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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第4章
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野営戦 ―終2―

兄と並んで朝の光をしばらく見ていたフーリェンだったが、やがて静かに立ち上がった。


「……もう、平気」

「そうか。じゃあ、俺も戻る」


立ち上がったジンリェンが、フーリェンの肩を軽く叩いた。


「お疲れ、フーリェン隊長」


その言葉にフーリェンは小さく息を吐いて、視線を逸らす。


「……ジンリェン隊長も、ね」


ジンリェンはそれ以上何も言わず、背を向けて歩き去る。その背を見送り、フーリェンはひとつ呼吸を整えた。疲労の残る足を踏み出す。だが、先ほどまでの重さはもうなかった。


戦の痕が残る中央を抜けながら、フーリェンは何人かの兵士たちとすれ違った。皆、陽動部隊として共に駆け抜けた仲間たちだ。


「おう、隊長……!」

「もう大丈夫ですか?」


口々にかけられる言葉に、フーリェンは小さく笑みを返し、手を挙げて応じた。そのまま歩いていくと、アドルフの姿も見えた。部下たちと片付けの指示をしていたところらしく、こちらに気づくと足を止める。


「……フーリェン」

「アドルフ…。お前たちの隊は、無事だったか?」

「お陰様でな。お前たちがいなけりゃ、俺たちは先に潰れてた」

「…そうか。こちらも、援護感謝する」


ふっと笑い合い、短い言葉で健闘を称え合う。そして、第四軍の天幕が並ぶ一角へとたどり着く。すでに各小隊に散っていた兵士たちが戻っており、鎧を脱ぎ、装備を手入れし、濡れた布を干す者の姿もあった。


「あ、隊長だ!」

「おかえりなさい!」


気づいた兵士たちが次々と声をかけてくる。


「…全員、戻ってるか?」

「はい、揃ってます。脱落者ゼロです!」


誰かがそう答えると、その場にいた兵士たちが「おおっ」と歓声を上げる。


「……上出来だ。お前たちはこの戦、十分に役目を果たした」


フーリェンの言葉に、笑顔と敬礼が返る。


「――あっ、アンナ!」


誰かの声が上がり、兵士たちの視線が一斉に天幕の奥へと向いた。そちらへと視線を戻すと、本部から戻ってきたアンナが、泥の跳ねた軍装のまま歩いてくる。小柄な体に似合わぬ重圧を背負っていた少女将が、今はただの一人の兵士として、仲間の輪へと戻ってきた。


「アンナ隊長!」

「今日のMVP来たぞ!」


冗談混じりの声が飛ぶ中、アンナは何も言わずフーリェンの姿を探した。


そして、彼を見つけた瞬間――


「――フーリェン隊長!」


そのままフーリェンの前に駆け寄った彼女は、何も言わず、ぐっと眉を寄せて顔を伏せ――次の瞬間、涙が頬をつたって零れた。


「……す、すみません……!」


泣くまいと唇を噛みしめながらも、込み上げるものを堪えきれないようだった。堰を切ったように涙があふれ、しゃくり上げるような嗚咽が上がる。隊の面々がざわめきながら、笑い声と共に視線を向けた。フーリェンはというと、そんなアンナを前に無表情を保っていたが、彼の白色の耳がわずかにぴくりと動いていた。


「……泣くな。よく、役を果たしたな」


いつものように平坦な声だったが、その手は不器用にアンナの背を支えていた。兵士たちの笑い声が、天幕の周囲に柔らかく広がる。泣きじゃくるアンナと、それに戸惑いながらも受け止めるフーリェン。それは、たった今までの激戦の気配を払うような、あまりにも穏やかな――戦の終わりの風景だった。


――――

土埃が舞う戦場に、朝日が差し込む。


折り重なる天幕と荷物、手慣れた手つきで動く兵士たちの間を、白銀の霜をまだ身に纏ったままの男が歩いていた。


「……おい、霜ついたままだぞ」


低く響く声に足を止めると、赤茶の髪を無造作に後ろで束ねた獅子が腰に手を当てて立っていた。シュアンランは少しだけ眉を上げると、自身の肩に積もる霜を軽く払って見せる。


「……思ったよりも食い込まれた」

「そりゃまあ、そうだろうさ」


ランシーが笑み混じりに言う。その余裕の笑みに、シュアンランの目が細められる。


「決着は?」

「……ついてない」


短く返したその声には、確かな悔しさが滲んでいた。それでも、満足気に見えるのは、全力を出し切れた証か、それとも――


「次こそは……決めてやる」

「へえ。次があるって言い切るあたり、元気そうでなによりだな」


そう言って、ランシーは軽く腕を組んだ。鋼のような腕も鎧も、ほとんど汚れ一つない。それを見たシュアンランが、口元をわずかに緩める。


「相変わらずだな。……何で戦場の防衛張ってて、傷一つないんだ、お前は」

「屈強さと頑丈さが取り柄だからな。お前らの繊細な戦いには向いてないけどさ」


さらりと返すランシーの言葉に、シュアンランは肩をすくめる。


「……そういうお前の立ち回り、嫌いじゃないよ」


その言葉に、二人の間に小さな沈黙が落ちる。けれど、それは気まずいものではなく、戦を終えた者だけが分かち合える、静かな敬意だった。


「……お疲れさま」

「ああ、お前もな」


一言だけを交わして、二人はそれぞれの持ち場へと歩き出した。





――――

戦いのあとの静寂をまとい、アスランとフェルディナの合同部隊が王宮へと帰還の途についた。訓練地の野営場を後にした彼らは、互いに距離を保ちつつも、混じり合った隊列を乱さずに進んでいる。夜明けはとうに過ぎ、東の空が金色に染まっている。


その行列の一角、アスラン側の先頭を進むヘルガーの傍らで黙々と進んでいたバルドの耳が、微かに風を切る音を拾った。鋭く、何かを測るような重み。遠くからこちらを試すように注がれているそれに対して眉を寄せたバルドが目線を巡らせると、それより一瞬早く、隣のヘルガーが低く言った。


「……気付いたか」

「はい。尾行、いや……これは偵察でしょうか」

「察しがいい。オルカだ」


ぴくりと、バルドの眉がわずかに動く。視線の先――草木が風に揺れるだけの静かな丘の端。その影に紛れている者がいる。見えてはいない。だが確かに、そこに“誰かがいる”という実感があった。


「あの距離なら、フェルディナも気付いているはずだ」


そう言ったヘルガーの視線の先、列の後方――フェルディナの隊列の中。


シュアンランは、ちらと肩越しに振り返った。感知したのは空気の密度の変化。風の流れが、わずかに別の何かにぶつかっている。続いて、中央付近を歩くジンリェンも、静かに槍を握り直す。感覚の奥で、冷えた視線が皮膚をかすめたのを確かに感じていた。さらにその斜め後方、ランシーも耳をぴくりと動かす。


「……誰か、見てやがるな」


そうぼやきながらも、その方向へ明確に顔を向けることはない。獅子の勘は、無用な挑発を避ける術も心得ていた。そして最後に、隊の端にいたフーリェンもまた風の中に混じるわずかな違和感に気付き、瞳を細める。


「……オルカ」


小さく呟いたその言葉は、誰の耳にも届かず、風に乗って空へと登っていったのだった。

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