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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第4章
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野営戦 -終-

夜空を裂く一閃。凍てつく風すらも引き裂くような、剣の軌跡が走る。シュアンランの全身から放たれた、氷のすべてを込めた渾身の一撃。

 

その刃が、まさにヘルガーの胸元へ届こうとした、その時だった――。


「……ッ!」


空に、白銀ののろしが上がった。


一筋の光が、明け方の静かな空を駆ける。


フェルディナ軍の本部から、勝利を告げる信号――


ピタリと時間が止まったようだった。氷の刃の先に、ほんのわずか息を飲んだヘルガーの姿が写った。何も言わずに剣を引いたのは、シュアンランの方だった。


手首の角度を緩め、大刀を氷の粒と共に解かす。足元を覆っていた氷も同時に融け始め、静かに、戦場の空気がもとの冷たい静寂へと戻っていく。


「……終わり、か」


氷に包まれた視界の先で、ヘルガーが短く呟いた。


驚きと納得と、ほんのわずかな感情の色を、彼は隠さなかった。唇の端に僅かな皺を寄せて、鋭くも静かな視線を、正面に立つ狼男へと向ける。


「バルドが落とされたか……俺の見立てが、甘かったということだ」


シュアンランは言葉を返さないまま、ただ無言で頷いた。大刀を氷へと還し、息を一つ吐く。


「……あのまま撃っていれば、俺の胸を裂けたか?」


ヘルガーの問いに、シュアンランはようやく言葉を返す。


「そうだな。だけど、お前も反撃の準備をしていただろう」

「……そうだ。お前が止まらなければ、どちらかが倒れた。もしかしたら、両方かもな」


互いの能力も、間合いも、そして精神の在り方すらも知っている――そんな二人にだけ許された、氷と氷のやり取り。


「…ここまでやられるとはな。今回は、俺の負けだ」


ヘルガーが肩をすくめた。そんな彼に向かってシュアンランが静かに歩み寄りる。互いの距離が一歩詰まる。


「……俺は、勝ちとは認められないな」

「…そうか。それなら、次に期待するしかないな」


ヘルガーの言葉に、シュアンランは目を伏せた。


数秒の間の後――氷の気配が完全に霧散した。


「退く。お前たちの手際、見事だった。……フーリェンにも、そう伝えておけ」


シュアンランは目だけで頷く。ヘルガーはくぐもった笑いを一つだけ残すと、くるりと踵を返した。彼に従っていた残兵たちも、それぞれに傷を抱えたまま、夜の森の奥へと退いていく。やがて、彼らの気配が完全に消えたその場に、しんとした冷気だけが残った。


――――

夜が明けかけている。


勝利の狼煙を天幕から見上げた戦死組は、喜びの歓声をあげてひとしきり騒いだ後、弾む心をそのままに撤収作業へと移っていった。そんな兵士たちの声を聞きながら、フーリェンは能力の反動の残る身体を近くの木に預け、明け方の光を浴びていた。生ぬるく吹き付ける夏の風が、彼の白髪を優しく撫でる。その時、足音が二歩、三歩と近づく気配に、彼の耳がぴくりと動いた。


「………どうしたの」


その声に、近づいてきた影が立ち止まる。ゆっくりと目を開けたフーリェンが顔を向けると、そこにいたのは、中央防衛を担っていた兄――ジンリェンだった。


「…様子を見に来た」


ジンリェンはフーリェンの隣に腰を下ろすと、ちらと弟の顔を覗き見る。


「少し顔色が悪いな。反動か?」

「…うん。……でも、そろそろ動ける」

「そうか」


ジンリェンは静かに頷き、空を仰ぐように目を細める。朝の光が、じんわりと二人の影を伸ばしていた。しばらくの沈黙の後、兄の視線がふと、弟の腰のポーチへと落ちた。開かれたままの口が空であることを確認して、彼は少しだけ口角を上げる。


「……で、あれは役に立ったか?」


淡々とした問いかけ。だがそこには、弟に託したものへの確かな関心と、少しのからかいが混ざっていた。


フーリェンは苦笑しながら肩をすくめる。


「……一度、全員凍った。お陰様で、次の瞬間には動けた」

「それは良かった」

「でもやっぱり、……使うとしんどい」

「それでも、大したもんだよ」


そう言ってジンリェンはさらりとした顔をしている。


フーリェンはそこで小さく笑い、目を細めた。そこには安堵と、兄の力を借りねばならなかったことへのほんの少しの悔しさが、同時に滲んでいた。


「……ずるいな、ジンは。なんでも一人でやれる顔してさ」

「お前にだけは言われたくない」


静かな言葉のやり取りの中、どこか緊張が解けていく。戦いの夜が明け、ようやく兄弟が並んで座る、その時間が訪れたのだった。

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