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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第5章
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顔合わせ

【登場人物】

イレーネ・タニス…タニス家の令嬢。展示演舞を見てジンリェンに恋をした。

ギルバート・タニス…タニス家当主。西を治める貴族。

数日後――。


王宮の正門前には、朝から厳重な警備が敷かれていた。夏にしては穏やかな南風が通り過ぎる中、豪奢な装飾を施した馬車が、石畳の道を軽やかに進む。その側面には、西方貴族タニス家の家紋。白銀の百合と陽光の意匠が掲げられたその馬車が、この訪問がただの社交辞令ではないことを強く主張していた。


門番が馬車に敬礼を送り、重い門が静かに開かれる。厩舎係が素早く駆け寄り、手綱を引きながら中庭へと導いた。


王宮の一角――正面の北門の前には、既に双子の白狐が並んでいた。白色に赤の刺繍の入った隊服を纏うジンリェンは、どこか居心地悪そうに首元を指先で引っ張る。


「……来ちまったか」


呟いた声には、すでに疲労が滲んでいる。その隣では、いつもと変わらぬ姿のフーリェンが静かに立っている。表情はやはり無機質で、感情の揺らぎは見えなかった。


「フー。もう少し……愛想よくしてくれると助かるんだが」


ぼやくような兄の声に、フーリェンはちらと横目を向けた。


「ルカ様の命で来ているだけ。笑顔を振りまく必要はないでしょ」


いつもの無表情で、事務的な口調。あくまで“御者の誘導と補助”という任務を果たすための同行――フーリェンの姿勢には、恋人役としての自覚はまだ一切見られない。


馬車が正面で止まり、御者が下りて扉を開く。


中から姿を現したのは、一人の令嬢――


年の頃は自分たちとそう変わらぬ二十歳前後。鮮やかな金糸の髪を編み上げ、淡いローズのドレスを身に纏っている。白磁の肌にやわらかな微笑みを浮かべ、品の良い立ち居振る舞いで馬車を降りてきた。


「――ジンリェン様、でいらっしゃいますね」


令嬢の視線は一瞬、並び立つ“双子”を見比べた。が、迷いなくジンリェンの方へと、視線を定める。鋭くも温かみのあるその目は、誰かに教えられたわけではなく自ら見抜いた者の目だった。


「お初にお目にかかります。タニス家のイレーネと申します。本日は、急なお願いにもかかわらず、お時間をいただき……誠にありがとうございます」


彼女はドレスの裾を摘み、小さく頭を下げた。堂々としながらも礼儀を忘れぬ態度に、ジンリェンはわずかに目を見張る。弟と自分は身長の違いこそあれど、顔立ちは瓜二つ。しかし、鍛錬による体つきの差、風格の違い――あるいは、立ち方、目の動き。それらを一瞬で見分けたこの令嬢は、侮れぬ相手だった。


「ようこそ、王宮へ。お迎えの任に当たりました、第一王子直属護衛のジンリェンと申します。……わざわざ、遠路お疲れ様でした」


ジンリェンもまた、微かに表情を整えて応じる。芝居のようなやり取りだが、相手が想像以上に礼儀をわきまえていたことに、少しだけ警戒が和らいだ。無言のまま立っていたフーリェンはさして興味もなさそうに視線を逸らすと、御者と使用人の対応に移った。荷物の受け取り、滞在時間の確認、控え室への案内手順――実務を黙々とこなしていく。


イレーネがちらりとフーリェンの背に視線を投げかける。そして次の瞬間、ほんのわずか目を見開いた。


「本当に……よく似ていらっしゃるのですね」


感嘆とも驚きともつかない声音。視線をフーリェンからジンリェンへと戻しながら、イレーネはわずかに頬を緩めた。


「まるで鏡写しのよう。展示演武の時は、遠目にしかお姿を見られませんでしたが、こうして近くからお顔を拝見しますと、そっくりですわ」


ジンリェンは口を開きかけたが、その答えが届くよりも早く、重みのある声が場に割って入った。


「似ているだろう?だが、立ち姿の違いは歴然だ」


馬車の陰から現れたのは、タニス家の当主――イレーネの父、ギルバート・タニス伯爵。年は五十を越え、頬の髭には白が混じっていたが、鍛えられた体躯とまっすぐな眼差しは、ただの貴族とは思えぬ風格を漂わせていた。


「ジンリェン殿は、敵にも味方にも隙を見せぬ構えをしておる。……なるほど、これが王家の護衛か」


伯爵の声は響きすぎず、しかし明確に場の空気を支配した。ただの護衛相手にここまで言葉を尽くすのは、武に対する真摯な敬意か――あるいは、娘のための事前の牽制か。ジンリェンは眉を僅かに動かしたが、即座に姿勢を正し、礼を取る。


「光栄です。タニス伯爵」

「応対も悪くない。……ここでの立ち話もなんだな。…イレーネ」

「はい、お父様」


父の一声に、イレーネが小さく頷く。ジンリェンは軽く礼をとると、そのまま歩き出した。


「ご案内します。こちらへ」


フーリェンは一礼し、御者と使用人たちの誘導を受け持つ。ジンリェンは弟に軽く目くばせすると、すぐに視線を伯爵とイレーネへと戻し、直属護衛としての気品をにじませながら王宮へと二人を案内した。





――――

「こちらが、応接間です」


慣れた手つきで、重厚な扉を押し開く。扉の奥には昼下がりの光が差す静謐な空間が広がっていた。窓辺に腰掛けていたアルフォンスが、ふたりの来訪を迎えるように立ち上がる。


「ようこそ、我が王宮へ。タニス殿」

「これは第一王子殿下。突然の申し出にも関わらず、ご対応いただき感謝の至りでございます」


礼を取る伯爵へと、アルフォンスも穏やかな笑みを浮かべて応じる。


「こちらこそ、護衛を気にかけてくださるとは光栄です。ジンリェンは私にとって、最も信頼のおける剣のひとつ。……その者を望まれるとは、娘君の目も確かというべきでしょうか」

「過分なお言葉。……ただ、娘が目を奪われたのは、あの演武で見せた『覚悟』ゆえ。剣技や力ではなく、その背中に――父として、それを見過ごすわけにはいきませんでした」

「背中、か」


アルフォンスが一度、静かに頷く。僅かに口角を上げ、"社交辞令"を終わらせる。


「さて。拙いもてなしで恐縮ではあるが、こちらへ」


軽く茶が振る舞われたあと、アルフォンスと伯爵の間ではわずかに政務に触れるような会話も交わされた。西部情勢の安定、王都との交易路の整備。タニス家がいかに内政に熱心であり、王政に協力的な姿勢を保ち続けているか――それはさりげなくも確かな“意図”を含んだ語りだった。話が一段落ついたところで、アルフォンスは傍に控えていたジンリェンへと振り返った。


「ジン。イレーネ嬢を案内してくれ。中庭でも庭園でも構わない、気を張らずに話せる場所が良いだろう」

「…はい」


その言葉に、ジンリェンは静かに頭を下げた。イレーネは静かに立ち上がり、アルフォンスへと一礼する。その背に父の視線が一瞬だけ注がれたが、彼は特に言葉を挟むことなく、再び席に腰を落ち着ける。


「それでは――ご案内いたします」


そうして、ジンリェンはイレーネとともに応接間を後にする。重苦しくはない。だが、決して軽くもない時間の始まりだった。

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