狐の一族
第四軍 アスラン編 完
初夏の陽射しが、整然と並ぶ軍の銀の鎧を反射していた。王宮の北門に集結するのは、アスラン軍。整列されたその隊列の前には、アルフォンスを筆頭とした四人の王子たちと、その直属護衛たちの姿があった。
「アスラン軍――これより、帰還いたします」
そう告げたのは、列の先頭に立つヘルガー。氷を纏った厳格な雰囲気は変わらずとも、声にはどこか穏やかな余韻があった。
一歩前に出たアルフォンスが、深くうなずく。
「合同訓練における成果、そして試練を越えた勇気に感謝する。アスランへ、我らの友誼を伝えてくれ」
続いてセオドアが言葉を添える。
「また我が兵士たちと共に剣を交える日を楽しみにしている。ヘルガー将軍、どうかご武運を」
ヘルガーが短く頷くと同時に、その背後で控えていたバルドやその他の隊員たちも敬礼を送った。
シュアンランは腕を組みながら、目を細めてアスラン軍の背を追い、ランシーとジンリェンは最後列にいたバルドと短く視線を交わす。そしてフーリェンはただ一人、その場で遠くの空を眺めていた。
**
――あの日、王宮に戻った直後。
夜の訓練場。兵士の姿もまばらな時間帯。月の光が静かに差し込む石畳の上で、白狐の兄弟とヘルガーの三人は再び顔を合わせていた。
「……まさか、あれほどの戦術を展開していたとは。シュアンランとアドルフの連携、そして各小隊の動き、どれをとってもなかなかのものだった」
そう口を開いたのは、他でもないヘルガーだった。ジンリェンは静かに一礼しながら言葉を繋ぐ。
「そちらが全力で来てくれたおかげです。俺たちも、存分に鍛えられました」
「謙遜するな。お前の統率があったからこそ、あれだけの数を一糸乱れず動かせた」
その言葉にジンリェンは苦笑を浮かべつつ、隣に立つ弟へとをちらりと視線を送る。
「……それにしても」
ジンリェンの目線に合わせて、ヘルガーの視線もまた彼へと移った。
「お前の“変化能力”、あれほどの精度と応用性を持つとは思わなかった。まるで別人になりきる……訓練でどうこうできる域ではない」
「………ただの応用です。元が身体強化に近い能力なので、多少の融通が効くだけです」
そう返しながらも、フーリェンの瞳は一瞬だけわずかに揺れた。しかし、ヘルガーはそれ以上を詮索することはしなかった。
「……最後の一閃、見事だった。氷に抗い、迷いなく槍を投げたあの瞬間……一軍の将が務まる器だと、確かに思った」
「……それは褒めすぎだ」
そう呟いたフーリェンの耳に、静かに乾いた風がぶつかる。ぴくりとくすぐったそうに片耳を動かす白狐の姿に、ふとヘルガーがぽつりと呟いた。
「……変化能力か」
フーリェンが静かにその言葉に目を向ける。視線が合ったのを確認したヘルガーは、やや首を傾げながら続けた。
「思い出しただけだ。東の国…シンよりもさらに奥……遥か昔、海を越えた山々の向こうにあったとされる国の話だ。滅びたと記録にはあるが……その地には、“変化の力”を持つ狐の獣人の一族がいたと聞いた」
「……変化?」
フーリェンが眉をわずかに動かす。その姿を見ながら、ヘルガーは語る。
「光に当たると、毛が金色に見えるほどの美しい茶色の毛並みをもっていたらしい。人の姿をとることも、獣人の姿の姿をとることもできた。……噂にすぎない話ではあるが……その変化の精度、そして戦場での“騙し”の能力に関しては、驚くべきものだったと」
「お前の能力は、似ていると思ってな。最初に見たとき、少しだけ……あの記述を思い出したんだ」
「ですが僕は……記述のような毛並は持ち合わせていません」
フーリェンは自分の狐の尾を見るようにして呟く。白く、ほのかに青味を帯びた毛並み。金でも茶でもない。
ヘルガーは頷く。
「そうだな、違う。だからこそ“似ているが別物”と、俺は思ったまでだ。ただ……血というのは、思わぬところで繋がっていることがある」
その言葉に、フーリェンは静かに思案するように目を伏せた。
「……くだらない」
珍しく、ジンリェンが明確に言葉を挟んだ。
「血の話をしても意味はない。過去に誰の血が流れていようと、その力は、こいつ自身の意志と力によるものだ」
少し強く響いたその言葉に、フーリェンもヘルガーも一瞬だけ沈黙した。フーリェンがそっとジンリェンを見上げると、彼は視線を逸らし、何事もなかったかのように口元を拭った。
「……すみません、少し熱くなりました」
「いや、気にするな」
ヘルガーはあくまで穏やかな声で返した。しかし内心、ジンリェンのほんの一瞬の“動揺”を見逃してはいなかったが、それを追求することはしなかった。
無用な詮索は、礼を欠く。
一方で、フーリェンは目を細め、兄の反応に小さな疑問を抱きながらも、ふと空を見上げた。夏の夜空の下、思いもよらなかった“東の狐”の話が、不思議と心に残る。
(……変化の力。かつて滅んだ一族)
それが、自分とどう関係しているのかは分からない。けれど、どこか懐かしさに近い感覚が、胸に淡く広がっていた。