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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第9章
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第九章 異変2

「……了解。すぐ向かう」


兵舎の廊下で報告を受けたフーリェンは、言葉少なに返してから歩を早めた。第一軍の兵士からの連絡は簡潔だったが、要点は十分だった。


「……とうとう出たか」


絞るように、誰に聞かせるでもなく呟く。胸の内側が、少しだけ冷たくなる感覚があった。まだ確定ではない。けれど、起きてしまった“症例”は事実として積み重なっていく。今まで「異常がない」と信じていた現状が、じわじわと崩れていく音がした。


途中で合流したシュナが、早口で言葉を重ねる。


「該当兵士はダリヤ、十九歳です。第四軍希望でしたが、希望は通らず第一軍へ……」

「その辺りの記録、すべて出しておけ」


抑えた口調の中に、確かな焦りがあった。

同じ頃、シュアンランもまた、兵士の一人から報告を受けていた。


「倒れた……?」


立ち止まった足元に、砂利が小さく音を立てた。

場所は第二軍兵舎の裏庭、休憩中の散歩の途中だった。だがその言葉を聞いた瞬間、風の温度すら変わったように感じた。


「どこの部隊の?」

「第一軍の新兵です。訓練中に倒れたとのこと……その者も“青い瓶”を常用していたようで」

「……」


言葉が出ない。だが、内心では既に察していた。

ユキからの解析結果はまだ途中。サンプルの数も足りず、構造の分解に手こずっている。その間に起こった、最悪の形の“先手”。


「セオドア殿下に報告に行け。俺は医務室に向かう」


そのまま踵を返したシュアンランは、すでに頭の中で次に取るべき手を洗い出していた。兵士の体内に残った成分、服用の頻度、過去の診療記録……必要な情報は山ほどある。


(急がないと、間に合わないかもしれない)


足音が、砂を蹴り上げて響いた。






**

あの一件を境に、事態は雪崩のように動き出した。

第一軍の兵士が倒れた、その翌日。第二軍の新兵が演習中に突然嘔吐し、倒れ込む。三日後には、第四軍の兵士二名が立て続けに幻覚症状を訴え、制御不能のまま武器を振るいかけた。そして、第四軍の中で“青い瓶”を服用していた兵士たちの、実に半数以上に異常が現れたことで、ついにそれは“個人の体質による反応”などという範疇では済まされなくなった。

めまい、吐き気、異常な発汗、そして最も深刻だったのは――過剰な興奮と、時折見せる“情緒の乖離”。


「言葉が、通じない……」


そう、泣きそうな声で呟いたのは、リンリィだった。

味方であるはずの仲間が、突然こちらに斬りかかってくる光景は、訓練では味わえない恐怖だった。

王都の医務棟と各軍の医療区画は、一気に満床となった。応急処置と薬品分析、兵士の隔離と再検査が並行して進められ、それでも手が足りなかった。

そして――緊急の会議が召集されたのは、それからほんの数時間後のことだった。


王宮中央棟にある、円卓会議室。

部屋には、緊迫した沈黙が流れていた。


「第四軍での症例が最も多い……それは、やはり新兵が多かったことと関係しているのでしょうか」


ルカが静かに口を開いた。その瞳には、深い憂慮が宿っている。


「それだけじゃない」


返したのはセオドアだった。机の上に広げられた報告書に目を落としながら、低く続ける。


「第二軍、第三軍でも少なからず発症者は出ている。恐らくは、意図的に“試験的にばら撒かれていた”と見るのが妥当だ」

「……だとすれば、第四軍を“本命の標的”としていた可能性は高いな」


第一王子アルフォンスの声は冷静だった。

しかし、その指先には無意識の力がこもっており、握られたペンがかすかに軋む音を立てる。


「新兵の多い軍を狙えば、異変が起きても“訓練による負荷”と誤魔化せる。統制も未熟、指揮系統も柔軟――最も潜伏に適した場所だ」

「……見事なまでに、理に適っている」


セオドアがうつむきながら言ったその横で、シュアンランが口を開いた。


「解析は進めています。医務局も全力を尽くしていますが……何かが混ざっているようで、なかなか先に進んでいません」

「さて、どう動くべきか……残った兵士だけで本当に対応しきれるのかな……」


控えめに口を開いたのは、第三王子ユリウスだった。

会議室の一角、肩をすぼめるようにして椅子に腰掛けているその姿は、他の三人とは対照的だった。手元の書類にも目を泳がせるようにしか通しておらず、まるでこの場に居ること自体に不安を覚えているように見える。


「それに……あの、その……」


言いよどみながら、彼の視線が、ちらりとルカの背後へと向けられる。


「フーリェンも、例の薬を飲んでいるって、聞いたんだけど……」


その言葉に、重苦しい沈黙が落ちる。


すぐ隣のアルフォンスもまた、静かに視線をフーリェンへと向けていた。


「……フー」


王子たちの中で、最も長く彼と関わってきたルカが、穏やかな声で問いかける。


「君自身の体調は、大丈夫?」


フーリェンは姿勢を正し、短く頷いた。


「はい。今のところ、目立った異常はありません。眠りも浅くなく、訓練にも影響は出ていません。強いて言うなら……体が軽いように感じるくらいです」


その返答に、小さく息を吐いたユリウスが、そっと胸に手を当てた。


「そ、そう……ならよかった」


フーリェンは言葉を継いだ。


「ただし――薬の使用をやめた兵士のうち、複数が中毒のような症状を示しました。幻覚、情緒不安定、過剰な興奮。僕にも、同じ症状が出る可能性はあると思っています」


ユリウスの手がピクリと震えた。


「で、でもそれって危険すぎる」


「だからこそ、やめるべきだ」


鋭く言ったのは、セオドアだった。表情は変えないままだが、目の奥には静かな苛立ちがある。


「これ以上の摂取は、意味がない。データは集まっている。命を賭けてまで続ける実験ではない」

「同感です」


シュアンランが言葉を重ねた。その声はいつもの飄々とした響きをもっていた。


「いくら耐性があっても、フーの身に何かあった時、今の第四軍は即座に指揮を失う。そのリスクは取れません」


ルカが頷く。

しばしの沈黙のあと、フーリェンは静かに頭を下げた。


「……承知しました。摂取は中止します」


それを聞いて、ユリウスは小さく安堵の息を漏らした。それに気づいたセオドアが一瞥を向けると、彼は肩をすくめ、視線を机へと落とす。


王子たちの視線が交差し、円卓に再び重い静寂が落ちる。


その静けさの中で――

外の空が、じわりと曇り始めていた。


“何か”が、確実に動き始めている。

だがまだ、その正体は誰にも見えていなかった。

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