第六章 想い
訓練場には、夕陽が斜めに差し込んでいた。西の空に傾く陽の色は、赤く、重く、夏の名残を帯びている。
そんな訓練場の乾いた砂地には、幾つもの足音が刻まれていた。かけ声、規則正しく振られる木剣が風を切る音、その中には、まだ動きの拙い者も多い。フーリェンは訓練場の隅でその光景を静かに見つめていた。
第四軍。彼自身の直轄部隊であり、獣人や人間、混血の新兵たちを中心に構成された、フェルディナ軍の中でも一番若い軍である。戦闘経験も浅く、能力を持つ者も少ない。だが――だからこそ、鍛え甲斐がある。
(最近、ぜんぜん見れていない)
胸中に、淡い悔いのような思いが滲んだ。ここ最近、王宮の騒動に巻き込まれてばかりだったように思う。
展示演舞だの、恋人役だの、…アスランとの合同訓練では軍の先頭で指揮を取ったが、野営戦では個々人がバラバラに小隊に配属されていたため、直接指揮をとったわけではない。そんなことも重なり、第四軍の隊長として、本来の役目をほとんど果たせていなかったのだ。
「……目がやさしいな。まるで親狐じゃねえか」
からかうような声に、フーリェンは小さく肩をすくめた。振り返らずとも、それが誰の声かはわかる。
赤茶の髪を風に揺らすライオンの獣人が、隣に並び立った。その後ろには、ジンリェンの姿もある。
「お前が留守の間、ここの面倒はずっと俺が見てたんだぜ? そろそろ感謝の言葉のひとつやふたつ、聞かせてくれてもいい頃じゃないか?」
「ありがと」
「……あっさり過ぎてつまらんなあ。もうちょっとこう、“本当に助かった、お前がいなければ心配で夜も眠れなかった”とか、そういう重みのあるやつを期待してたんだけど」
フーリェンは苦笑すら浮かべず、ただ静かに言った。
「本当に、感謝はしてる」
「へいへい、そーいうところだよ、お前の可愛げのなさは」
呆れたようにランシーが言いながらも、その尻尾は機嫌よさげに揺れていた。訓練場の中央では、槍術の組み手が行われていた。新兵らしき青年が踏み込みを誤って体勢を崩し、それでも喰らいつこうとしている。すかさず仲間が支えに入る。まだ連携は不安定だが、目指すものは確かにある。
「……せっかく四人そろったのにな」
ランシーがぽつりと呟いた。
「シュアンは行っちまうし、今度はお前が出払う番か」
その言葉に、フーリェンは視線を地面に落とす。
「“仕方ない”って言うんだろ、ジン」
話を振られた兄は、僅かに頷いた。
「ああ。任務は任務だ」
「……そう、任務だから」
フーリェンの声には、苦笑とも溜息ともつかない色が混じった。
「でも、ほんとは……もう少し訓練に付き合ってやりたかった。僕が出てる間も、ちゃんと皆ついてきてくれた」
「まぁ、心配すんなって。俺がしごいといてやるからさ」
それに、とランシーはにやりと笑いながら続ける。
「お前がいない方が、みんな集中できるかもしれないぜ。緊張せず」
「…………それはそれで、複雑だな」
ジンリェンが小さく、だが確かに喉の奥で笑った。
それに驚いたようにランシーが振り返る。
「ほら、ジンもそうだってよ」
「……勝手に肯定ととるな」
「入る。十分入る」
ランシーはうんうんと一人で頷いてから、ふと顔を引き締めた。
「気をつけて行けよ、フー。リヴェラは平和そうに見えて、どこか底が見えねえ」
そんなランシーの忠告に、フーリェンは分かってると小さく呟いた。少し間を置いたのち、再び口を開く。
「今回の任務が片付いたら、しばらくはちゃんと訓練場に顔を出す。……このメンバーでいられるのも、あと少しだし」
「もうそんな季節か」
「早いよなー3年経つのは」
日が傾き、影が長くなる。
その影の中、三人はしばし黙って訓練場を見守っていた。