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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第9章
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第九章 異変

滋養剤の使用禁止が正式にアナウンスされてから、数日が過ぎた。


「残念だなあ、あれ、効いてる気がしたんだけどな」

「まあでも、隊長が言うなら仕方ないか」


――そんな声が、訓練場や食堂のあちこちで囁かれていた。兵士たちは、口々に「疲労が取れやすかった」と残念がってはいたが、命令に逆らう者はいなかった。それが“隊長”の指示であるというだけで、皆、深く納得していた。そして、それは彼らがこの数ヶ月で築き上げた信頼の証でもあった。とはいえ、薬の影響がすぐに消えるわけではない。禁止から数日が経っても、特別大きな不調を訴える者はおらず、今のところは“平穏”が続いている。その一方で、シュアンランもまた、裏で静かに動き続けていた。


「もうちょっと時間がかかりそう」


そう言ったのは、彼の姉であり、医務局に勤めるユキだった。ユキに頼んで回してもらった複数のサンプルは、今も医務局の地下実験室で解析が進められていたが、決定的な成分は未だ不明のまま。既存の滋養剤に似た構成を持ちながらも、微量に含まれる未知の要素が解読を難しくしていた。


「分かってんのは、“合法じゃないけど害があるとも言い切れない”、ってとこかな」


というユキの言葉に、シュアンランは深くため息をついた。


フーリェンはどうしてるだろうか。


彼自身も、兵士には申し訳ないと思いつつ、回収した薬のいくつかを密かに持ち帰り、今なお飲み続けている。朝の訓練前、夜の報告書整理のあと、あるいは風呂上がりに――きっちり決めたタイミングで、一本。無表情のまま瓶の蓋を開け、淡々と喉に流し込む日々。


「……変化なし」


そう自分に言い聞かせながらも、フーリェンの内心には、わずかな違和感が根を張り始めていた。目に見える異常は何もない。けれど、体が軽い、思考が冴える、その“妙な快調さ”こそが、恐ろしいのだ。


「必要だから飲む」のか。

「飲めば楽になるから飲む」のか。


それすら曖昧になっていくことが、彼にとっては何よりの異変だった。





**

静かな午前の光が、書類の上に斜めに差し込んでいた。王宮の北側、アルフォンスの執務室。その広い室内で、ジンリェンは背筋を伸ばしたまま、淡々と報告を続けていた。


「……以上が、各軍における“滋養剤”の現状です。兵たちへの服用禁止は既に徹底されており、今のところ混乱はありません」


アルフォンスは黙って頷き、机上の手帳に一つ、印を付ける。


「で、フーリェンの様子は?」


その問いに、ジンリェンは一拍置いて答えた。


「本人に特段の体調不良はありません。昨日の訓練後も、いつも通り指導にあたっていました」

「……変化は?」

「“体が少し軽く感じる”とは言っていました。ただ、それが薬の効果なのか、気分的なものなのかは本人も判然としないようで」


アルフォンスは軽く目を細め、顎に指を当てた。


「あいつは薬物に対する耐性が高い。もしかしたら、それが変化の表れにくさに繋がってるのかもしれんな」

「その可能性は、あると思います」


ジンリェンは静かに同意する。ふと、室内に沈黙が落ちた。アルフォンスは指先でペンの軸を回しながら、何かを思案するように目を伏せていたが――そのときだった。


「失礼しますッ!」


突如、執務室の扉が乱暴に叩かれ、続けざまに第一軍の若い兵士が駆け込んできた。肩で息をしながら、慌てた様子で頭を下げる。


「隊長、報告です!兵舎で、訓練中の兵士が突然倒れました!目は開いていますが、意識がなく、全身が痙攣しています!」


アルフォンスの眉が鋭く寄せられる。

ジンリェンの顔もわずかに険しくなり、即座に兵士へ問いかけた。


「その兵士、滋養剤を摂っていた記録は?」

「はっ……はい! 他の者の話によれば、数日前まで“青い瓶の薬”を毎日飲んでいたと……!」


ジンリェンとアルフォンスの視線が交差する。

空気が、一瞬で張り詰めた。


「……ジン、すぐに現場へ。フーリェンにも伝えろ」

「はい」


ジンは迷いなく踵を返し、扉を開けて走り出した。

事態は、ついに表面化し始めたのだった。






ジンリェンは第一軍兵舎の渡り廊下を抜け、足音も高く訓練場へと向かっていた。軍靴が石畳を打つたび、胸の奥に刻まれる嫌な予感が膨らんでいく。


倒れた兵士は、誰だ?いつから飲んでいた? 何本、どれほどの頻度で?頭の中で幾つもの問いが駆け巡るが、足は一切迷わない。既に、前方に騒然とした気配が見えていた。


「隊長、こちらです!」


声を上げたのは、現場を押さえていた部下の一人だった。ジンリェンは返事もせずに駆け寄り、輪の中心を覗き込む。そこには、硬い地面の上で仰向けになった一人の若い兵士がいた。目は開いたままだが、焦点が合っていない。全身に薄い汗を浮かべ、肩が小刻みに震えていた。周囲には既に応急処置用の布や水、薬箱が並べられているが、目立った改善はないようだった。


「痙攣は?」

「五分前よりは弱まっていますが、意識は戻りません」


即座に答えたのは、付き添っていた医務係の兵士だった。だが、その額にも焦りがにじんでいる。ジンリェンは黙ってしゃがみ込み、兵士の顔を一瞥した。その唇の端が、かすかに青ざめている。


「こいつ、“青い瓶の薬”を飲んでいたんだな」

「はい、間違いありません。同じ部屋の者が証言しています」


ジンリェンはわずかに眉をひそめた。


「すぐに医務室へ。あと、フーリェン、シュアンラン、ランシーに報せを。優先して回せ」

「了解!」


返事と同時に、兵たちが素早く動き始める。

ジンリェンは一度だけ振り返って、倒れた兵士の顔を見た。兵士の目は虚空を見つめたまま、微動だにしなかった。


「おい、聞こえるかダリヤ。医務室に運ぶぞ」


ジンリェンの問いかけに、それでも名前を呼ばれた兵士、ダイヤは反応を示さない。静かに、だが確実に、毒は広がっていた。もう、猶予はない。


ジンリェンは風のように踵を返し、次なる動きへと踏み出した。

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