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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第7章
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第七章 記録

「……殿下、こちらに」


奥の通路からアドルフの声が響いた。

その声に三人がすぐに向かうと、そこには実験場に隣接する薄暗い小部屋があった。

部屋の中は、荒れたままの簡素な構造だった。鉄製の簡易ベッドが二台。どちらも布団はなく、錆びた枠がむき出しになっている。床には乾いた血痕が広がり、使用済みの採血針が散らばっていた。


「……ここも、処置室だったのか」


シュアンランが低く呟く。


「それより、これを」


アドルフが手にしていたのは、一枚の記録用紙だった。古びていたが、水濡れの痕も少なく比較的状態は良好なその紙を、セオドアが受け取り目を走らせる。


「……採血量記録か。種族ごとに分類されて……個体識別名が振られているな」


その表の中に、一つ、赤く大きな丸で囲まれた行があった。


“個体S :対象Kへの適合率:92.1%”


「“K”……先ほどのファイルにも出てきた個体ですね」


ユエが肩越しに覗き込んで言う。続く余白には、走り書きで一文が添えられていた。


「融合性の高さは、同一種族による……?」

「融合……」


セオドアがその言葉を静かに繰り返す。


「“個体K”への輸血が、他の個体とは比較にならないほど高い適合率で進んでいた……それが“個体S”」


ユエが淡々と読み解いていく。

だが、そこに記された“個体K”という存在が誰なのか――


そしてそのまま、その横に記されたSの情報に目が行く。


「種族は……狐」

「……狐、か」


シュアンランが静かにつぶやく。彼の視線は、無言で床に散らばる採血針を見つめていた。


「狐の獣人は、国内では数が少ない。だが、Kという記号では特定できん」

「今の記録だけでは断定は難しいですが――」


ユエが指差した記録の一番下、個体名Kの注釈欄に小さく記されていた一文に気づき、言葉を止めた。


“対象K:変化能力保持。外見変化あり”


「……変化能力」


その言葉に、一瞬だけ空気が凍る。


「まさか……」


セオドアが低く呟いた。


「いや、断定はできない」


シュアンランがそれを遮った。


「この国に、変化能力を持つ狐の獣人が“現時点で”一人しかいないのは事実ですが……この記録は十二年前のものです」


彼の声は冷静だったが、微かに緊張を帯びていた。


記録に記された“個体K”――

特殊な変化能力を持ち、輸血に適合した“個体S”と高い融合性を示していた。

そしてその情報を、名で識別できないという事実が逆に不気味な意味を持ち始めていた。


「……もし、Kが今も生きていて、“外見変化”の能力を持っているとしたら」


セオドアは、声を潜めるように続けた。


「その存在は、我々の側に――既にいることになる」


シュアンランは何も言わず、手の中の採血針をじっと見つめていた。


「……記録の続きがあるかもしれない」


セオドアが記録紙を折りたたみ懐にしまうと、ユエとアドルフが再び室内の調査を始めた。


シュアンランはしばしその場に立ち尽くし、血の乾いた匂いの残る空間に視線を彷徨わせる。

鉄と薬品の入り混じった匂い――ここに閉じ込められていた誰かの、恐怖と痛みが確かに染みついていた。


「こっちにも棚がある」


ユエが声を上げる。部屋の奥、崩れかけた木製の棚の裏に、ファイルケースが隠されていた。

アドルフが手袋越しにそれを引き出すと、埃がふわりと舞った。


「……分類コードが違うな。KでもSでもない。……“L群個体”?」

「L群……同時期の別枠か?」


セオドアが身を屈め、表紙に目を通す。


「交差型個体観察記録」――そう題された一冊の記録帳は、実験そのものの目的に迫る内容だった。

ページを捲るごとに、何人もの獣人の番号と種族、能力、身体反応、薬剤の投与記録が並んでいた。

「……こいつら、血液提供だけじゃない。薬品を使って、無理やり“融合反応”を起こさせようとしていたんだ」


ユエがページの端に記された注釈を指差しながら、低く告げる。


「人為的に、二つの能力を混ぜる……? それとも、特定の体質に“定着”させる……?」

「定着というより、抽出だな。……おそらくK――あの変化能力の保持個体を基盤にして、他の獣人から適合する要素を抽出し、ある種の“完全体”を作ろうとした可能性がある」


セオドアが読みながら言葉を継ぐ。


彼はページをめくりながら、再び一枚の赤いマーカーの引かれた記録に目を留めた。


種族:狐

能力傾向:炎(観察期間中)

適合率:K群個体との融合試験において高数値を示す


「……炎」


セオドアの呟きに、シュアンランの顔が強ばった。


「まだ断定はできない。が……記述上、“S”も狐の獣人」


それは、あまりにも明確すぎるヒントだった。

狐の獣人で、炎を扱う者――


先ほどの個体名”K"が示す人物が、現時点でたった一人である事実をもった上で、個体名”S"の情報――。

現在のフェルディナにおいて、それに該当する存在は、同じく一人しかいない。


「……あの双子…で、間違いのでは?」


アドルフが低く呟く。


「ジンリェンが、Kへの……フーリェンへの適合個体だった――?」


セオドアは言葉を選ぶように呟き、視線を伏せた。


重たい沈黙が一行を包む。だが、その静けさの中で、確実に繋がりは見えてきていた。

何者かが、二人の存在をもって何かを創り出そうとしていた。

それは偶然ではない。意図された“選別”――いや、“設計”の可能性すらある。


「双子にはまだ知らせるな。……もう少し、探る」


セオドアの声には、これまでにないほどの重みがあった。


「今はまだ、憶測でしかない。だが……その名前がこの先に出てくるのなら――」


その時、真実は二人を引き裂く。

兄弟としてではなく、実験体として選ばれた“過去”が、二人の現在を脅かすことになるだろう。

そしてその過去の設計者こそ――“カイ”という存在に他ならなかった。


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