表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王宮の獣護  作者: 夜夢子
第6章
126/250

第六章 追懐

日が西へ傾き始めた頃――


交易場に並ぶ荷の整理と初期の展示を終えたユキは、最後のチェックを済ませると帳簿を閉じ、医務官の一人に帳簿と配置の確認を任せた。


「現場はひとまずお願い。私とフーで、リヴェラ側の代表者を探してくるわ」

「了解しました。荷物の扱いと交渉品の整理は予定通り進めておきます」


医務官の律儀な返答に軽く頷くと、ユキは踵を返す。


「行くわよ、フー」


名を呼ばれたフーリェンは、無言で頷いて彼女の後ろについた。その白い尾がふわりと揺れ、朝とはまた違う色に染まり始めた陽の下で柔らかく光った。


二人は交易場の中心部へ向かって歩き始めた。そこは、医薬品だけでなく、リヴェラ産の様々な物品が並ぶ活気に満ちた場所だった。薬草の束、乾燥させた果実、香り高い油の瓶、彩り豊かな保存食――。鮮やかな色布で囲まれた店が軒を連ね、商人たちが声を張り上げていた。


「しかし人が多いわね…。フェルディナの西部とは大違い」


ユキがぽつりと漏らすと、フーリェンは小さく頷いた。


「人が少ないぶん、こういう場所に集中するのかも」

「それもあるし……たぶん、リヴェラとしても“見せ場”なのよ。医薬品は彼らの誇りだから」


そんな会話を交わしながら、二人は人混みの中を進む。


すれ違う者たちのなかには、明らかにリヴェラの医務官とわかる者もいた。深い藍色のローブに金糸の刺繍。胸元には階級章と、薬瓶を模した小さな飾り。その隣には、護衛とおぼしき獣人たちの姿もあった。

耳や尾を隠さず歩いている者、露骨な警戒を見せる者――それぞれが主の傍を離れずに歩いている。


(……自分も、今はああ見えてるのか)


そんなことを一瞬思いながら、フーリェンは周囲の匂いに鼻を利かせていた。交易場特有の混ざり合った香り――薬草、乾燥肉、焚き火の煙。だが、その中に、ひときわ懐かしく、そして微かに刺さる匂いがあった。ふと、フーリェンの足が止まる。その気配に気づいたユキも立ち止まり、視線で問いかける。


フーリェンは何も言わず、視線を辿っていった。香りの源は――露店のひとつ。小さな卓上に並べられた、十数種の携帯薬。ガラス瓶と木製の小瓶、革包み。どれも用途が違う。その中に、鼻をくすぐる、あまりにも馴染みのある香りがあった。


ユキが視線の先を追い、ふっと笑う。


「行ってみる?」

「……うん」


二人は、露店へと足を向けた。リヴェラの交易商人と思しき男が、数人の客に愛想よく話しかけていたが、二人が近づくとすっと気配を整えた。


「おや、お客様。新しい処方薬にご興味を?」

「少し見せてもらっても?」

「ええ、どうぞどうぞ」


ユキはふと、フーリェンが注目していた小瓶に手を伸ばす。やや厚みのあるガラス瓶。透明な液体に、微かに金属のようなにおい。ラベルには、簡素な印字とリヴェラの紋章。


「ああ……」


ユキが、ぽつりと小さく呟いた。そんな彼女に、フーリェンが視線を向ける。


「……なんの薬?」


ユキは瓶をひょいと持ち上げ、ひとつ息をついた。


「……あんたが、昔よく飲んでたやつよ」

「……え?」


フーリェンは、瓶を覗き込む。匂いは――懐かしい。けれど、見た目は少し違っていた。自分が知っているものよりも、瓶の形状もラベルも、わずかに新しい。彼は無言で瓶を受け取り、すこしだけ鼻先に近づける。


それは、「能力の抑制剤」だった。

かつて、まだ感情の制御もままならなかった頃。力が暴走しないように、誰にも害を与えないように、日々口にしていた液体。今はもう常用はしていないが、非常時に備えて、腰のポーチに小瓶を一本だけ忍ばせている。


だが、この瓶は――微かに匂いが違う。

ユキがそれに気づき、店主に声をかけた。


「これ、成分……変わってる?」

「ええ、実は。従来品に比べて、少し抗力を強めてありまして」


商人は、にこりと微笑んで答える。


「以前の処方だと、強い能力を持つ子には効果が薄いという報告がありましたので。そのため、今年から調整を入れています。より深部への作用、持続時間の延長も。特に能力を発言したばかりの家庭には好評ですよ」

「……なるほどね」


ユキは視線を落としながら呟く。フーリェンの視線もまた、瓶の奥――自分の過去の、あの沈んだ日々へと一瞬だけ降りていた。静かに、白い尾が揺れる。かつて頼りにしていたものが、いま目の前で“進化”して売られているという現実。それが、単なる医療の進歩なのか。それとも、別の「目的」――誰かを抑え込むための道具なのか。


「せっかくだし、一つ買っておこうかしら」


そう言ってユキは、さっきの能力抑制剤の瓶を一つ選び、露店の商人に代金を支払った。交易用の小袋から硬貨を渡し、手慣れた所作で薬瓶を革製の小包に収めると、それを懐の袋にしまい込む。


「研究のためでもあるしね。こういう“変化”は、現場の医務官としてちゃんと把握しておきたいし」


そう言って小さく笑ったユキに、フーリェンは何も言わず頷いた。再び二人は人混みの中を進み始める。ひとしきり活気を過ぎると、周囲の喧騒もいくらか落ち着いてくる。午後の光が屋根の布を透かし、仄かな影が地面に落ちていた。その静けさの中で、ユキがふと口を開いた。


「そういえば、……すっかり飲まなくてよくなったわね。あの薬」


フーリェンは少しだけ目を細め、前を向いたまま答えた。


「……うん。もう、自分でコントロールできるようになったから」


その声は、どこか柔らかく、懐かしさを含んでいた。遠い記憶を引き寄せるような、心の奥にそっと灯る炎のような。


「昔は、夜も一人じゃ眠れなかったくせに」

「……言わないで」


フーリェンが少し眉を寄せたのに、ユキはくすくすと笑った。その仕草には、過去をともに過ごした者にしか許されない距離感があった。


「でも、ほんとに変わったわね。あの頃は、力を押さえ込むだけで精一杯だったのに。今は、あんたが誰かに手を差し出す側になってる」

「……?」


どこかピンときていないフーリェンの様子に、ユキは続けて言葉を紡ぐ。

 

「アンナ。最近、あの子の名を軍の報告書でよく見るの」


フーリェンはその名前を聞くと少し歩を緩め、そっと小さく息を吐いた。


「……重力操作の能力。潜在値は高いけど、制御は難しい」

「でしょうね。書面じゃ判断しにくいけど、実際は相当扱いにくい力だと思うわ」


ユキが少しだけ口をすぼめて考えるような表情を浮かべた。その言葉に、フーリェンはしばし黙ってから口を開いた。


「……王国軍に入るには、事前の調査と、簡単な技能テストがあるだろ。アンナも例外じゃなかった」


曖昧に笑うでもなく、淡々と、それでいてどこか思い返すような声音だった。


「でも、あの子……その場で自分の能力をうまく扱えなくて。結果、周りの資料も、器具も、全部歪ませて――それを見てた他の受験者たちに避けられて」

「……で、泣きそうになってた?」

「耳も尻尾も垂らして、半分泣いてたな。誰にも声をかけられず、でも退出もできなくて。完全に足がすくんでた」


フーリェンはふっと目を伏せて、小さく息を吐いた。


「見ていられなかった。ただ、それだけ」

「拾ったわけじゃないんだ」


ユキの言葉に、フーリェンはゆっくり首を振った。


「“拾った”って言うのは、どこか一方的に思えて、違う気がする。……気になったから、僕の隊に入ってもらった。それだけ」

「……ふーん。フーらしいわね」


ユキは穏やかに笑い、歩調をフーリェンに合わせて一歩足を進めた。そしてふと、彼の横顔を盗み見る。

強くなった――そう思う。過去の自分を乗り越えた者にしか持ちえない、まなざしと、言葉。


「アンナ、ちゃんとついてきてる?」

「……まだ、自信はないみたい。けど、目だけは諦めてない。この前の野営戦も、頑張ってた」

「なら、きっと大丈夫よ。いずれ、フーと同じ道を辿っていくわ」


ユキのその言葉に、フーリェンは少しだけ、口元を緩めた。けれどその笑みは、すぐにふっと影を落とす。なにかを思い出したように、歩きながら空を仰ぐ。


「……大丈夫になるためには、結構時間がかかったけどね」


ぽつりと落ちたその言葉に、ユキがふとフーリェンの横顔を見やる。


「あんた、そういえば……あの頃、ほんとに人と話せなかったわね」

「……まぁ」


頷いたフーリェンの声は、どこか遠くを見ているようだった。


「能力をコントロールできるようになって、兄離れもしなきゃいけなくなって。……その時、ルカ様に言われたんだ。“まずは誰かと寝食を共にしてみなさい”って」

「それで配属されたのが――私ね」


ユキが肩をすくめるように笑い、懐かしげに鼻を鳴らした。


「母様の推薦だったっけね。どうせなら年の近い方が打ち解けやすいだろうって」

「……おっかなびっくりだった」

「うん、知ってた。ずーっと警戒してたしね。目は合わさない、距離は取る、尻尾はぴくぴく動いてる」


ユキは思い出し笑いを隠さず、口元を綻ばせた。


「でも、ごはんの時だけは真剣だった」

「ユキの作るご飯……妙に、味がしっかりしてて。……食べ慣れてなかったから、衝撃だった」

「は? それ褒めてる?」

「褒めてる。美味かった」


フーリェンの素直な声に、ユキはほんの一瞬だけ驚いたような顔をして、それからふっと表情を和らげた。まるで、遠くに置いてきたはずの“少年”が、一瞬だけ隣に戻ってきたかのようだった。


「夜も、最初はまったく眠れなかったな……」

「うん。こっちが寝そうになると、“起きてるか”って聞いてきたもん。五回ぐらい」

「……話しかけてくれたから、落ち着いた」

「あれが“落ち着いてた”状態だったの?」


フーリェンは苦笑いのような、けれどどこか照れ隠しの気配を残した声で、静かに答えた。


「……そうだよ」


そんな風に言えるようになったことすら、変化だとユキは思った。かつて、何を言っても目を伏せていた少年が、いま隣で歩いている。あの頃と同じ白い尾を揺らしながら、それでも胸を張って、人の前に立つようになった。


「……変わったわよね、ほんとに」

「そういわれると、……なんか照れる」

「いいの。私はずっと見てたから言えるのよ」


言葉に、誇りと親しみがあった。そして二人の歩みは再び、人混みの中へと溶け込んでいった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ