伯爵令嬢だって抗いたい!
「お父様、それは横暴ですわ!」
私はお父様の書斎で声を上げていた。
お父様は私を細い目で睨み付けながら、ゆっくりと告げる。
「お前は十五歳、立派に成人した。ならば婚姻しても問題ないだろうが」
「大有りです! まだギュンター様との婚約期間は三か月ですわよ?!
婚約半年未満での婚姻など、聞いたことがありません!」
お父様が大きく息をついた。
「ヒンツ侯爵令息がお前を望んでいる。『早く婚姻したい』とな。
先方が強く望むなら、応じざるを得ないだろう」
――だから、それが嫌だって言ってるんでしょう?!
「私はそれに応じられません! リードル伯爵家の娘として、胸を張れないことはできませんわ!」
「――くどい。これは決定事項だ。
お前は父親の言う事を聞いていれば良い」
お父様は古臭い慣習に囚われた、『娘は父親の言う事を聞くものだ』という考えの人だ。
ここまで頑なになったお父様を説得することは、もう無理だろう。
私は小さく息をついて応える。
「わかりました。それがお父様のお考えなのですね?」
お父様が頷いて告げる。
「わかったなら午後からウェディングドレスの為に採寸をし直してこい。
お前の晴れの舞台だ、ドレスのデザインも、注文があればその時に言え」
私はそれ以上何も言わず、身を翻してお父様に背を向け、書斎を後にした。
廊下を歩きながら、私はこれからの事を考える。
ギュンター様は格上の令息、向こうが私を見染め、婚約を持ち掛けてきた。
まだ未成年の十四歳だった私に、何度も節度を超えた接触を図ってきたギュンター様に対する私の心証など、推して知るべしだ。
私は応接間のドアを開け、中のギュンター様に告げる。
「お父様にも確認してきましたわ。ギュンター様は本気で婚姻を強行しようとなさっているのね」
中に居たダークブラウンの髪色をした痩身の男性――ギュンター様が、スッと立ち上がって私に近寄ってくる。
「だからそう言っただろう。もう私の心はお前の虜なのだ。
ああ! 早くお前の絹のように美しい肌を、我が手で味わいたい!」
余りの言葉に、部屋で控えていた侍女たちの顔も歪んだ。正直に言ってキモい。
私も顔をしかめながら、近寄ってこようとするギュンター様から距離を取る。
「……あなた方の意向は理解しました。ですが今日はお引き取り下さい。
申し訳ありませんが、これから用事がありますの。
お父様の命令ですので、ギュンター様もご理解いただけますわよね?」
ギュンター様の目が私の胸で止まり、ニマリと微笑んだ。
「ああ、挙式のためにドレスを用意するんだね? もちろん理解するとも」
名残惜しそうに私の胸を見つめたギュンター様は、ゆっくりと応接間から立ち去っていった。
彼の気配が遠くなってから、私はソファに倒れ込む。
「……信じられない。女を身体でしか見てないじゃない、あの人」
「ベルナルディーネ様、お気を確かに」
侍女たちが駆け寄って来てくれて、私を支え起こしてくれた。
「ありがとう。……そうね、脱力してる場合じゃないわ。やることをやらないと」
私は出かける準備をするため、ふらふらと自分の部屋へ向かった。
****
部屋に戻った私は、侍女たちに「ちょっと心を落ち着けたいの。お昼になったら呼びに来て頂戴」と告げ、部屋の扉を閉めた。
早速、以前から準備をしていた荷物を革袋に詰め、身支度を整えていく。
ドレスを脱ぎ、動きやすいチュニックとショートパンツ、それにマントを羽織り、腰にショートソードを差す。
長い髪の毛は後ろで高く一つに結わいて、動きやすい姿に変わっていた。
テーブルの上に『もう耐えられません』と書置きを残すと、≪隠遁≫の魔術が封じられた指輪を使ってから窓からロープを垂らし、ゆっくりと庭に降りていく。
庭に居る使用人たちが私に気付かないのを確認すると、私は無言で厩舎に行き、適当な馬を一頭選んで飛び乗った。
さぁて、こんな家とはもう、さよならよ!
馬の腹にブーツの踵を入れると、馬は元気よくリードル伯爵領の城下町に向かって走り出した。
これが、二か月前に私の身に起こったことだ。
****
ギルドの館に帰ってきた私たちに、老齢の厳つい男性――ギルドマスターのビラルさんが気付いて手を挙げた。
「おう、もどったか。どうだルナ、少しは仕事に慣れてきたか?」
私は肩をすくめて応える。
「二か月も仕事をしてれば、それなりに慣れてくるわよ」
すぐ隣を歩いている青年が楽しそうに笑う。
「ハハハ! 口だけは一丁前だな! 今日だって大鼠一匹倒せなかっただろう?」
私は明るく笑う長い金髪の青年――ヴェルナーをねめつけて告げる。
「うるさいわね! 怪我はしなかったんだから、いいじゃない!」
ヴェルナーは長身で体格の良い剣士だ。
まだ十七歳だというのに剣の実力は確かで、パーティの主力メンバーでもある。
ほかのメンバーたちも笑いながら私の頭を撫でて行き、それぞれの部屋へ戻って行った。
――ここは冒険者ギルド『ファルケン・シュラーク』の館。
大手ギルドは自前の宿泊施設を持っていて、私はそこで寝泊まりさせてもらっている。
ビラルさんが部屋に戻ろうとする私を呼び止めて告げる。
「ああルナ、ちょっと話がある。俺の執務室に来てくれ」
「……? いいけど、どうしたの?」
「いいから来い」
有無を言わさぬ様子のビラルさんが、エントランスから奥に向かってひょこひょこと歩いて行く。
十年前に戦場で受けた傷で、ビラルさんは足が悪い。それでも未だに戦えば一流の戦士に引けを取らないんだから、現役時代はどれほど強かったんだって感じだ。
私を執務室に招き入れると、ビラルさんは扉を閉めた。
「――ふぅ。ルナ、まだ帰る気にならないのか」
私はソファに座り、そっぽを向きながら応える。
「帰れば婚姻が待ってるもの。帰れるわけがないわ」
ギルドマスターのビラルさんはお父様の友人で、子爵の爵位を持った貴族だ。
家出をした私はここに辿り着き、事情を説明してなんとか匿ってもらうよう説得した。
ビラルさんもそれとなくお父様の説得を試みてるようだけど、成功する見込みはないみたいだ。
ひょこひょこと近づいてきたビラルさんもソファに腰を下ろし、小さく息をついた。
「だが、いつまでここに居るつもりだ? 伯爵令嬢のベルナルディーネがいつまでも冒険者の真似事などできまい」
「真似事じゃないわ。私はもう冒険者のルナ・セイラー。
伯爵令嬢ベルナルディーネなんて、世を儚んで死んだのよ」
ビラルさんの視線が私の顔を見つめた。
「本気で言っているのか? 平民の暮らしに二か月耐えたのは褒めてやる。
だがいつまでも続くものじゃないだろう」
私はビラルさんを見つめ返し、ニヤリと微笑んで応える。
「あら、私を舐めないで欲しいわね。
平民の生活が何だって言うの?
あんな気色の悪い男に嫁がされる未来に比べたら、些細なものよ」
ビラルさんが深いため息をついた。
「……わかった。お前の気が変わるまでは匿ってやる。
だが冒険者は危険と隣り合わせの仕事、いつ大怪我を負うかわからん。
死んでからでは遅いんだぞ。それを忘れるな」
「はーい」
私はひょいとソファから身軽に立ち上がると、ビラルさんの執務室を後にした。
****
私が廊下を歩いて居ると、ばったりとヴェルナーに出くわした。
長身で背中までの長い髪は、あまり剣士らしくない。顔が半分隠れるほどの前髪も、邪魔じゃないのかなぁ?
これで一流の戦士に引けを取らない活躍をするんだから、髪の毛をちゃんとしたらもっと活躍できるんじゃない?
彼が私に片手を挙げて笑顔で告げる。
「よぉ、ビラルさんの用事は終わったのか?」
「……そうだけど、何か用?」
「今日も剣の稽古をつけてやるから、稽古場に来いよ」
えっらそうに! いつも私に勝ち越してるからって良い気になって!
私はヴェルナーの胸に指をつき付け、彼の顔を見上げて告げる。
「今日こそ一本取ってやるわよ!」
「ハハハ! じゃあ早速やるとするか!」
ヴェルナーが私の背中に手を回して稽古場に向かって行く。
……この人にだったら、別に触られても怖気が走ることもないんだよなぁ。なんでだろう?
稽古場に付くと、それぞれが刃引きしたショートソードとロングソードを手に取って構える。
お互いの距離は三メートル――踏み込めば刃が届く距離だ。
タン! と軽快な踏み込みでヴェルナーが剣を振り下ろしてくるのを、私は素早くサイドステップでかわす。
カウンターでショートソードを振るうけど、私の剣も軽々とバックステップでかわされてしまった。
「ハハハ! あいかわらずルナは攻撃が下手っぴだな!」
「うるさい! しょうがないでしょ! 習ったばかりなんだから!」
そのまま私たちは、夕食の時間になるまで剣舞のように剣を交え合った。
****
明るいリードル伯爵家の応接間で、不機嫌そうなギュンターがソファに腰を下ろして告げる。
「まだベルナルディーネは見つからないのか?」
蒼白な顔のリードル伯爵が、汗を拭きながら応える。
「私も懸命に行方を追っているのだが、未だに足取りがつかめない。
あいつがどこまで逃げたのかはわからないが、領地の外まで捜索範囲を広げているところだ」
ギュンターが「チッ!」と舌打ちをして立ち上がった。
「――わかった。我が侯爵家の手勢も使おう。もうお前に期待はしない」
それだけ言い残し、ギュンターは応接間を後にした。
廊下を歩くギュンターが顔を歪めながら静かに呟く。
「ベルナルディーネ……私から逃げられると思うなよ?」
彼の声は、廊下に吸い込まれるように消えていった。
****
良く晴れた昼間、ギルドの集会所に集まった私たちの前で、ヴェルナーが明るい笑顔で告げる。
「次の目的地はクリスタル・フルス、ターゲットはクリスタルドラゴンだ。
――といっても、まだ幼い幼体だけどな」
みんなが明るい笑顔で声を上げる。
今回のメンバーは熟練の戦士や魔導士も参加し、万全の態勢だ。
魔導士の一人がおずおずと手を挙げる。
「だが、本当にルナを連れて行くのか?
経験を積ませるためとはいえ、少し無茶に思うんだが」
ヴェルナーが自信ありげに応える。
「毎日稽古をつけている俺が保証する。
ルナの回避能力は、このギルド随一だ。
たとえクリスタルドラゴンが相手だろうと問題ないさ」
魔導士は納得するように頷いた。
「まぁヴェルナーがそこまで言うなら……」
そう、ヴェルナーはこのパーティのリーダー。
みんなから信頼される、頼りになる剣士だ。
彼の判断や指揮で救われた窮地は数知れないらしい。
明るくて頼りになるヴェルナーには、カリスマ性のようなものがあるんだろう。
私も声を大きく張り上げる。
「大丈夫よ! 怪我ひとつしないで帰ってみせるわ!」
ヴェルナーが楽しそうに笑った。
「ハハハ! その意気だ! ――だが、油断はするなよ!」
「もちろんよ!」
私たちは荷物を背負うと、クリスタル・フルスを目指して出発した。
****
カーテンを閉め切った暗い部屋の中で、ギュンターが報告書を読んでいた。
蝋燭の灯りで浮き上がる文章を丁寧に、執念深く目が追っていく。
「……わかった。ではその冒険者ギルドの少女を調査しろ」
「はっ!」
傍で控えていた従者が頷き、部屋を出て行った。
立ち上がったギュンターの手がカーテンを開け、窓の外を眺める。
鬱陶しい陽光に舌打ちをしながら、ギュンターが思索にふける。
――二か月も足元で生活しているのに気づかないとは、リードル伯爵の目は節穴か。
二か月前から姿を現した冒険者の少女ルナ。彼女がベルナルディーネである可能性は高い。
……いや、父親に情報が回らないよう、家の者が密かに協力しているのか。
だが好都合だ。行方不明ならば、娶る面倒を取る必要もない。
連れ去って屋敷で自由を奪い、思う存分その身体を堪能してやればよい。
暗い情念を燃やすギュンターは、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべ夢想に浸った。
****
――ぞわっときたぁ?!
突然の悪寒に、馬から落ちそうになる。
慌てて手綱を駆使して態勢を立て直し、みんな――ヴェルナーの背中を追う。
冒険者にとって、馬に乗れないのは話にならない。乗馬を習っておいてよかったと思う瞬間だ。
今日、明日は野営をして過ごし、明後日には水晶の渓谷、クリスタル・フルスに辿り着く。
だけど魔導士たちは馬に不慣れで、余り速度を出せない。
この分だと、もう一日ぐらいは余計にかかっちゃうかもなぁ。
私たちは平原に伸びる街道を馬で駆け抜け、まっすぐクリスタル・フルスを目指した。
夜になって焚火を起こし、みんなが保存食で夕食を取っていく。
私も干し肉をお湯でふやかしながら食べていると、私の横にヴェルナーが座った。
「どうだ、問題はないか」
私は笑顔で振り向いて応える。
「大丈夫よ、馬での旅も三回目だもの」
今回のパーティに女性は私一人だけ。
だからなのか、ヴェルナーは私を気遣って何かと声をかけてくれる。
彼は爽やかな笑顔で微笑んで頷いた。
「そうか、それならいいんだ」
私の背中をポンポンと手のひらで叩いたあと、ヴェルナーは立ち上がって他のメンバーにも声をかけていった。
……豆だなぁ。ああやってみんなに異変がないかチェックしてるのか。
リーダーって、思ってるより大変なのかな?
夕食を終えた私たちはそれぞれ焚火の周りで毛布にくるまり横になった。
****
私たちの旅程は順調に進んだ。
心配していた魔導士たちの手綱さばきも、時間を追うごとに良くなっていった。
三日目の夕方にはクリスタル・フルスを目前に控え、私たちは見晴らしの良い高台で野営を張った。
「すごいねヴェルナー! 予定ぴったりで辿り着いちゃった!」
私が笑顔で告げる言葉に、ヴェルナーがにこやかに応える。
「何がすごいのかわからないが、予定通りなのは確かだな」
ヴェルナーは魔導士たちが馬に慣れるのも計算して旅程を組んでいた。
どうやってそんな知識を得たんだろう? 旅慣れてるだけ?
私はその日も保存食で夕食を済ませると、焚火の前で素直に横になり、目を閉じた。
****
夜中、焚火の音だけがパチパチを空気を鳴らす時間。
ヴェルナーがのそりと起き上がり、毛布から抜け出した。
パーティ一行からそっと離れたヴェルナーが、木陰の傍に近づいて小声で告げる。
「何事か」
「はっ、ヒンツ侯爵の手の者が追跡してきております」
木陰から静かな声が返ってきた。
ヴェルナーはわずかに思案してから応える。
「そいつらには手を出すな。何が目的か見定める」
「はっ」
木陰から気配が消えると、ヴェルナーは小さく息をついた。
背後の暗闇を眺め、まるでそこに追手が居るかのように睨み付けた。
「……ルナが狙いか? だが、何のために?」
思案しても答えは出ない。
もう一度ため息をつくと、ヴェルナーは大人しく毛布に戻り、横たわった。
****
クリスタル・フルスは文字通り、水晶が川を作っているかのように煌めきで溢れて居る場所だった。
「すごーい! これ、全部持って帰ったら結構高く売れるんじゃない?」
ヴェルナーが苦笑して私に告げる。
「ここにある水晶では、たとえ大きくても高くは売れないよ。
持ち帰る労力が無駄になる」
まぁ水晶って安いらしいからね。私たち高位貴族も、まず身につけないし。
私たちはヴェルナーが先導する背中を追って、クリスタル・フルスの奥へと進んでいく。
突然、ヴェルナーが腕で私たちを制止し、足を止めた。
「静かに、クリスタルドラゴンだ」
ヴェルナーの向こうには、水晶の中で寝ている小さなドラゴンの姿。
全身が水晶で覆われ、まるで全身が透き通ってるかのように感じる。
全長二メートル弱のあれが子供かぁ。ドラゴンって大きいんだなぁ。
ヴェルナーが抑えた声で告げる。
「ルナはここに残れ。他はいつも通りに」
私はムッとしながら告げる。
「私だって、あれぐらいのドラゴンは相手できるよ」
「いいから。あいつらは刃が通じにくいんだ」
不本意だけど、リーダーのヴェルナーの指示じゃしょうがない。
私は大人しくその場に残り、パーティのみんなが先に進むのを見守った。
魔導士が――えっ?! あれって炎熱系の最大魔法?!
大きな炎が揺らめき、魔導士の手から槍のような炎がクリスタルドラゴンに突き刺さる。
鉄をも溶かすその魔法は、クリスタルドラゴンの体表を覆う透明な外装をわずかに溶かすだけで終わっていた。
続けて戦士たちが大きな戦斧を振りかざし、力任せに振り下ろす――重厚な金属音が立て続けに響き渡り、クリスタルドラゴンの頭部に命中した戦斧はあっけなく弾き返された。
ヴェルナーが鋭く叫ぶ。
「――下がれ! 息吹が来るぞ!」
戦士たちが飛びのくと、突如起き上がったクリスタルドラゴンが口から白い息を吐きだす――誰も居ない地面が水晶で覆われていく。水晶の息吹だ。
あんなの、人間が食らったら水晶で固められて動けなくなるんじゃ?
私は緊張しながらみんなの戦いを見つめていた。
****
「――きゃあ?!」
背後から響いた絹を裂くような悲鳴に、クリスタルドラゴンと戦闘中だったヴェルナーたちが慌てて振り向いた。
三人の黒装束の男たちが、ルナを取り囲むようにして彼女を取り捕まえようとしているところだった。
「ちょっと! 背後から急に襲ってくるとか卑怯よ?!」
ルナはなんとか黒装束の男たちの手をかわし続けている。
ヴェルナーが鋭い声で仲間たちに叫ぶ。
「お前たちはドラゴンに集中しろ! 俺がルナを助ける!」
ヴェルナーは風のようにルナの下に駆け寄り、一人目の黒装束の男に剣を振り下ろした。
****
ヴェルナーが最後の一人を切り伏せると、私に駆け寄ってきた。
「大丈夫か、ルナ!」
「あはは……だ、だいじょうぶー!」
私は空元気でヴェルナーに応える。
ちょっと足が震えてるけど、これはびっくりしたからだ。きっと。
ヴェルナーの顔は真剣で、私を心配しているのが見て取れた。
私は足元に倒れている黒装束の男たちを見つめた――まだ、息がある?
「ねぇヴェルナー、殺してないの?」
冒険者が襲われたら、相手の命を奪うなんて当たり前だ。
今みたいな状況で、なんで手加減してるんだろう。
私の背中に手を当てながらヴェルナーが告げる。
「こいつらの目的を後で聞き出す。ルナはロープで縛っておいてくれ――できるか?」
私はおずおずと頷いた。ロープを使った捕縛術は、二か月前に最初に教えてもらったことだ。
『いくらでも使い道がある技術だから』と言われてたけど、ここで使うことになるなんてねぇ。
私は荷物の中からロープを取り出すと、男たちの手足を縛っていった。
ヴェルナーはクリスタルドラゴン戦に加勢しに、再び駆けて行った。
忙しそうだなぁ、リーダーって。
私はまだ胸の動悸が治まらず、自分を落ち着けるように深呼吸した。
振り返ってヴェルナーたちを見ると、クリスタルドラゴンの首がヴェルナーによって切り落とされるところだった。
****
「わぁ、クリスタルドラゴンって心臓も水晶みたいなんだねぇ」
私は魔導士が保管瓶にしまい込んだ心臓を眺めながら呟いた。
希少な魔法素材になるらしく、これが今回の依頼で求められた品だ。
ヴェルナーと戦士たちが、黒装束の男たちを見下ろして相談していた。
「こいつらの処理は俺に任せてくれないか」
「まぁ、ヴェルナーがそう言うなら」
戦士たちが頷いて男たちを抱え上げ、ヴェルナーと一緒にどこかへ連れ去ってしまった。
「……あの人たちをどうするんだろう?」
私は魔導士たちと、ヴェルナーたちの帰りを待った。
****
黒装束の男が気が付くと、目の前にはヴェルナーが一人、剣を構えて立っていた。
冷たい眼差しのヴェルナーが告げる。
「正直に吐いて楽に死ぬか、黙り込み苦しんで死ぬか。どちらか選べ」
手足を縛られた男が慌てて周囲を見回すと、既に切り刻まれ、事切れた仲間二人の姿が目に入る。
その残忍な拷問の痕跡を見て、男の背筋が震えあがった。
「――わかった! 話す! 話すから落ち着け!」
ヴェルナーが剣を男の喉元に付き付けながら告げる。
「では吐け。なぜルナを狙った」
「ギュンター様の命令だ! あの少女を調べろと、生け捕りにして来いというお達しだった!」
必死に告げる男のセリフに、ヴェルナーの眉がひそめられた。
「ギュンター……ヒンツ侯爵令息が? 何のために?」
「それは知らん! 我々は全てを知らされていない!」
ギュンターの剣が突如翻り、男の手首を半分だけ切り落とした。
痛みでのたうつ男が、必死の形相で叫ぶ。
「本当だ! 信じてくれ!」
「……いいだろう、信じよう。どこに連れて行くつもりだった?」
その後、黒装束の男から全てを聞き出し、止めを刺したヴェルナーが暗闇に告げる。
「そこに居るか」
「はい、殿下」
「早急にヒンツ侯爵令息を調べろ。なぜルナを狙ったのか、それを知りたい」
「はっ!」
気配が去るのを確認すると、ヴェルナーは剣から血を払い、鞘に納めた。
「ルナ……何者なんだ?」
彼のつぶやきは夜の虚空に消えていった。
****
ヴェルナーが一人で野営地に戻ってくると、私は駆け寄って声をかける。
「大丈夫? ヴェルナー。なんだか疲れてるみたいだけど」
「ああ、大丈夫だ。だがあの男たちには逃げられてしまったよ」
私は小首を傾げて応える。
「ふーん、ヴェルナーが取り逃がすなんて、なんだか珍しい気がするね。
――それより、食事にしようよ!」
私はヴェルナーの手を引いて焚火の周りに座らせ、一緒に食事を取っていった。
「先に食わなかったのか?」
「ヴェルナーと一緒に食べようと思って」
戦士の一人が楽しそうに笑い声をあげる。
「さっきからずっとソワソワとヴェルナーが帰ってくるのを待っていたみたいだぞ?」
私は顔が熱くなるのを自覚しながら、戦士に声を上げる。
「こらー! そういうこと言わないで! 勘違いされるでしょ!」
ヴェルナーがクスクスと笑みをこぼすのを聞いて、私はようやくほっとして笑顔で告げる。
「よかった、いつものヴェルナーだ」
「どういう意味だ?」
「なんだかさっきのヴェルナー、ちょっと怖かったから」
まるで命の奪い合いをした直後のような、ピリピリとした緊張感――その残滓を感じていた。
ヴェルナーがふぅ、と小さく息をついて告げる。
「そうか。まぁ慣れないことをしたからな」
「そうなの? なんでみんなに手伝ってもらわなかったの?」
ヴェルナーが私の顔を見てニコリと微笑んで応える。
「大したことじゃないさ。みんなもきっと、慣れてない事だろうから」
よくわからないけど、リーダーだから率先して引き受けたってことかな?
私はヴェルナーの頭を撫でながら「偉い偉い」と褒めてあげた。
彼は頬を染め、「子供じゃないんだ、よしてくれ」とそっぽを向いていた。
私はその顔が微笑ましくて、しばらくヴェルナーの頭を撫で続けた。
翌朝、ヴェルナーがみんなに告げる。
「帰還するぞ!」
みんなの威勢のいい声が返ってきて、馬に跨っていく。
私たちは町を目指し、馬に踵を入れた。
****
町に到着したヴェルナーがみんなに告げる。
「俺はルナと別行動を取る。みんなは戦利品をギルドに持ち帰ってくれ」
みんなが頷き、私もおずおずと頷いた。
戦士の一人が、私の耳元で囁いていく。
「――巧くやれよ」
その瞬間、私は顔から火が出るかと思うほど熱くなっていた。
――二人きり?! ヴェルナーと?!
今までだって、稽古場で二人きりになることはあったけど、外で二人きりになるのは初めてだ。
私が両手で顔を覆っていると、戦士は楽しそうに笑いながら去っていった。
「……大丈夫か? ルナ」
「だ、大丈夫だよ!」
とはいえ、ヴェルナーの顔は見れない。
私は顔を覆いながら、ヴェルナーに尋ねる。
「どこに……行くの?」
「少し歩く。町はずれの方だ」
――人気のない場所?!
動悸が治まらない胸を抑え、私は歩きだしたヴェルナーの背中を追いかけた。
****
町はずれ――貧民街の方へ歩いて行くヴェルナーに、私は眉をひそめて尋ねる。
「こっちでいいの? 何をしに行くの?」
「目的地があの中にあるからな。
――それより聞きたい。ルナ、お前は何者だ?」
「え?! 私?! 私は……ルナ、みんなが知ってるルナだよ!」
ヴェルナーはこちらに振り返らず応える。
「そう、二か月前に現れた冒険者志望の少女。
だが同時期、一人の少女が行方不明になっている。
この土地の領主、リードル伯爵の娘、ベルナルディーネだ」
私は心臓の鼓動が、さっきとは別の意味で速くなっていくのを感じていた。
まさか、私の正体がばれた?!
「そ、そう! 偶然だね!」
「そしてあの黒装束の男たち――あいつらはヒンツ侯爵令息の使いだ。
彼らはルナを捕縛し、この先にある隠れ家に連れ込むつもりだったと言った」
――ヒンツ侯爵令息、ギュンター様が?!
「なんで、そんな人が私を……」
「ベルナルディーネはヒンツ侯爵令息の婚約者だったらしい。
そこで何かがあったのではないか?
俺にくらい、本当のことを言えないか?」
ヴェルナーの口ぶりは、まるで私がベルナルディーネと確信しているようだった。
張り詰めた空気が心に痛い。私たちの間で、こんな空気が漂うなんて。
諦めた私は深いため息をついた後、口を開く。
「……すぐにでも婚姻しろって言われたのよ。
婚約三か月で婚姻を迫るだなんて非常識、信じられないわ。
なによりギュンター様に嫁ぐなんて、死んでも嫌だと思ったの」
ようやくヴェルナーが振り向いてくれた――その顔には、優しい微笑みが湛えられていた。
「なるほど、納得できる理由だ。
そんなことを強制されたなら、ルナはきっと逃げてしまう。
それくらいは俺にもわかるからな」
「ヴェルナー……」
いつものヴェルナーの微笑みに、私はようやく不安な心が落ち着いて行くのを感じていた。
ヴェルナーは私の頭に手を乗せて告げる。
「安心しろ、お前は俺が守る――おそらく、この先の隠れ家にヒンツ侯爵令息が居る。
そこで全てを終わらせてしまおう」
私は気を引き締めて頷くと、ヴェルナーと並んで貧民街の中に足を踏み入れた。
****
薄汚れた家屋の扉をヴェルナーが開き、中に踏み込んでいく。
私はその後ろからゆっくりと付いて行った。
ちょっとした厩舎ほどの大きさ、木箱がうずたかく立ち並ぶ真っ暗な家屋の真ん中で、ヴェルナーは足を止めた。
「出て来いヒンツ侯爵令息! 居るのはわかっている!」
扉が閉まる音が鳴り響くと同時に、物陰から騎士たちが姿を現す。
その騎士たちの背後から、ギュンター様が眉をひそめながら現れた。
「なぜ私を知っている」
ヴェルナーがにこやかに応える。
「聞きだしたからさ――それより答えろ。
ここに彼女を連れてきて、何をするつもりだった?
とても婚約者を迎え入れる場所には見えない」
ギュンター様は口端をニィっと歪めながら応える。
「下賎な平民風情に教えることはない――やれ!」
剣を抜いて襲い掛かってくる騎士たちの攻撃を私とヴェルナーは捌き、かわしていった。
続いて窓が割れ、扉が突き破られる音がして、外から別の騎士たちが現れる。
あっという間に入り乱れた乱戦となり、私はヴェルナーと背中合わせになって声を上げる。
「何が起こってるの!」
「いいから、お前は怪我をしないように注意しろ!」
私はヴェルナーにかばわれながら、ギュンター様の騎士たちが振るう剣をかわし続けた。
どさり、と最後の騎士が地に伏した。
これで残ったのは、外から乱入してきた騎士たちと、私とヴェルナー、そしてギュンター様だけだ。
ヴェルナーが剣をギュンター様に突き付け、声を上げる。
「貴様の騎士は全て切り捨てた! さぁ言え! ここで何をするつもりだった!」
顔をしかめたギュンター様が、ヒステリックに叫ぶ。
「ええい、ベルナルディーネから離れろ、下賎の民が!
それは私の身体だ! 私の物だ! 私が好きにして、何が悪い!」
――ぞわっとすることを言うな! この馬鹿!
私は怖気で両腕をさすりながら声を張り上げる。
「いい加減にして! 私はあなたのものじゃない!
私の身体しか見えてないあなたに、嫁ぐわけがないでしょう!」
ギュンター様がニヤリと邪悪に微笑む。
「嫁ぐ必要などない。家畜のように飼ってやる! お前は一生私の物。自由も何も与えはしない!」
私は耐えられない怖気に、思わずヴェルナーにしがみついていた。
はぁ、とヴェルナーが小さく息をつく。
「救い難いな――覚悟は良いか」
ヴェルナーがギュンター様を睨み付けるけど、彼は余裕の笑みで応える。
「平民風情が侯爵令息の私を手にかける真似が、許されると思ったか」
そうだ、ギュンター様の家は侯爵家。大きな力を持つ家だ。
ギュンター様に何かがあれば、この町の人間を皆殺しにしてでも真相を暴こうとするだろう。
私は不安になってヴェルナーを見る――彼は静かな眼差しでギュンター様を見つめていた。
「平民風情か。それが思い違いだったならどうする?」
――え? 何を言ってるの?
ヴェルナーが指にはまっていた指輪を引き抜いた。途端に彼から気品のようなものが漂った気がした。
これは……ヴェルナー? いえ、違う。でもこの人を私は知ってる。
ギュンター様が顔をしかめ、再びヒステリックに叫ぶ。
「まさか、あなたはフェリクス殿下か?!」
――そうだ、フェリクス第二王子! ヴェルナーって、王族だったの?!
素早く間合いを詰めたフェリクス殿下が、その剣でギュンター様の心臓を貫いていた。
「……わかったなら安心して死ね」
力なく頽れたギュンター様は、それっきり動かなくなってしまった。
****
後片付けを騎士たちに命じたフェリクス殿下は、私の肩を抱いて家屋の外に出た。
「……震えているのか」
「え? そうですか?」
怖かったのかな。あんな恐ろしい情念にさらされて、私の心が怯んじゃった気がする。
あそこまで人を人とも思わない人間がいるだなんて、想像したこともなかった。
フェリクス殿下が手に指輪をはめると、彼の雰囲気から気品が消えさり、元のヴェルナーに戻っていった。
……同じ顔のはずなのに、今はまったくフェリクス殿下だと思えない。これは≪認識阻害≫の魔導具?
ヴェルナーがバツが悪そうに告げる。
「身分を偽って潜伏していたのは、俺も同じなんだ。
王宮は窮屈でね。時折こうして、冒険者の真似事をしていた。
いつのまにかこれが楽しくなって、やめられなくなってしまった」
「じゃあ、やっぱりフェリクス殿下なんですね……」
なんだか寂しかった。王族相手じゃ、私はもう傍に居られない。
そしていつかヴェルナー、いえフェリクス殿下の隣には、相応しい女性が妻として立つことになる。
それを思うと、胸が痛くて堪らなかった。
クスリとヴェルナーが笑みをこぼす。
「今は冒険者のヴェルナーさ。
だからルナも言葉遣いを戻してほしい」
「……殿下が、いえヴェルナーがそう言うなら、そうするけど」
ヴェルナーが私と向き合って尋ねてくる。
「ルナはこれから、どうするんだ?」
「……家に帰っても、お父様が新しい縁談を組んでくるだけよ。
私に決定権なんてないの。だからもうこのまま、冒険者のルナとして生きていこうかなって」
そしていつか、ヴェルナーのことも忘れられるのだろうか――そう思うと、妙に胸が切なかった。
ヴェルナーが私に微笑みながら告げる。
「別の選択肢も、ルナにはある。そちらを選んでみる気はないか」
私は小首を傾げてヴェルナーの瞳を見つめた。
「別の……選択肢?」
その日から、冒険者ヴェルナーと冒険者見習いルナの姿は町から消えた。
一か月後、フェリクス第二王子が婚約者を発表した。
リードル伯爵令嬢ベルナルディーネという、誰も予想しなかった相手の出現に、社交界は大いに騒ぎ立てた。
だが彼らは半年の婚約を経て婚姻し、幸せな家庭を築いた。
二人は立太子した兄を支え、国を盛りたて、新しく公爵家を起こして幸福に暮らしたという。
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ビラルがのんきにギルドで酒を飲んでいると、勢いよく館の扉が放たれた。
「やっほー! また来たよ!」
ビラルが慌てたように目を入り口に向ける。
「お前、ルナ?! なんでまた来てるんだよ?!」
ルナの後ろから、のそりとヴェルナーも顔を出す。
「ちょっとした息抜きさ。あそこは息が詰まるからね」
眉をひそめ、弱り切った顔でビラルが告げる。
「勘弁してくれよ、あんたら自分の立場を考えてくれ」
ヴェルナーがルナと顔を見合わせて微笑んだ。
「だって、冒険者って楽しいんだもん!」
がくり、とビラルはエントランスのカウンターに崩れ落ちた。