第4話 例のアイツ
闇夜の空気を裂くように、男の怒声が響いた。
「お前達人間のせいだ、俺達は人間のせいで行き場を
無くしたんだ! 許さねえ…絶対に許さねえ…!」
妖……男は血走った目で暁楓達を睨みつけながら、
ゆらゆらと不安定な足取りで接近してくる。怨嗟が
空気を刺した。
「近頃君達みたな奴が続出しててさぁ、聞き飽きたん
だよね、その台詞」
そう言ったのは、彼女の相方の冬木。口元に笑みを
浮かべながらもその視線は冷たかった。
「大体さあ、霊力の無い人間は君たちのことなんて
見えないし、知った事じゃないでしょ?だから
大人しくしてくれない?」
言葉は軽いが、その足元には風が蠢いていた。銃を
構える冬木に、妖の男は更に顔を歪めた。
「ふざけるな!殺す…!お前らを殺して妖だけの
世界にしてやる…!」
「はぁ…暁楓ちゃん」
冬木は暁楓に軽く目配せした。
「――はい、行きますよ、鎌鼬さん」
「……ああ」
鎌鼬は刀に変身し暁楓がそれを持ち、姿勢を低くして構えた。
「『一閃』」
風のような素早い斬撃が妖の男を軽く切り裂いた。
「!ぐあっ…!」
妖の男は一瞬のうちに倒れ、地面に崩れ落ちて意識を失ってしまった。
「よし、峰打ちで倒す任務完了! 早く帰ろうよ」
「……」
「ん? どうしたのさ、暁楓ちゃん」
「……何か、複雑ですね。彼の言っていることは
間違いじゃない」
口に出した瞬間、胸の奥に鈍い重さが広がった。
「んー…そうは言っても、人間と妖は一生分かり
合えないと思うよ?」
冬木は肩をすくめるように続けた。
「だってお互いが自分達のことしか考えてないん
だからさ。僕達は言われた通りに命令をこなせば
いい…私情なんて要らないよ」
その目はどこか遠くを見ていた。
「……そう、ですか……」
返事をしながらも、私の中には確かな違和感が残った
ままだった。
私が黄泉ノ桃源に入り、祓志士になってから3週間が
過ぎた。私の武器である刀は届くまで暫くかかる為、
その間は鎌鼬さんが刀に変身してくれる事になった。
ちなみに、過集中は八岐さんの案で過集中という名前になり、ダサいようなカッコいいような…よく分からない名前だと思った。
だが、まだ10秒程しか続かない事や体に負荷がかかるなど課題は山積みだった。
…そして1つ、私は大きな発見をした。それは……
「また煙草ですか」
「んー、休憩中ぐらい良いじゃない」
「駄目です、鎌鼬さんの体に悪いですよ」
「あはは、自分の心配じゃないんだ?」
「動物は特に敏感ですから危険です」
「え〜屋上だし本人居ないから良いと思うけどなあ」
「……あの人が私の事、煙草臭いって言うんですよ」
「まぁそうだろうね、君が1番傍に居るし。臭いが
つくのは当然だよ。嫌なら別に離れてもいいん
だよ?」
「何言ってるんですか、私は貴方の相方なんですから
何かやらかしたら怒られるのは私なんですよ?
だから逃げないように貴方を監視してるんです。
たとえ彼に何と言われようが、です」
「あはは、サボり常習犯を監視なんて君も変わってる
よね〜」
「貴方が何度サボろうが説得して連れて帰ります、
それが相方の役目ですから」
「…ふ〜ん、一丁前に言うようになったじゃない。
そういえば最近よく鎌鼬君と居るけど仲良いの?」
「?あぁ、同居してますから」
それを聞いた途端、冬木は咥えていた煙草を落とし
そうになった。
「ど、同居…?え、鎌鼬君の部屋ってあったよね…?
…何さ、2人は恋人同士なの?」
「いえ、そういうわけではありませんが」
「あー…そっか。なら良いんだけど。でも男と同居
って大丈夫なの?」
「?可愛いですよ、癒されますし。もふもふです」
「いやそういうんじゃなくてさぁ……あーもう、
君って異性とか意識しないタイプでしょ」
「してます」
「本当に〜?」
「オスメスの」
「男女じゃなくてオスメス!?ど、動物だよね
それ!?」
「人間も動物ですよ」
「いやうん、まぁ…そういうんじゃないんだよ!」
「…ふっ」
「ーーお楽しみな所悪いんだが、大事件だ」
「!か、鎌鼬君…!?い、いつから居たの…?」
「暁楓がお前をからかい始めた時からだが」
「え、やっぱ僕からかわれてたの?ねえ暁楓ちゃん、
僕の事からかってたの?」
「鎌鼬さん、大事件って何ですか」
(無視された)
「ああ、猫又探しの報告書がまだだろう。早く出せと
麒麟が言っていた」
「…冬木さん、あの報告書は書き終わったって言って
ませんでしたか」
「あはは……そ、そうだっけ…?」
「早くしないと取り立て人が
来るぞ」
「取り立て人?」
その時だった。勢いよく屋上の扉が開かれ、信じられないぐらい笑顔の八岐が刀を抜きながらやって来た。
「あ…何かヤバい予感……」
「よぉ、お前ら随分楽しそう
じゃねぇかぃ。こんな所で何やってんだァ?
ヒック!」
「…鎌鼬さん」
「……ああ、分かった」
鎌鼬は人間の姿に変身し、暁楓を抱えて急いで屋上
から出て行ってしまった。
「ぼ、僕も連れてってよー!」
「お前は駄目だぜ冬木ィ」
「…な、何でっスか……?」
「そうかぃ、身に覚えが無ぇってんなら仕方ねえなァ
力ずくで思い出させてやらァ」
「し、祓志士同士の争いは厳禁っスよ!あと仕事中の
飲酒も!」
「あ?何言ってんだ?俺が言いてえのはこれに
ついてだ」
彼は1枚の紙を着物からぶっきらぼうに取り出した。
「?これ、前やった暁楓ちゃんの健康診断の
結果っスか?何で八岐さんが…」
「決まってんだろ、アイツの部屋のポストに入ってた
物を盗って来たんだ」
「…犯罪っスよ、それ」
「何言ってんだ、ポスト壊してねぇからセーフに
決まってらァ。で、問題は中身だ、見てみろ」
「えーっと、身長158cm、体重は53kg…
スリーサイズは……」
「そこじゃねえ、もっと下だ」
「え?うーん…」
「遺伝子検査の結果を見ろ」
「…!これって……」
「なかなか面白えだろ?アイツは人間だ。半分はな」
「……半分は人間じゃないって言いたいんスか?
でも完全に気配は人間っスよ」
「さあな、何で気配が人間なのかは分からねえ。だが
考えてみろ。今まで妖が視えなかった人間が突然
視えるようになるってのはおかしな話だろ?それも
俺と出会ってすぐにな。」
「…どういう意味っスか八岐さん」
「ーー俺はその辺に居る妖とは比べ物にならねぇ
ぐらいの霊力を持ってる。これは予想でしか無ぇが
アイツが潜在的に持ってた霊力を俺が覚醒させ
ちまったんじゃねぇかってなァ」
「!」
八岐は刀を鞘にしまいながら言った。
「こんな話、直接アイツに言えば混乱するだろ?
だからアイツらが逃げるように仕向けたんだ」
「……まぁ刀持ってる人が近づいて来れば誰でも
逃げますからね。でも良かった〜僕はてっきり、
猫又探しの報告書がまだだから取り立てに来たの
かと…」
「ほぉ、何でぇそうだったのかぃ。そいつァ
初耳だなァ」
「え…?」
「よし、今日は終わるまで残業だぜ〜勿論、あの
2人と一緒になァ」
「え、えええええええっ!?」
その後、30分経たないうちに2人は確保されて冬木の監視役にさせられた。
「…冬木さんのせいですよ」
「ああ」
「だってさぁ…」
「言い訳は見苦しいぜぇ冬木」
「……大体アンタのせいっスよ」
「ん?まぁそうかもしれねぇなァ」
「そもそも報告書を書いたと嘘をついたお前が悪い
だろう」
「そ、それは忙しかったから…」
「カフェに行って、屋上でサボっている人が忙しい
とは考えにくいですが」
「か、暁楓ちゃんまで…はぁ〜、何だかやる気無くし
ちゃったよ……」
「なら、これ書き終わったら何か食いに行かねぇ
かい?」
「!」
「い、良いんスか…!?」
「あァ、偶には奢ってやらァ。何処がいい?」
「寿司!寿司が良いっス!」
「そうかぃ、じゃあ近くにある高級寿司にでも
行くかァ」
「やったー!やったよ暁楓ちゃん!」
「…はあ」
「口より手を動かせ」
「君に言われなくても分かってるっての。こんなの
僕が本気を出せばすぐ終わるよ」
「ふはは!なら暁楓みてぇに過集中してとっとと
終わらせろ」
「あ、あれはさすがに無理っスよ……だって
暁楓ちゃんのあれは人間離れしてますから」
「…技名変えませんか」
「あ?カッコいいだろぉ?」
「……いいですか八岐さん、あれを叫んで使うと
すれば叫んでる間にやられる可能性があるんです。
たとえ黙って使うとしても、4秒ぐらいかかるん
ですよあれ」
「ならお前はどんな名前が良いと
思ってる?」
「普通に過集中で良いと思います」
「それだとカッコよさが足りねぇだろうが」
「なら八岐さんはどんな技名つけてるんですか?」
「俺ァ特に技は無ぇからなァ……」
「え、無いんですか」
「おうよ、俺はいつも何となくで戦ってるからなァ。
特に決まった型や技は無ぇんだ」
「へぇ…それもそれでカッコいいですね」
「ふははは!そうさなぁ、刀の名前はあるぜ」
「刀の名前?」
「俺の刀の名前はーー」
「終わったー!」
「おう、終わったか。よく頑張ったなァ。今は5時
だから少し夕飯には早ぇが…」
「……」
鎌鼬は鼬の姿に戻ると眠そうに暁楓の膝に擦り寄って来た。
「いや、鎌鼬さんが寝る前に行きましょう」
「あ、そうだ。僕、1度鎌鼬君に触ってみたかったん
だよね〜寝てる今なら大丈夫かな」
冬木が鎌鼬の尻尾に触れると、鎌鼬はびっくりして
跳ね起き、彼を睨みつけた。
「…気安く触るな」
「えぇ…暁楓ちゃんとの態度の違い……っていうか
君、僕の事嫌いだよね?」
数十分後、4人は軽く準備を済ませて店へ向かった。
八岐さんが言っていた寿司屋は、祓志士の御用達の
店で美味しいと評判だった。冬木さんはひたすら1番
高い鮪を頼み、八岐さんは高い酒と店主オススメの
寿司を食べ、鎌鼬さんは私が頼んだ寿司を勝手に
つまみ食いしていた。
気がつくと店内は多くの客で賑わっていた。
(……義父さんとはこういう所には来た事
無かったな)
「ーー珍しい瞳の色ですね」
「ん…?」
ふと顔を上げると背の高い中性的な顔立ちをした
女性…いや、男性が居た。彼は私に軽く微笑むと隣に
座った。
「私は貴女のような綺麗な真紅の瞳をした人を知って
います」
「はあ」
「そうですね…彼と最後に会ったのはかれこれ
1000年近く前になるでしょうか」
「!…貴方は人間ではないんですね」
「えぇ、私は人間でもなければ妖でもありません。
ですが貴女達と同じ祓志士です」
(こんな人見た事無いが…本当に祓志士なのか?)
「フフ…まあ警戒するのも無理はありません。
私はあまり表には出ませんから会う機会も
無いでしょう」
「表に出ない……?」
「はい、普段は図書館の奥の方で報告書の整理を
したり、手が空けば本の入れ替えなどをしてい
ますよ」
「裏方の仕事、という事ですか」
「そうですね、あまり人と会わない仕事なので偶に
賑やかな場所が恋しくなる事があるんです。
そんな時は此処に来ているんですよ。貴女は何故
此処へ?」
「……まぁ付き合いみたいなものです」
彼女がそう言った時だった。
「あーーーっ!!」
冬木がざわついている店内でも聞こえるような大声を
出し、彼女の隣に座っていた男を指差した。
「アンタ…何で此処に居るんだよ……!」
「おや?隆之介ではないですか、7年ぶりですね。
元気にしていましたか?」
「見ての通り元気だっての!俺はもう
アンタの顔を見ない日々が続いて最高だって思って
たのに、何で此処にアンタが居るんだよ!」
「ふむ…素が出ていますよ。1人称は『俺』ではなく
『僕』に直せと言ったはずでしょう聞き分けのない子
ですね」
「うっさいなぁ……!ごちゃごちゃ言ってないで早く
地獄に帰りなよ!」
「やれやれ、嫌われたものですね…昔はもっと冷静で
淡々とした子だったというのに何故こうなって
しまったのか不思議でなりません」
「っ…昔話なんてしなくていいだろ……!」
「貴女は…奏さんは彼の昔話を聞きたいですか?」
「!私の名を知っているんですか」
「はい、貴女はとても有名ですよ。とても…ね」
私は彼の不敵な笑みに思わず寒気がした。
「ぷはぁっ!何でぇ、懐かしい奴が居るじゃねぇ
かぃ」
「八岐大蛇…ですか」
「俺ァ言ったはずだぜ?次会ったら斬るってなァ」
彼はそう言うと刀の鍔に手をかけた。
「店内でそんな物騒な物を出さないで頂けませんか」
「死にたくなきゃとっとと地獄に帰った方が
身の為だぜ小野篁」
「怖い怖い…近頃は物騒になりましたね……まぁ
良いでしょう、今日の目的は果たせましたので
退散するとしましょうか」
「目的…?」
「はい、ぜひ貴女にお会いしたかったんです。
こうして実際に会ってみると彼の方によく似て
いますね……実に興味深い」
「この子に気安く近寄らないでくれる?とっとと
帰んなよ地獄にさぁ」
「フッフッフッ、可愛げのない弟子ですね。では
ご機嫌よう諸君、必ず貴方達とはまた何処かで
お会いしましょう」
篁はそう言って代金を支払うと店から出て行った。
しかし、店内は水を打ったように静かになって
しまった。
「冬木さん、さっきの人は一体…」
「……アイツ、元祓志士で僕の師匠なんだよ」
「!」
「暁楓、あの男は黄泉ノ桃源を…人間を滅亡させる為
に何十年、何百年に渡って現世の情報を閻魔天と
呼ばれる奴に流しててなァ、つい7年前にそれが
見つかって地獄に追放されたんだ」
「地獄…閻魔天……?」
「あー…えっとね。実は今から2000年以上前に現世で
その閻魔天達との大きな戦争があってね、現世が
壊滅状態に陥ったんだよ。勿論、この時は
今みたいな感じじゃなかったから人間も妖も関係
なく地獄の奴らと戦ったんだけど、なすすべが
無かったんだ」
「それだけアイツらが強かったって事だなァ。
…いや、閻魔天が異常に強かった。あの時ばかりは
死ぬかと思ったぜぇ?それで黄泉ノ桃源の社長の
伊弉諾のジジイと武甕槌のジイさん達の案で
封印する事にしたんだがよぉ…出来なかったんだ」
「出来なかった……?」
「ああ、アイツを地獄へ引きずり戻して現世に
来れなくする程度の弱い封印しか出来なくてなァ…
しかも、閻魔天の野郎は厄介な事に現世に半身を
残してやがった」
「それは…大丈夫なんですか……?」
「さぁなァ、結局俺らはその半身を見つける事が
出来ずに此処まで呑気に暮らしてるってわけ
だぜぃ」
「……じゃあさっきの人は閻魔天の協力者だったと
いう事ですか。となればさっき図書館で働いていた
と言っていたのは嘘…」
「まぁそうなるなァ…ちなみに、冬木の元相方だぜ」
「………嫌いだったけどね。色々教えてくれたよ、
銃の扱いとかもアイツから教わったんだ。凄い
優しくてちょっと胡散臭かったけどさ。だからその
事実を知った時は裏切られたって思ったし…何か
寂しく思っちゃったかな」
(ーーああ、冬木さんはあの人に未練があるのか…)
「その…さ、暁楓ちゃんは僕の目の前から居なく
ならないで欲しいなー……なんて。近くに居れば
守ってあげられるし、何かあったら話せる
じゃない?」
「ふははははは!何でぇ、なかなかお前
らしくない台詞を言うじゃねえか!ふははは!!
笑い過ぎて腹痛ぇぜぇ!」
「ど、どんだけ笑うんスか八岐さん…あ!
べ、別にそういう意味じゃないからね!?」
「……何言ってるんですか冬木さん」
(あ、呆れられちゃったかな…?)
「相方の支えになるのは当然の事です、改めて
これからよろしくお願いします」
「!はあ…何だかなぁ……普通そういうの照れる
っての…よくそんな顔で言えるよね君……」
「?」
「あーもう!今日はひたすらいっぱい食べるぞー!」
「おい、俺の金だって事忘れんなよ冬木」
「あ…はい。あれ?もしかして、鎌鼬君寝てるの?」
「そう……みたいですね」
暁楓が彼の頭をそっと撫でると微かに尻尾を振った
気がした。
「よくあんな大騒動の中で寝れるよねー…」
「恐らく、鎌鼬さんはずっと人が居ない森の中で
暮らしていたので人混みだと疲れてしまうんだと
思います」
「おー、もっふもふじゃねぇかぃ。良い毛並み
だねぇ〜」
「……何で八岐さんが触っても良いのに、僕だけ駄目
なんだろ」
「それはなァ冬木、お前が邪な事考えてる
からに決まってるだろうがよ」
「ええ!?僕そんな事考えてないっスよ!
暁楓ちゃんもそう思うよね!?」
「ノーコメントで」
「何で!?」
「ふはは!まぁ今日の所はとっとと撤退するかァ……
おらよ、代金だ。釣りは要らねえぜご馳走さん」
「ご馳走様でした」
私達はそう言って寿司屋を後にした。