第四章 野営戦 ―戦死―
「……陽動隊、戦死につき帰還した」
天幕を音もなく入るフーリェンの声は、わずかに掠れていた。戦場からの撤退を命じられた者だけが踏み入ることとなる後方天幕。そこは、戦死判定を受けた者たちが束の間の休息を得る“死者の帰還地”だった。
フェルディナ軍・陽動部隊。
フーリェンを先頭に、その姿を現した彼らは、衣の端にまだ氷の痕を残し、歩を進める。
「おかえり、隊長さんよ」
土埃まみれの大柄な体――猪の獣人、ダズール。
南西の境界線を任されていた盾役の男は、すでに“戦死”判定を受けて戻っていた。
「……生きているか?」
「そっちこそ、あの氷の狼相手によう真正面からいったな」
互いに一瞬目を見交わしたあと、珍しく軽い冗談を飛ばすフーリェンに、ダズールがこたえる。
フーリェンはそれに浅く頷くと、静かに隊員たちを振り返った。
「……よく動いた。全員、だ」
彼の言葉に、陽動隊の面々が一斉に顔を上げる。
「本来なら、………あの状況で正面突破は駄策でしかない。だが……お前たちの動きと判断が、…僕にそう判断させた」
静かに告げられた言葉には、隊員たちに対する確かな信頼と敬意が宿っていた。
「冷気の中でも目を逸らさず、氷をかわし、陣形を崩さなかった。あのタイミングで援護に入った判断も的確だった」
隣にいたダズールが、うんうんと頷く。
「お前ら、立派だったよ。これが模擬戦じゃなけりゃ、今ごろお前ら全員、氷の墓標だ」
その冗談に、少し場が和らぐ。
「もちろん、今回の野営戦は模擬戦だ。命に関わる戦闘ではない。でも、……今日のお前たちは、誇っていい」
仲間のひとりが、そっと声を上げる。
「隊長も、最後まで……引かなかったっす」
「……当たり前だ」
そう言ったフーの声音には、いつものような無表情の裏に、確かな熱があった。
「僕が引いたら、誰があの氷を割るんだ」
静かに告げた言葉に、隊員たちが再び姿勢を正す。それは、軍の士気というよりも、個人への尊敬によるものだった。
「……今夜の動きが、次にどう活きるか。そこを考えろ」
「了解!」
隊員たちの声に、フーリェンはようやく体の力を抜いた。そのまま少しだけ視線を逸らし、ゆっくりと腰を下ろす。その動きが、想像以上に重く、鈍いものであることに仲間たちは気付いた。いつもは無表情な白狐の顔に、かすかに疲労の色が浮かぶ。
「ちょっと……休む」
「お前も、よくやったな。今日は……ここにいる全員が、お前に命を預けたんだからな」
ダズールの低く太い声に、フーリェンは目を閉じたまま、小さく笑った。
「……預かって、返しただけだよ」
夜風が、天幕の布を軽く揺らす。
戦場の喧噪から遠く離れたその場所で、彼らはわずかな安堵の息をついた。