれ、本当に能力…?」

「いやでも、あんなタイプの能力、見たことない……」


まだ布団の中にいる数人までもが、身を起こしてフーリェンを見つめていた。興味と憧れと、少しばかりの警戒。それでも、その視線に恐怖はなかった。


フーリェンは、力の抜けた兵士にそっと肩を貸すと、近くの空きベッドへと誘導する。ふぅと息をついて、新兵たちの方へと向き直った。その顔には、わずかに困ったような、しかしどこか優しげな色が浮かんでいた。


「そんなに見られると、さすがに落ち着かない……」


一歩前へ出て、ぽつりと呟くように笑う。


「……お前たちが全員回復したら、改めて見せてやる」


その言葉に、部屋の空気が一瞬の沈黙ののち、僅かに盛り上がる。「マジで!?」「やったー!」と喜ぶ声もある中で、まだ知らない隊長の一面を知った者たちの視線。フーリェンは一度だけ軽く頷くと、背を向けて兵舎の扉の方へと歩き出す。外に出て夜風に当たったとき、フーリェンはようやく大きく息を吐いた。


後ろでは、兵舎の明かりが静かに揺れている。

自身の能力が勝手に暴走することはない。体も、意識も、今は安定している。それでも、胸の奥には、拭いきれない違和感があった。さっきのあの棘、能力を反射的にはじき返したとき。その制御が、ほんの一瞬、遅れたこと。本当は、腕全体を鱗で覆ったつもりだった。しかし、現れたのは棘の当たる部分のみ。今までも、一部分のみを変化させて使うことはあった。いや、むしろその方が多いとすらいえる。でも、一部分といっても、変化の範囲自体は腕全体や、両足といったように、体の部位全体だった。今回のように、一部分のみの模倣は、今までできたことがなかったのだ。


能力と、自分の「核」との距離。

薬の影響が抜けきっていないのか、それとも、それ以前からずっと――

ずっと、自分は、何かを置き去りにしていたのかもしれない。そう考えた瞬間、胸の奥に、ひどく古い感覚が蘇る。熱のような、痛みのような――けれど、どこか温かい。


それがいつなのか、何を意味するのか、今の彼にはまだ分からない。けれど、確かに今、その“何か”が、ゆっくりと顔を覗かせようとしていた。


彼は静かに目を閉じた。


――まだ、終わってない。


そして、まだ、自分の中に知らない何かがある。

夜風がその白い髪を揺らす中で、フーリェンの瞳は、再び兵舎の明かりへと向けられた。

その眼差しは、以前より少しだけ、深く、静かに澄んでいた。

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