第六章 襲撃2
風が止む。その一瞬の静寂を破って、木立の影から再び敵が飛び出した。影のような黒装束が三人。素早く、左右と正面から包囲を狙う動き。
「……来い」
低く呟いた声と同時に、左から迫る男の腕を受け流す。振るわれた刃が地を裂くより早く、フーリェンの短刀が男の喉元を切り裂いた。咄嗟に反撃しようとしたもう一人の敵の腕を捉え、肩ごと跳ね飛ばすように蹴り上げる。骨の軋む音。地面に崩れた敵は呻き一つすら発せずに意識を失う。
「右、来る!」
ユキの短い叫び。
気配に反応して身体を捻ると、背後から飛来した刃がかすめるように迫っていた。フーリェンは瞬時に翼を展開し、片方を盾のように広げて受け止める。金属が羽の骨に当たり、鈍い衝撃が走る。だがフーリェンの動きは止まらない。刃を跳ね返すと、跳ぶように前に出た。敵の胴を狙って短刀を振るい、避けようとした相手の脇腹に鋭く突き刺す。
「ぐっ……!」
苦悶の声が漏れる。
だが次の瞬間、茂みの奥から別の敵が、ユキ目がけて一直線に飛び込んできた。
「――ッ!」
フーリェンは地を蹴った。身体が駆けるより早く、翼が空気を裂くように閉じ、ユキとの距離を一気に詰める。
刃がユキの肩へと迫る瞬間――
「させない!」
フーリェンの腕が交差し、刃を受け止めた。そのまま敵の腕を絡め取るように引き寄せ、肘で鳩尾を叩き込む。敵は苦鳴を上げて後方に転がり、動かなくなった。
「……フー、大丈夫!?」
背後からユキの声がかかる。だが彼は一瞬だけ頷き、すぐに前を見据えた。
「平気。……もう終わる」
その声には揺るぎがない。血に濡れた翼が、月の光に照らされて鈍く光る。再び草を踏む音。最後の二人が、連携した動きで左右からと突っ込んできた。そんな敵の動きを冷静に見極め、一歩後ろに退く。
その足運びで、あえてユキのすぐ前に立つ。
敵の一人が刃を振るうも、フーリェンは体を沈めて刃先を躱し、逆に足を払って敵を倒す。倒れたその胸元に、手に持つ短刀を深く突き立てた。
最後の敵は躊躇した。が、その一瞬の迷いが命取りとなる。白い翼が広がり、フーリェンの身体が踏み込んだ。猛禽類が獲物を捕らえるその動きで、一瞬にして敵の背後を取り、地面に突き刺していた敵の刃をもって躊躇いなく喉元に突き刺す。
残響のように、風が再び吹く。倒れ伏した敵たちの気配を一つひとつ確認しながら、フーリェンはようやく息をついた。
静まり返った夜の中、背後のユキがそっと声をかけた。
「……もう、大丈夫?」
フーリェンは肩越しに振り返り、微かに笑った。
「うん。終わった」
白い翼が、音もなく揺れた。その背に守られたユキは、少しだけ顔を伏せて、安堵の息を吐いた。
風が止んだ。敵の気配がすべて消えたことを確認すると、フーリェンは静かに息を吐き、力を抜いた。背にあった白銀の翼がふわりと空気に溶けるように飛散していく。光の粒となった羽根が夜の闇へと消えていき、そこに残ったのは、肩甲骨のあたりが大きく裂け、血に滲んだ白い隊服。破れた布地の隙間から、深紅の血がじわりと肌を伝って流れていた。
「……フー、ちょっと、傷……!」
すぐさまユキが駆け寄ろうとする。だがフーリェンは、ゆっくりと手のひらを上げて制した。
「大丈夫。……ちょっと、目を瞑って」
その声は穏やかだった。けれど、どこかに切実なものが滲んでいる。彼の足元には、短刀で仕留めた敵の死体がいくつも転がっていた。月の光に照らされた刃、歪んだ肢体、黒い血の斑。
彼女には――見せたくなかった。
だがユキはその意図を悟り、ほんの一瞬だけ目を伏せた後、小さく笑った。
「……私を誰だと思ってるの?」
その声に、フーリェンがはっと目を開ける。
「軍医の家に生まれて、戦場に行った父様や弟を何度も見送って。…あんたの血だって何度も見てきた。……甘く見ないでよね」
ふくれたような声に、フーリェンは肩をすくめ、申し訳なさそうに眉を下げた。
「……ごめん」
その言葉に、ユキの目元が和らぐ。
「謝らないの。…帰りましょ。戻ったら、しっかり手当てするから」
夜風にそよぐ灰銀の髪が、頬にかかる。フーリェンは軽く頷くと、再びユキの前に立ち、あらためて賊の死体を冷ややかに見下ろした。目の奥に浮かぶのは、戦場で見てきた数多の命の終わりと、奪われた側の静けさ
。
今夜、守るべきものは守った――その一点だけが、彼の背を支えていた。
「……行こう」
そう言って、再びユキの身体を軽々と抱き上げる。抗議の声をあげようとしたユキだったが、フーリェンの真剣な横顔を見て、何も言わずにその胸に身を預けた。
夜の静けさが戻る中、月の光を浴びて、フーリェンは一歩ずつ野営地へと歩みを戻した。
血と刃の匂いの中、抱いた命だけは――確かに温かかった。