顔合わせ2
夏の陽光が柔らかく差し込む庭園。整えられた芝と花々の間に、小さなテーブルと椅子が並べられている。紅茶と焼き菓子が並べられ、風に乗って柑橘系の香りがふんわりと漂っていた。ジンリェンは対面に座るイレーネに紅茶を注ぎながら、少しだけ目を伏せる。
「……この時期の庭は、花粉が少なくて助かります。実は私、春が苦手でして」
「意外ですわ。…演武のときは、風に舞う花びらの中で、まるで一幅の絵のようでしたのに」
イレーネが微笑みを浮かべながら言う。白いレースの手袋が、湯気を立てるカップをそっと持ち上げた。
「それは……演出のおかげです。実際は、くしゃみを堪えていたくらいで」
わずかに苦笑する。表向きは穏やかに交わされる会話――しかしその内心では、伝えるべき言葉をどう切り出すか、慎重に機を窺っていた。脳裏を過ぎるのは、面倒臭いとばかりに顔を顰めていた弟の姿。自分でも馬鹿らしいとは思っている、今回の"作戦"。だがここまで来た以上実行しないわけにはいかない。しばしの沈黙のあと。ジンリェンは静かにカップを置くと、正面の令嬢に視線を向けた。
「……イレーネ様」
「はい?」
「ひとつ、お伝えしておかねばならないことがあります」
イレーネの眉が、かすかに動く。これから自分の口から発せられる言葉に興味を示すかのようにこてりと小首を傾げるその仕草に、僅かに良心が顔を出しそうになるのをぐっと堪える。
「私には……心に決めた人がいます」
瞬間、イレーネの手が止まった。カップの縁で揺れた紅茶が、ごくわずかに波紋を広げる。
「……その方は…恋人、ですか」
彼女の声色は抑えられていたが、その指先はほんの一瞬だけ緊張に震えていた。
「はい。公にはしていません。……立場上、それが望ましくない場合もありますので」
淡々としたジンリェンの言葉に、イレーネは数秒、何かを咀嚼するように沈黙する。やがて、ゆっくりと笑みを取り戻した。
「そうでしたのね…。お恥ずかしながら、存じ上げませんでした」
ふたり分の茶器が並んだテーブル。その向かいに座るイレーネの表情は、わずかに張り詰めていた。礼儀を崩さぬ気品とともに、彼女は静かに言葉を紡ぐ。
「……もし、よろしければですが…お願いしても、いいでしょうか………貴方の、意中の方に、お目通りを」
控えめに告げられた言葉。ジンリェンは口元にうっすらと微笑みを乗せたまま、内心で小さく息を吐いた。もはや後には引けない芝居。ならば、やるべきことをやるまでだ。
「…わかりました。隠すようなことでもありませんので」
そう言って、そばに控えていたライヤンに目で合図を送る。一礼した犬獣人の青年が離れていくのを見送りながら、イレーネはそっと息を整えた。
「……私、調べましたの。ジンリェン様のこと。けれど、どこにも“恋人がいる”という情報は、ありませんでしたわ」
「さすがですね。身辺調査までされていたとは」
ジンリェンは笑みを浮かべたまま、あえて皮肉は混ぜずに応じる。だが、続く言葉には釘を刺すような意図があった。
「とはいえ、王宮の内情がすべて公になるほど、我々は甘くありません。意図的に、“隠されて”いたと理解していただければ」
その答えに、イレーネのまつげがわずかに震えた。けれど、それでも彼女は顔を崩さなかった。王族に近しい者へと嫁ぐ覚悟を持った者としての矜持が、彼女の所作を支えている。
「しばらくで到着するかと。……何か、気になることがあれば、どうぞ遠慮なく」
「ええ。ありがとうございます。……とても楽しみですわ」
芝居は、次の幕へ。
今度は、“本物の仮面”が、舞台に現れる番だった。