第五章 誤解
第五章 お見合い騒動編 完
翌日の昼下がり。
王宮の正門前には、陽光に照らされた双子の姿があった。
昨夜、激しく動揺していた姿はもはやそこになく、ジンリェンは凛とした佇まいで、まるで、何事もなかったかのようにそこに立っていた。隣のフーリェンだけが、兄のその平静さがいかに脆く積み重ねた仮面であるかを知っている。
ほどなくして、軋む馬車の車輪の音とともにタニス家の一行が現れた。伯爵が一歩前に出て御者に荷の積み下ろしの指示を出すべく脇へと移動する。そしてその後ろから、イレーネがゆっくりと姿を見せた。綺麗に結い上げられた長髪も整えられた服装も変わらぬはずなのに、どこか陰りがあり、その瞳に揺れるものは、昨日の夜の激情とはまるで異なる深い内省の色を宿していた。
ジンリェンの姿を目にした瞬間、一度その足が止まる。ふと表情が陰るが、すぐに顔を上げ、初日の対面と同じように、真っすぐにジンリェンに向かって歩みを進める。そのままジンリェンの前に止まると、彼との距離を適切に保ち、流れるように深々と頭を下げた。
「……昨夜は、申し訳ありませんでした」
その声音は明確で、けれど微かに震えていた。その姿にジンリェンは目を見開き、慌てて言葉を紡ごうとする。
「顔を、あげてください……!こちらこそ、…無礼な態度を…本当に、何とお詫びしたらよいか…」
「いいえ。悪いのは私です」
イレーネの瞳は、まっすぐにジンリェンを捉えていた。その横で、フーリェンが目を見張る。こんなにも素直に自分の非を認める姿に、驚かされたのは彼も同じだった。
「私は……あなたのことを考えずに、気持ちを押しつけてしまいました。あなたを追い詰めてしまったこと……本当に申し訳なく思っています」
言葉に込められた誠意は、偽りなどではなかった。
昨夜、部屋の扉が閉まった後。ジンリェンが逃げるように姿を消してから、イレーネはしばしその場に呆然としていた。やがて何かに駆られるようにして部屋を飛び出し、回廊を走った。
追いかけて、謝らなければ――そう思って。
だが、その先で目にしたのは――
壁にもたれるようにして身をかがめるジンリェンと、その彼を真剣なまなざしで見つめるルージュ。次の瞬間、ルージュの姿がふっと揺らぎ、まるでリボンが解けるかのようにその姿が消えていく。次に現れたのは、白狐の耳、透けるような白の髪――あれは確かに、昼間に自身の護衛を務めていたフーリェンだった。
そして次に目を疑ったのは、二人の距離が急速に近づいたこと。イレーネの位置からは、まるで二人がキスを交わしたように見えた。
その瞬間、胸の奥がぎゅうと締めつけられた。理解した。彼女が踏み込もうとした空間には、最初から“隙間”など存在しなかったのだと。
「……本当に、応援したいと思っています。あなたと、あなたの大切な方の恋を」
イレーネは、ジンリェンではなく、彼の隣に立つフーリェンにも一礼をした。
「どうか……お幸せに」
言い終えたその言葉と同時に、伯爵が戻ってきた。イレーネは軽く会釈をして、馬車へと乗り込む。
馬車が走り出したその瞬間――
「……ん?」
ようやくジンリェンが何かに気づき、慌てて声をあげる。隣で伯爵とイレーネ一行を見送っていたフーリェンも、僅かに目を見開いて固まっている。
「……今絶対、あっちゃいけねー誤解を生んだ」
「…………ジンのせいだ」
「いつから気付いてたんだあの人……いや、そこは問題じゃなくて、……」
焦ったようなジンリェンの声に、フーリェンは小さく肩を竦めた。思い違いとはいえ、真っ直ぐに誰かを想い、素直に謝ることができるイレーネという令嬢に、どこか救われた気がした。
そして、誤解は残されたまま。
白銀の馬車はゆっくりと、王都の門を越えて去っていった。