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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第6章
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第六章 帰路

朝の光が、ゆるやかに木々の葉を透かしていた。


山道の向こうには、西の砦へと続くなだらかな坂道。一行は王都への帰路についていた。昨日までの緊張感が嘘のように、朝の空気は澄み、鳥の囀りが穏やかに響いている。


荷馬車の先頭に乗ったユキが、風に揺れる長髪を指手でおさえながら、ふと声を漏らす。


「……思ったんだけどさ」


声をかけられたフーリェンは、荷馬車の隣を歩いていた足を少し緩めてユキを見上げた。


「なに?」

「……あんたの隊服、ちょっと型、変えた方がいいんじゃない?」


その言葉に、フーリェンは思わずちらりと自分の肩越しに目をやる。昨日の戦闘で模倣した翼を展開した際、背中の布は大きく裂けてしまっていた。今朝はその上から外套を一枚羽織っているため目立ちはしないが――風が吹くたび、そこから血の染みた布の感触が微かに伝わってくる。


「……まぁ、たしかに、また破れるかもとは思った」


そう言いつつも、フーリェンの声にはやや曖昧な響きがあった。しばし考えるように黙り、それから言葉を続けた。


「でも……そもそも、ああやって翼を出すことなんて滅多にないし。それに……背中が開いた服って、落ち着かない」

「ふーん」


ユキは片肘を膝に乗せて頬杖をつき、気の抜けた声で返した。


「けど、いちいち破れて、仕立て直す方が面倒じゃない? あんた、裁縫できないでしょ?」

「予備の隊服は多めに持ってるから。交換すれば済むよ」


フーリェンがそう返すと、ユキは目を細め、いたずらっぽく笑った。


「じゃあさ――私が縫ってあげよっか? ほら、背中にかわいい刺繍とか入れてさ」

「……え?」


唐突な提案に、フーリェンが明らかに怪訝そうな顔をする。


「白い生地に、金の糸で大きな翼……とか。いいじゃない。『背中から出る翼』ってイメージで」

「い、いや……」


フーリェンの口元が引きつる。ちらりと想像してみる――任務中、背中に金色の翼を刺繍された服で戦う自分の姿を。


「……やめて。隊服にそういうの、いらない」

「えー、絶対似合うのに」


頬を膨らませるユキに、フーリェンは苦笑を浮かべた。冗談だと分かっている。けれど、こうして口に出して笑い合える時間があることが、今は何よりもありがたかった。


前を行く馬の足音と、荷車のきしむ音。穏やかな道の上に、互いの声だけが軽やかに続いていた。





西の砦に到着したのは、まだ陽の高い昼過ぎだった。


一行は予定通りの到着を王宮に報せるべく、砦の伝令塔から迅速に鳥を飛ばし、その後はゆるやかな撤収作業に入った。賑やかだった交易場とは打って変わり、砦には最低限の駐屯兵と、整然とした石壁の静けさがあった。


「これで、ようやく一息つける……」


ユキがつぶやいた言葉に、傍らのフーリェンも深く頷いた。幸い、駐屯兵たちが夜間の警備を一手に引き受けてくれるため、フーリェンが夜通し見張りに立つ必要もなかった。何より、昨夜のような奇襲の記憶がまだ鮮明に残るなか、ユキを一人寝かせる気にはどうしてもなれなかった。


結果、砦の空き部屋の一つに、二人は一緒に入ることとなった。


部屋は簡素ながら清潔で、石壁に囲まれた一室。木製の窓が西の空を向いており、夜が更けるにつれてその窓の向こうには、無数の星がまたたいていた。


「……なんか、久しぶりね」


薄手の毛布に包まりながら、ベッドの片側でユキが呟く。その声はどこか柔らかく、懐かしさに滲んでいた。


「何年ぶり、だろ。ちゃんと隣で眠るのは」


フーリェンがそう答えた。毛布の端に触れながら、ベッドの隅に腰を下ろしたまま窓のほうを眺めている。


「昔はよく一緒に寝てたのに。あんたが医務室の床に寝ちゃってさ。私が無理やりベッドに引っ張ったりして」

「うん。……夜になると、なんとなく不安で、眠れなかった」


フーリェンの口元が微かにほころぶ。あの頃の自分は、まだ兄の傍から離れたばかりで、何もかもが不安だった。能力も上手く扱えず、感情もうまく言葉にできず。そんな時、いつもそばにいたのが――ユキだった。


「でも、今は眠れそう?」


ユキが問いかける。フーリェンは一度、ふと黙った。

しばらくして、低く、けれど確かに答える。


「うん……眠れる」


窓の外では、星がまるで光の川のように瞬いている。静かな夜だった。遠くで砦の鐘がひとつ、時間を告げる音が響く。


「ユキ」

「ん?」

「……いつもありがとう」


突然の言葉に、ユキは少しだけ目を瞬いた。


「なに? 急に」

「……なんとなく、言いたくなっただけ」


フーリェンは視線を星の光に向けたまま、小さく笑った。ユキもまた、肩まで毛布を引き寄せながら、そっとその背に寄り添った。言葉はもういらなかった。

同じ時を越え、共に歩んできた者同士にだけ流れる、やわらかで穏やかな沈黙が、砦の一室を満たしていた。

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