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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第5章
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第五章 令嬢と弟

タニス家の滞在から、三日目。回廊を渡る風が白いカーテンを揺らし、木漏れ日が床に模様を描いていく。

その日、ジンリェンは王都の警備任務に出ていた。代わりに、令嬢のもとへ向かうのは――彼の弟、フーリェン。扉の前に立ち、控えめにノックをする。すぐに返事があり、侍女によって通された室内では、イレーネが窓際の椅子に腰掛けていた。目を上げた彼女の瞳が、すぐにフーリェンの姿を捉える。


「……まぁ、今日はあなたが来てくださったのですね」

「はい。兄は本日、王都での任務がありまして」


フーリェンは丁寧に一礼し、椅子の対面に静かに腰を下ろす。今日の彼は、いつもの白い隊服に、白の髪と狐耳――変化を解いた、いつもの護衛姿だった。


令嬢は少し目を細めて微笑む。


「改めて、そっくりですわね。でも……双子でも、やはり違うのね」

「…………?」

「たとえば、その目線とか、空気の纏い方とか。あなたの方がずっと静かで、目が深い」

「……よく、言われます」


フーリェンの返答は簡潔だが、冷たくはない。どこか水面のような、感情を落とさぬ柔らかな声だった。イレーネはカップに口をつけ、少し視線を逸らす。気まずさや緊張ではなく、言葉を探すような間だった。フーリェンはそんな彼女をしばし見つめ、ふと問いを投げる。


「……聞いてもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

「兄の、どこが……お好きなのですか」


その声は穏やかで、むしろ興味を隠さない誠実さがあった。イレーネは一瞬驚いたようにまばたきをし、それからカップをそっと置いた。


「……そうね。最初にお見かけしたのは、展示演武の時。堂々と剣舞を披露する姿が、まるで炎のようで……目が離せませんでした」

「……あれは、“演目”に近いものです」

「分かっています。けれど、私は、あの人の背中に誠実さと誇りを見ました。剣だけでなく、守るものを持つ人の強さです」


フーリェンはわずかに目を伏せる。イレーネのその評価は、護衛としての兄を見抜いている。それだけに、厄介な存在だとも思った。彼女の瞳は澄んでいた。王族に近づく欲ではなく、ただ人としてジンリェンを見ているようにさえ感じられる。フーリェンは、静かに紅茶をひと口すする。兄が悩むのも頷ける、そう思いながらも、フーリェンの口から次に紡がれる言葉は、ただ一言だった。


「ありがとうございます。その言葉は兄も………嬉しいはずです」


どこまでも無表情なその言葉に、彼女はそっと微笑んだ。やがて室内を、夏の風がふわりと吹き抜けていった。


「……不思議ですわね」


ふいに、イレーネがそう呟いた。穏やかな風が庭園を撫で、紅茶の香りがふわりと漂う。


「どうかされましたか?」


カップを置いたフーリェンが、静かに尋ねた。視線は令嬢に向けているが、表情にはほとんど変化がない。イレーネは微笑みを浮かべたまま、言葉を継ぐ。


「今日のあなたと、先日お目にかかったルージュ様……雰囲気が、少し似ていらっしゃる気がして」


フーリェンの胸の奥に、わずかな緊張が走った。

一瞬肩が強ばりかけたが、フーリェンはすぐにそれを内に押し込め、変わらぬ無表情で応じた。


「そうでしょうか。……彼女は、私とは正反対の方のように思いますが」

「そうかしら?……佇まいというのかしら……芯があるというか、控えめでありながら、しっかり周囲を見ていらっしゃる雰囲気があるような」


その言葉に、フーリェンはまたも心の奥がざわつくのを感じた。だが、それを表に出すことなく、彼はほんの少し首を傾げて返す。


「……なるほど。たしかに、兄の隣に立てる者となれば、それなりの芯は必要かもしれませんね」

「そう、思われます?」

「ええ。……兄は、穏やかそうに見えて、実は頑固で融通が利かないところもありますので。彼女のような方でなければ、務まらないかと」


それは、限りなく自分自身への評ともいえる言葉だった。フーリェンはその皮肉を意識しながらも、あくまで淡々と答えた。イレーネは、その返答に「ふふ」と笑みを浮かべた。


「……少し、安心しました。やはりご兄弟でいらっしゃる分、よくご存じなのですね」

「……まあ、長く一緒におりますから」


フーリェンはそうだけ言って、視線をやや逸らした。

知られてはいけないことがある。けれど、完全に嘘をつくのもまた苦しかった。“ルージュ”は仮の姿――けれど、演じたのは間違いなく自分だ。その姿を見て「お似合い」と言われたことも、演技で返した言葉も、今になって重たく胸に積もっていく。イレーネの言葉のひとつひとつが、どこか優しくて鋭くて、それだけにフーリェンの仮面を揺らす。


けれどその揺れを押し殺し、彼はまた静かに微笑んだ。


「……兄のことを、どうか、よく見ていて下さい」


それは曖昧な言い回しだった。けれど、今この場で彼が言える精一杯の、嘘と本音の混じった言葉だった。

対面に座るイレーネは、それにどこまで気づいているのか分からないまま、優雅に微笑みを返した。

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