第七章 差異
ユエ…第二軍所属の猫獣人。野営戦ではフーリェン率いる陽動隊の一員として動いた。東の国シンの出身。
仮設の卓上には、すでに掘り出された紙束や帳面が無造作に積み上げられていた。地下に眠っていた旧式の記録箱、割れた棚、そして崩れた石壁の奥――
そこから発見される書物の多くは湿気と劣化により文字の判別も困難だったが、それでも情報を拾い集めるべく、偵察隊は片っ端から資料を漁っていく。
「これは……日報の断片。第五管理班のものらしいです。獣人の登録名簿に関する記述が見えますが……欠損がひどい」
アドルフが眉をひそめて紙片を差し出す。
「こっちは……童話集か?」
シュアンランが手に取ったのは、表紙の擦り切れた一冊の薄い本。中の文字はフェルディナで使われているものではなかった。
「これ、東の国の書体ですね」
本に目を通していたユエが、静かに言った。東方出身の親をもつ彼は、元は東の国シンの地方学芸院に属していた教養人で、言語にも通じている。
「この本は……子供向けの物語のようです。狐の獣人たちが暮らす、とある島国の話。“島の妖術使い”という呼び名で描かれた、能力を持つ者が人々を導く幻想譚です」
「妖術……?」
セオドアが眉をひそめると、ユエはゆるやかに頷いた。
「かつて、東の国では獣人が持つ能力のことを“妖術”と呼んでいました。中でも狐の獣人は古来、狐火や幻術といった能力を多く持つことで知られています。現地の信仰とも結びついており、術者や呪師として重宝された歴史もあります」
セオドアは顎に手を当て、思案深げに視線を落とす。
「ということは……双子の能力も、その流れに含まれる可能性もある…な」
「十分に。フーリェン殿の“変化”の能力は、今のフェルディナ内外で確認されている中でも類例のない希少性を持っていますが、“幻を作り、姿を偽る”という系統で見れば、それは古来の東の狐獣人の能力に極めて近いといえますね」
「つまり……特別に異質というより、むしろ“系譜に沿っている”とも言えるな」
「ええ。そしてジンリェン殿の“炎”の力も、文献では時折“狐火”として描かれているものに似ています。両者の能力は目立ちはしますが、東の系統を知る者にとっては、まったく未知というわけでもありません」
セオドアが黙って頷く一方、アドルフがぽつりと付け加える。
「ただ……それなら、それだけ狐獣人が多いってことになるはずだが、フェルディナには……」
「そう多くはありませんね。…現に、王宮に務める獣人の中ではあの双子しかいません」
ユエが静かに言い添え、考え込むように続ける。
「……獣人は、基本的にはヒューマンと同様に一度の妊娠で一人生まれます。ただし、統計的に見れば、獣人は双子や三つ子で生まれる確率が高い。そして、同じ母から生まれた兄弟であれば、ほとんどの場合は似通った能力を持っています。能力の系統が一致するのが、一般的には自然なことです」
「あいつらも……双子だとすれば、なおさらか」
アドルフが呟くと、ユエはゆるやかに頷いた。
「ええ、容姿も酷似しており、血統の近さは明らかです。ただ……」
ユエの視線がわずかに下がる。
「一卵性にしては、少々不可解な点もある。――例えば、あの二人の体格差。身長も骨格も、並んでみればすぐに分かるほど異なっていますよね」
ユエの発言の通り、双子の記録は書面上では”一卵性”となっている。それは、王宮に来たばかりの時に行った血液検査の結果を見てもそうだった。完全に一致する双子の身体を構成する物質、その容姿、そして何より、兄ジンリェン自身がそう口にしていた。一卵性なのだから、そっくりなのは当たり前。周囲はみな、そう思っている。
「もちろん、その点については説明がつかなくもありません。幼少期の過酷な環境下での成長の差や、…特に弟フーリェンの“変化”という能力が身体に与える負荷を考えれば、発育に差異が出るのも不自然ではない。ただ、それにしても――少し極端すぎるようにも感じられます」
ユエの説明に、場の空気がわずかに張り詰める中――その背後、無言で立っていたシュアンランの瞳が、ふと陰りを帯びた。
幼いころから、あの双子と共に育った。
当時、二人は本当によく似ていた。透き通るような白の髪に、大きな琥珀色の目。並んで立たせてしまえば、誰もが一度は見間違えた。自分自身でさえ、何度名前を呼び間違えたか覚えていない。
纏う雰囲気や、話し方、性格はまったく違っていたのに――容姿だけは、まるで鏡写しのような双子だった。
今は、どうだろうか。
遠目からでも双子だと分かる。顔立ちは今も生き写しのように似ている。けれど、体格には明確な差があった。背の高さ、肩幅、立ち姿――
そして、何よりその“在り方”が違って見える。
身長差はあるにしろ、同じ顔のはずなのに、見れば一瞬で見分けられる者も増えた。いや、たとえ初対面でも、言葉を二、三交わせば誰でも気づくだろう。
それは……一緒にいる時間が長かったせいで、自分が慣れただけなのか。それとも、本当に二人の何かが、どこかで決定的に“違っていた”のか――
まるで、どこかで“始まり”が違っていたかのような、微かな違和感。
「……確かに、そうだな」
シュアンランは低く呟いたが、その真意は誰にも聞こえなかった。
沈黙が落ちる。
童話の話から始まったはずの調査は、いつしか彼らが抱えていた無意識の違和感――“その双子の特異性”に、静かに触れはじめていた。
「童話だとしても……ここの地下に眠っていたにしては、あまりに意味深だな」
セオドアの声が、再び静かに響く。手元の書物に描かれた“妖術使い”の影が、どこか、誰かの姿と重なって見えた。まるで、それが伏せられてきた記録の端緒であるかのように――