表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛逢月  作者: はなはな
2/5

ラフメイカー


参考:BUMP OF CHICKEN、“ラフメイカー”より。










「……はあ」


漏れるため息。

もうあれから何日が経ったのだろうか。

家から一歩も出ていない俺には、時間の経過が分からなくなっていた。

……今が、いつかなんて特に興味の無い話なのだが。



――ピンポーン



そんなことを思っていた矢先、玄関のチャイムが高々と音を立てた。

無視。

あのときから、家への訪問者に対応することはなくなっていた。



――ピンポーン


意地でも居留守を続ける。

今は誰とも、話したくない。


――ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン


「うるせっ!」


あまりのしつこさに、俺は勢い良くドアを開けた。

気は長くない。

あからさまに嫌な顔をした、俺の前には小柄な少年が一人、立っていた。


「こんにちは」


少年は深々とお辞儀をする。

あまりに整った顔立ちを見ると、それはどこか中世的で少女にも見える。


「……誰?」


知り合いに中学生くらいの少年は存在しない。

見たこともない、その少年に俺はぶっきらぼうに尋ねた。


「僕ですか?」

「ああ」

「名前は特にないですけど」


小さな手を、口元に持っていき、少年は悩んだような仕草を見せた。

俺はおかしなことを言う少年に、気づかれないように眉をひそめた。

新手のセールスかなんかか知らないけど、早く帰ってくれ。

切実にそう願っているとき、少年はもう一度口を開いた。


「みんなはラフメイカーと呼びます」


にっ、とくったいなく少年は笑った。

……ラフ、メイカー?


「……帰ってくれ」

「え?」

「帰れって言ってるんだ!」


バンッ、と今度こそ勢い良くドアを閉めた。

その扉の向こう側で、少年はさぞかし驚いたのだろう、詠嘆する声が若干ではあったが耳に入ってきた。


「あっ、あの! 入れてください!」


お願いします! と懇願する少年を俺は無視して自室に向かう。

冗談じゃない。

なにが、ラフメイカーだ。







「あのね、あのね」


懐かしい、彼女の声が蘇る。

ああ、俺はもう、彼女を懐かしいと言えるほど時間を過ごしてしまったのか。

そう思うと、自然と目から水が流れる。


「駿ちゃん、ラフメイカーって知ってる?」

「は?」

「ラフ、メイカー!」


彼女は肩まで綺麗に伸ばした髪を、ゆすりながら興奮気味に、俺に話しかけてきた。


「なに、それ」

「そのまんまだよ。笑わせてくれる、妖精さんだって」

「妖精?」


無邪気な彼女の思想に、俺は気づかれないよう小さく噴出した。

だが、そんな小さな仕草にも彼女は目ざとく気づき、指摘を始めた。


「ちょっと、いま馬鹿にしたでしょ」

「してねーよ」

「したよ! 絶対した!」

「してねーってば」


本気で怒る彼女を見て、俺はまた笑った。


「怒ってるのになんで笑うの!」


そう言って頬を赤くして、膨らませる姿も愛おしかった。

わかってねえな、と俺は彼女の髪をそっと撫でる。

その仕草で、彼女がおとなしくなることを知っている俺は幾分か卑怯である。


「……おばあちゃんがね」

「ん?」

「ラフメイカーに会ったんだって」

「へえ」

「ラフメイカーって、辛くて落ち込んでるときに、笑わせてくれるためにやってくるんだってさ」


そうだ、両親が忙しくていつも家に祖母とふたりだった彼女は、それはもう凄いほどおばあちゃんっ子だった。

しかし、そんな彼女の大切な人も2年前に亡くなった。


「ふーん」

「……興味ないでしょ」

「あるよ」


おまえの話なら、たとえ面白くないニュースの話だって興味シンシン。

その声に、その息遣い。

もうそれだけで結構、結構。

わかってないやつだよな。


「ま、いーや」

「それで? 笑わせてくれる妖精なんて、都合の良いやつもいたもんだな」

「悲観的ぃ」

「っるせ」


このやろう、と意地の悪そうな目で笑った彼女の首に腕を回し、じゃれついた。

きゃはは、と声にだして笑う彼女。

笑うとぱっちり二重が、そのときだけは糸のように細くなる。


「あ、駿ちゃん」

「ん?」

「あした、家で待ってて」

「……は? いいよ、仕事場まですぐだし、迎えに」

「駿介」


彼女は少しだけ真剣な表情をして、そして俺が強張ったのがわかったのか、すぐにいつもの笑顔を向けてくれた。


「あしたは、何の日?」

「……あ」

「バレンタインは女の子が頑張る日でしょう」


ふふ、と彼女は笑いながら俺の胸元に身体を寄せてきた。

後ろからそっと抱きすくめる。


「なに、なんかサプライズでもしてくれんの」

「あーもー、ムードないなあ。そういうことは自前に聞かないのが常識でしょう」

「悪かったな、ムードのない男で」


すっぽりと俺の腕の中に収まってしまう彼女。

愛しい彼女。

当たり前の幸せが、今日も明日も、その先も永遠に続くのだと思っていた。





次の日の夕方、俺は交通事故で彼女が亡くなったことを知らせる電話を受けて、その場に立ち尽くした。

ちょうど、俺のアパートに来る途中の不慮の事故だった。













「入れてください」


さっきから、何度目の台詞になるだろう。

まだ少年はしつこく俺の部屋への入室を懇願していた。


「……」


俺はと言えば、だんまりを続けたまんまだ。


「ちょっと、なんで入れてくれないんですか!」

「……」

「寒いんですよ! 外は!」

「……」

「こんのっ……わからずやっ!」


ついに少年の切れる様子が、部屋の中からでも受けて取れた。


「……ごめんなさい」


そのすぐ後に、少年の申し訳なさそうに謝る声が小さく聞こえた。

ふと、不思議に思って俺は玄関先まで身体を運んだ。


「大声だすつもりは、なかったんです」

「……」

「ただ、その……僕、『いらない』なんて言われたの初めてで。……どうすればいいか、わかんないんです。誰もが僕のこと、いつも必要としていてくれたから。あの、本当に……」


ごめんなさい、と呟いたその言葉は、心なしか涙声だった。

俺は慌てて、つい口を開いてしまった。


「なっ、ラフメイカーが泣いてどうすんだよ!」

「え……」

「笑わせるやつが、泣いて……どうするんだよ」


ドア越しに、小さく俺は呟く。

少年は、ひっく、と喉を鳴らしながら、そうですね、と笑った。

雰囲気で、笑ったのが分かった。


「……なんで、僕、いらないんですか」

「……」

「僕、それが生きてる意味なのに……、あなた笑わせないと、帰れません」

「……だよ」

「え?」

「笑いたくなんか、ないんだよ!」


彼女のいない、俺の日常。

もう、どこにもあのぬくもりは存在しない。

この世界に、ただひとつだけの俺の宝物。


「……じゃあ何で泣いてるんですか」

「は?」

「なにが、哀しくて泣くんですか。いつか笑えるって、そう信じてるから、そのいつかのために人は泣くんじゃないですか、違うんですか」

「違う」


どうしようもない、もう二度と戻ってはこない。

そのぬくもりを懇願して泣くんだ。

もう、どうしようもなくて……。


「僕はただ、あなたが笑ってくれれば」


それでいいのに。

あ、この台詞。

彼女が「甘い台詞―」と俺を馬鹿にした、あのときに言った言葉だ。

フラッシュバックのように蘇るその瞬間に、俺は少年がどんな想いでこのドアの前に座り込んでいるかがわかった。

ただ、愛おしいのだ。


「……人が、好きなのか」

「いいえ」

「じゃあ、なんで人のために生きる」

「そんなの……」


考えすぎて、やめました。

少年は呟いた。


「人を笑わせる。自分のためになんてならないのに、それだけが僕の生きる意味。最初はばかばかしかった」

「……」

「でもね」


少年は続ける。


「愛おしかった」

「?」

「ありがとう、とか。幸せ、とか」


自分にくれる、他人のその言葉が何よりも愛おしかった。

少年は慈愛に満ちた声で、そう言った。


「ようは、お人よしなんだな」

「……かもしれませんね」


いつのまにか玄関のドアに背中をつけて、座り込んでいた。

こんなに多くの会話を他人と交わしたのは、久しぶりだった。

少し、疲れたな。


気がつくと、俺の目の前は闇へと包まれていた。









「なあ」

「はい?」


ドア越しの会話。

少年が尋ねてきてから、何日が経ったのだろう。

いつのまにか一日中少年とする会話に浸っている自分がいた。

彼女のコト。

ゆっくりではあるが、少年との会話でだんだん回復していく自分に気がついた。

でも、まだ笑えていない。

少年を部屋に招き入れるまでには、至っていない。

怖いんだ。

彼女を忘れることが。


「最近、面影が薄くなるんだ」


駿ちゃん、と俺を呼ぶその声も、どんなトーンで呼ばれていたか思い出すことができない。

ひとって、忘れたくないことはあっという間に忘れていくんだよ、と少年は少し申し訳なさそうに俺に呟いた。


「なあ」

「はい?」


声をかければ、いつでも少年は「其処」にいた。

だから、安心しきっていたのだ。


「なあ」


返事がなくなった、あの日の朝も。

慣れは、怖い。

彼女が死んだ、あの日だって。

俺はずっとずっと、永遠だと思っていたんだ。

ばかみたいに。

もっとも、ひとりになる準備なんかしていなかった。

二度目の、「ひとり」。


「……っおい?」


返事はない。

信じようとしていた瞬間、コレだ。

少年はいない。

なんど呼んでも返事がない。


「おい! ラフ、メイカー!」


そうだ。

俺はあいつの名を聞いていない。

ひとが勝手に呼ぶ、そんな愛称しか知らない。

もう、一人にしないで。

お願いだから、俺からなにも離れていかないで。

わがままだと思った。

だけど、それでもいいとも思った。


「おい!」


勢い良く、ドアを開けた。

もう何日も開けていなかった、立て付けの悪いドアが嫌な音を立てて開いた。

返事のなかった少年の姿が、そこにはあった。


「……どしたんですか、そんなに焦って」

「ばっ、だって、おまえ、声しない、から」


泣きそうだった。

少年はきょとん、とした顔でそこに立っていた。


「いやね、あなたに笑ってもらおうと思って鏡を調達してきたんですよ」

「……はあ」


ほら、と言って少年は俺の前に何色とも言えない鏡を突き出した。


「ね、見てみます?」

「は」

「あんたの泣き顔、笑えるよ」


泣いていたのか。

少年に指摘されて始めて気がついた。


「……うわ」


本当に酷い、顔だった。

ふ、と頬の筋肉が忘れていたような動きをする。





「あ、笑った」




少年につられて、俺は声を上げずに、笑った。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ