第七章 一掃戦
ユエの言葉が静かに落ちた瞬間、セオドアの胸の奥で何かがざわめいた。
紙片の活字の向こうに浮かび上がるのは、十二年前――少年だった自分の目に焼き付いた、ある“記憶”。
第七隔離区域一掃戦。
当時十五歳だったセオドアは、第二王子として女王と共に前線の視察と負傷者の救護にあたっていた。
瓦礫の山と、焼け焦げた石畳。戦の傷跡がそのまま残る現場を、若い兵士たちが血と汗にまみれて駆けていた。その最奥、崩れた施設の前で聞こえた、悲痛な、心を抉るような叫び声。
「やめて! 返して……っ! 連れていかないで…」
セオドアは反射的に振り返った。
そこには、今も決して忘れられない光景があった。
女王の側近であり、当時直属の護衛だった男――ベルトランが腕に抱えていたのは、見るに堪えない“何か”だった。
白い毛皮に、半ば溶けたような肌。人のようであって、人ではない。獣人にしては形が不明瞭すぎる。
崩れかけた小さな体は、息をしていたのかも分からない。
そして、そのベルトランに向かって必死に手を伸ばしていたのが――一人の小さな子狐だった。
「やめてっ……それは、僕の弟なんだ……!」
「お願い……! 返して!」
叫び続けるその子の両腕の皮膚は所々焼け爛れていた。
だが、それでもその子は立ち上がり、何度もベルトランに飛びかかろうとしていた。
その横で、まだ幼かった第四王子――ルカが、その子を必死に抱き止めている。
静かな目で、涙をこらえるように、けれどしっかりとその身体を支えていた。
セオドアは立ち尽くし、言葉を失ったままその場を見ていた。狐の子が「弟だ」と叫んでいた“それ”――ベルトランの腕の中に抱えられていた、形を失った何か。
今なら分かる。
歪んだ“融合”の名の下に、何かを施された弟。名前すら与えられず、「K」として記された実験個体。
それが、後に“フーリェン”となった存在だったのだ。
そう考えたとき、セオドアの胸に広がるのは、戦慄にも似た確信だった。
記録に「炎」と記されていたS――にも関わらず、その能力については観察中――詳細な記録が一切残っていなかった。それは発現したばかりの能力を上手く扱えなかったのではない、そもそも“使えなかった”のだ。獣人として、一人の個として生きることさえ許されなかった幼い二人は、その渦中で利用され続けていた。
泣き叫び、喉を枯らしていたあの少年の目――
血走り、涙を流し、それでも弟に手を伸ばし続けていたジンリェンの目が、いまも脳裏に焼きついて離れなかった。
「双子に……知らせるわけにはいかない」
セオドアは低く呟いた。
「真実を――全ての繋がりを、俺たちが先に突き止める。そうでなければ……あの兄弟は壊れる」
その言葉には、少年だったあの日には持ち得なかった、確かな覚悟が宿っていた。