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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第8章
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第八章 心の内2

二人が訓練場に足を踏み入れる頃には、夕日が傾ききり、空は淡い紫色に染まっていた。すでに誰の姿もなく、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。

ランシーは迷うことなく、武器棚へと歩み寄ると、手慣れた様子で木製の練習斧を一本引き抜いた。分厚い手で柄を軽く握り、肩に担ぐその姿は昼間の疲れなど微塵も感じさせない。


「じゃ、ちょいと軽くな」


そう言ってこちらを振り返ったランシーの表情は、どこか少年のような明るさがあった。

フーリェンは一瞬だけ逡巡したが、すぐに無言のまま槍の棚へと向かい、木製の長槍を一本抜き取る。重心を確認するようにくるりと回してから、構えを取ると、その動きには一切の無駄がなかった。


「さすが、基礎を鍛える第四軍の隊長様だな。構えが綺麗だ」


ランシーが笑いながら、斧を両手で持ち直す。


「……お手柔らかに」


短く返したフーリェンの声は淡々としていたが、その足運びには獣のような静かな気配が宿っていた。


数歩、互いの間合いを測り合ったあと――

先に動いたのはランシーだった。


大きく踏み込んだ彼の斧が、風を切って振り下ろされる。それをフーリェンはひらりと身を傾けてかわし、槍の柄で横から斧の軌道を逸らす。一拍、二拍。二人の動きはまったく異なる性質のものだった。


ランシーの動きは重く、力強い。一撃一撃に質量があり、それは容易に地を揺らす。対してフーリェンの動きは軽やかで、影のように滑らかだった。柔らかく間合いを取りながら、絶妙な角度で槍を差し込み、力を受け流していく。打ち合いの合間に、息も整わぬままランシーが口を開いた。


「……それにしても、驚いたぜ。お前があんな顔するなんてな」

「……どの顔?」


槍の穂先を鋭く突き出しながらも、フーリェンは冷静に問い返す。


「さっきの話。お前が、くだらない新兵の言葉を気にするとはな」

「気にしてないよ。……でも、忘れられるほどの強さは、まだないのかも」


フーリェンの返しに、ランシーはふっと笑った。

斧を振り上げる勢いは変わらず鋭かったが、どこか、その言葉に納得しているようでもあった。


「だったら、鍛え続けりゃいいさ。言葉じゃ黙らせられなくても、力で黙らせりゃいい」

「それが、兵士だろ?」


ガキン、と木と木がぶつかる音が訓練場に響く。

今度はフーリェンが槍の柄で斧を押し返し、間合いを広げた。


「……言うのは簡単だ」


そうぼやいたフーリェンの頬に、ようやく少しだけ熱が戻り始めていた。


「言うのが得意なんだよ、俺は」


ランシーが笑いながら斧を構え直す。


そして再び、静かな夜の中で二人の木製の武器が交錯する。感情をぶつけ合うでもなく、ただ確かめ合うように――その刹那、かすかな熱と誠実な音が響く。


しばらく打ち合った二人は、互いに自然と間合いを取り、ふっと息をついた。乱れた呼吸を整えながら、ランシーは肩で息を吐き、斧を片手に持ち直して柄の先を地面に立てた。対面するフーリェンもまた長槍の穂先をゆっくりと下げ、柄の中央を握り直す。


沈黙の中、汗と熱だけが二人の周囲に残っていた。

と、その静けさを破るように、上から「ぱちぱち」と乾いた拍手の音が落ちてきた。思わず二人が顔を上げると、訓練場を囲む回廊の一角に、ユリウスが立っていた。すでに夜装に身を包み、肩に羽織った薄手の外套が風に揺れている。その姿はまるで月の照り返しのように静かで、しかし、視線だけは明確にこちらを捉えていた。


「わっ……見てたんですか、ユリウス様!」


ランシーが気さくな笑顔で手を振ると、ユリウスは緩やかにその手を振り返した。

だが――彼の銅色の瞳は、すぐにランシーから隣にいる白狐へと移る。まっすぐにフーリェンを見据え、その唇が静かに動いた。


声は届かぬはずの距離。けれど、フーの耳はその小さな囁きを逃さなかった。


「……さすがだね。……東の狐」


その言葉を受けた瞬間、フーリェンの身体がわずかに硬直する。けれどそれを表には出さず、彼は黙ってユリウスの姿を見つめ返した。


やがてユリウスは何事もなかったかのように踵を返し、夜の回廊を静かに去っていった。外套の裾が風に揺れ、彼の姿はゆっくりと執務室の奥へと消えていく。


その様子を見送りながら、ランシーがぼそりと呟く。


「……そろそろ戻るか」


それに返事をするまでに、フーリェンは少しだけ間を置いた。はっと何かに気づいたように目を瞬かせてから、短く「うん」と呟く。


先に歩き出すランシーの背を追うように、フーリェンも足を踏み出す。だがその脳裏には、あの一言がまだ鮮やかに残っていた。


「さすがだね。……東の狐」


それがただの称賛なのか、それとも……何かを知った者の言葉なのか。その意味を探るように、フーリェンはふと日の暮れた空を仰いだ。

僅かにのぞく星たちは、ただ静かに、すべてを見下ろしていた。

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