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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第6章
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第六章 襲撃

交易の場を満たしていた賑わいが、夕陽と共に緩やかに沈んでいく。


薬の取引を終えたフェルディナ側の一団は、ユキの指示のもと、迅速に荷をまとめていた。薬瓶のひとつひとつを丁寧に木箱に戻し、布で包んで固定していく医務官たちの手は慣れており、手際よく撤収作業が進められていく。


フーリェンは周囲を警戒しながらも、積み込み作業を手伝っていた。木箱の数を確認し、馬車の車輪をひとつひとつ点検する姿は、護衛というにはほど遠い。


空の端が朱に染まり始める頃、作業は一段落した。


「……よし、ここまでにしましょう」


ユキの号令が飛ぶと、兵士と医務官たちは「はっ」と応え、次々に手を止めていく。今日の野営地として選ばれたのは、交易場から少し離れた丘の上。ここなら見晴らしがよく、夜間の安全も確保しやすい。何より、早朝には再び西の砦へと戻るため、出発にも都合がよい。


陽が山の向こうへ沈み、焚き火の灯りがぽつぽつと点き始めた頃――


「――あっ」


薪をくべていたユキが、不意に声を上げた。


「どうした?」


フーリェンが顔を向けると、ユキは額に手を当て、少し気まずそうに苦笑していた。


「……母様から、交易場で売ってるリラックス効果のあるお茶を、いくつか見繕ってきてほしいって言われてたんだった。医務室に置く用の」

「今からでも、行けば間に合うんじゃない?露店、まだいくつか残ってると思うけど」


フーリェンがちらりと遠くの灯を見やりながら言うと、ユキは目を丸くする。


「いいの?」

「兵に見張りを任せてくる。すぐ戻ってくるし」


そう言って、フーリェンはすでに近くの兵士に指示を出しに歩き出していた。手慣れた対応に、ユキも安心したように息をつく。


「じゃ、急ぎましょ。焚き火のあとのお茶はきっと格別よ」

「……それ、完全に自分の楽しみも入ってない?」

「当たり前じゃない。こういう時くらい、楽しみがなきゃやってられないでしょ」


笑いながら言うユキの横で、フーリェンは耳を軽く伏せて肩をすくめた。そして二人は、落ち着いた灯りの残る交易場へと足を向けた。










⋆⋆

手提げ袋に茶葉の束を詰め、残り香の漂う露店の灯を背にして二人は交易場を後にした。空には星が瞬き始め、丘を吹き抜ける風はすでに夜の冷たさを帯びている。


「開いててよかった。ありがと、付き合ってくれて」


隣で歩くユキが満足そうに笑っている。そんなユキと何気ない会話を交わしながら来た道を戻っていく。

歩き慣れた小道を選んで野営地へ戻る途中だった――

フーリェンの白狐の耳が、ぴくりと動いた。


「……止まって」


その言葉と同時に、フーリェンはユキの腕を引き、背後へと庇うように立った。


「な、なに? どうしたの……」


戸惑うユキの声を遮るように、彼は腰の短刀を抜く。

闇の中、空気の流れが変わる。木々のざわめきに紛れて、複数の気配が周囲に満ちていた。殺気ははっきりと、だが音はない。それだけ鍛えられた者の足取り。


(数は……五、いや六。後方、左右……正面も……もっといるか)


風に乗ってくる気配の数を数えながら、琥珀色の瞳で周囲を警戒するフーリェン。次の瞬間、左手の茂みから闇を切り裂く影が跳び出してきた。鋭く振り下ろされた刃を、彼は反射的に短刀で受け流す。


火花が散り、弾かれた刃が木の根元を裂いた。冷静に軌道を読み取った彼の脳裏に、ある確信が走る。


「ユキ、目を閉じて、しっかり掴まって」

「えっ……!?」


フーリェンは続けざまに短刀で敵の一人を仕留めると、すぐさまユキの身体を抱き上げた。白狐の姿のまま、両足に力をこめる。


「舌、噛まないようにね」


低く呟いた声とともに、白い毛並みが風を裂いた。瞬間、獣脚の爪が地を蹴り、フーリェンの身体は一気に疾走へと転じる。その足は豹のようにしなやかで速く、闇に溶け込んでいく。


「どうなってるの!? なんで襲われて――!?」


フーリェンの腕の中、ユキが叫ぶ。その声に、フーリェンは足を止めずに応える。


「分からない。でも……狙いはユキだ」


ユキの呼吸が詰まりかける。その腕にしがみつきながら、後方をちらりと振り返った。追ってくる気配はなお複数。数を減らしているにもかかわらず、執拗に追い続けてくる。背後の気配には目もくれず、フーリェンは木々の間を縫い、岩肌を跳ね越え、獣の勘と戦場の経験だけを頼りに突き進む。接近する敵は、その都度一撃で沈めていった。鋭い足技、短刀の刃先、跳躍と回避――すべてが研ぎ澄まされていた。


(ユキが狙われる理由……)


その時、ユキの肩にかけられた布製のカバンが視界に入った。そこから、かすかに漂う、乾いた薬の匂い。


――あの、割れた薬瓶。


脳裏に、撤収中のユキの姿がよみがえる。割れた瓶を「危ないから」と自らのカバンにしまい込んだ彼女。その“痕跡”を追ってきた者たちがいるとすれば――すべてが合点がいった。


「……そういうことか」


低く呟いたフーリェンの声に、腕の中のユキが小さく震えた。


「フー……?」

「まだ断定はできない。でも、敵の目的は、ユキの“持ち物”だ。――あの瓶」


ユキは瞠目し、次いで自らの肩にかかるカバンを見下ろした。敵の追撃はなお止まず、そして事態は、ただの偶発的な襲撃では済まされない――

 

音も風も置き去りにして、ただまっすぐに開けた場所を目指した。


茂みの先、夜の帳を裂くように月光が差し込む草地へと、フーリェンはその獣の足で跳び込む。木々が遠のいた瞬間、足を止めると同時に能力を解き、ユキを優しく地に降ろした。


「ここなら少しは動きやすい……!」


そう言いかけたフーリェンの背に、殺気が走った。


「っ――!」


反射より速く、身体が動く。ユキをその背にかばい、両腕で彼女を包み込むと同時に――白銀の光が舞う。

その背には、能力で生じた一対の大きな翼が現れ、瞬間、月明かりに煌めいた刃が二本、真っ直ぐに飛来する。鈍い音を立てて、刃物は翼に深々と突き刺さった。羽根の間を赤い血が滴り、草を濡らす。


「フーッ!!」


彼女の顔には驚愕と恐怖と、そして焦燥が入り混じっていた。


「大丈夫、これくらい――」


フーリェンはぎり、と歯を食いしばりながらかすかに笑ってみせた。翼を動かし、刃を引き抜くと、そのまま大地に刺すように投げ捨てる。模倣で生成した偽物の身体の一部とはいえ、感覚も傷も本人に返ってくる。出血も確かにあるが、しかし致命傷ではない。

 

「ユキ、ここで仕留める。だから……絶対に、僕から離れないで」


その声音には、これまで以上に強い決意と冷静さが宿っていた。ユキは言葉を飲み込んだまま、ただ真剣な目でフーリェンを見つめる。彼女の手が、無意識にフーリェンの袖を握る。そして、小さく――だが、確かに頷いた。


「……わかった」


刹那、草を踏む音。月の影に溶けるように、再び複数の気配が現れる。その背に、血に濡れた白い翼を携えながら、フーリェンは静かに構えた。


守るべきものはすぐ後ろにある。

そして、この場を生き延びるために――彼は、容赦なくその牙を剥いた。

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