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無理解な上司と崩壊の兆し

全知神が姿を現したとき、オフィスは静まり返った。全知神は人間の形をしているが、その姿は常に光に包まれ、直視できないほどの威厳を放っている。今日の全知神は特に光が強く、誰もが目を細めていた。怒っている証拠だ。


「諸君、仕事は順調かね?」


その声は表面上は優しかったが、社員たちは皆緊張していた。全知神は現場を理解していないことで有名だったからだ。彼は異世界の住人たちに「鑑定スキル」を与えた張本人であり、自らの功績を疑われることを極端に嫌った。


「はい、順調です」と部長の天照が答えた。彼は人間ではなく、半神の血を引く存在で、神々と人間の間を取り持つ役割を担っていた。肩書きは「業務執行取締神」。だが、彼もまた全知神の威圧に弱かった。


「素晴らしい!私の耳に入ったところによれば、最近鑑定の精度に問題があるという苦情が増えているらしいが?」


天照は焦った表情を隠せなかった。「多少のミスはありますが、致命的な問題はありません」


「ミスなど許されんよ。我々は神の領域の会社なのだ。完璧であるべきだ」全知神の光が一瞬強まり、社員たちは身を縮めた。


「全知様、業務量が増えすぎています」と天照が言った。「異世界での鑑定スキル普及率が上がりすぎて、社員たちが——」


「普及率?それは良いことだろう!我々の贈り物が広まっているのだ!」全知神は誇らしげに胸を張った。「我々の存在意義はそこにある。異世界の住人たちに知識を与えることだ」


鑑太郎は思わず口を挟んだ。「でも社長、人員が足りていません。一人当たりの依頼処理数が限界を超えています」


天照部長が「やめろ」と目で合図を送ったが、もう遅かった。全知神は鑑太郎の方を向いた。その視線を感じただけで、鑑太郎は身震いした。全知神に直接話しかけることは暗黙の禁忌だった。


「君は……神野だったか。熱心な社員だと聞いているよ」全知神の声はまだ穏やかだった。「しかし、神の領域の仕事に限界などないのだ。気合いと根性があれば乗り越えられる」


これが全知神の口癖だった。「気合いと根性」。社内では陰で「キネ教」と呼ばれる、全知神独自の精神論だ。神鑑社に入社するとまず受けるのが「キネ教育研修」。そこでは「限界は心が作るもの」「神の領域に不可能はない」「諦めたら、そこで終わり」といった精神論が叩き込まれる。


「気合いと根性では図書館の本は早く見つかりませんよ」


言ってはいけないことを口にしてしまった。鑑太郎の言葉に、周囲からはヒソヒソと心配の声が漏れた。全知神に逆らうなんて、前代未聞だった。この発言が彼の神鑑社での生命を終わらせることになるかもしれない。


全知神は一瞬黙り込んだ後、眩しいほどの光を放ちながら優しく微笑んだ。その笑顔の下には、明らかな怒りが潜んでいた。


「そうか、図書館の問題か。わかった、検討しよう。だが今は目の前の仕事に集中するんだ。期待しているよ」


そう言って全知神は消えた。消える瞬間、鑑太郎の方向に一瞬だけ鋭い眼光を向けたように見えた。


オフィスは再び騒がしくなり、社員たちは一斉に仕事に戻った。しかし、多くの視線が鑑太郎に向けられていた。彼は社内で最も勇敢な社員、あるいは最も愚かな社員として歴史に名を残すことになるだろう。


「神野、大丈夫か?」と天照部長が心配そうに声をかけた。彼の顔は青ざめていた。


「すみません、つい」


「いや、言うべきことを言った。私も伝えようとしていたんだ。ただ……」


「何も変わらないってことですよね」


天照は黙って頷いた。「とにかく、今は手の前の仕事をこなそう。今日も残業になりそうだから」彼は苦笑いを浮かべた。「それと、しばらく目立たないようにしていろ。全知様は記憶力がいいからな」


天照部長が去った後、同僚たちが次々と鑑太郎のデスクにやってきた。


「すごいな、神野」と天川さんが囁いた。「全知様に直接物申すなんて、私には無理だわ」


「勇気あるね」と雲井さんも加わった。「でも気をつけて。前に意見した山田さん、異世界転送部に飛ばされたらしいよ」


「異世界転送部?」と鑑太郎は聞いた。初めて聞く部署名だった。


「ああ、知らないよね。新人が実際に異世界に潜入して情報収集する部署。危険手当はあるけど、平均寿命2年だって」雲井さんは小さな声で言った。


鑑太郎は喉が乾いた。自分の発言が自分の墓穴を掘ったかもしれない。しかし同時に、何かを変えなければこの状況は永遠に続くという確信もあった。


午後遅く、鑑太郎のデスクに一枚の紙が舞い降りてきた。通常の依頼書と違い、金色に輝いていた。社内メモだ。


「神野鑑太郎殿へ。本日18時より、会議室Aにて図書館システム改革についての意見交換会を行う。貴殿の参加を希望する。署名:天照」


これは意外な展開だった。全知神の言葉が単なる社交辞令ではなかったのか?鑑太郎は希望と不安が入り混じる中、時計を見た。既に17時45分。急がなければならない。


会議室Aに着くと、既に何人かの社員が集まっていた。天照部長、図書館主任の冥府さん、システム開発部の須佐之男すさのおさん、そして企画部の月読つくよみさん。神々の名を持つ上級社員たちだ。


「来たか、神野」と天照部長が迎えた。「今日は重要な会議だ。お前の発言が全知様の耳に届いたようだ」


「私が?でも私は単に——」


「謙遜はいい。重要なのは、図書館システムの改革案だ。具体的なアイデアはあるか?」


鑑太郎は緊張しながらも、日頃から考えていたアイデアを話し始めた。電子データベースの構築、検索システムの導入、鑑定カテゴリごとの専門チーム編成、よくある質問への自動応答システム。彼が話すうちに、部屋の空気が変わっていった。


「これは…実現可能かもしれない」とシステム開発部の須佐之男さんが言った。彼は神鑑社のITインフラを管理する責任者だった。「特に電子データベースは以前から構想していたんだ。ただ、予算と人員が…」


「予算は私が何とかする」と天照部長が言った。「問題は人員だ。誰がこのプロジェクトをリードするか」


全員の視線が鑑太郎に集まった。


「え?私がですか?でも私はただの一般社員で…」


「だからこそいい」と冥府さんが言った。「現場を知っている。それに、全知様に直言できる勇気もある」


「でも、通常業務は?」


「プロジェクト期間中は軽減する。チームを組んで進めよう」と天照部長が言った。


会議は2時間に及び、「神鑑社DXプロジェクト」が正式に発足した。鑑太郎はプロジェクトリーダーに任命され、小鳥遊さんを含む5人のチームが結成された。


しかし、会議の終わり際、天照部長が鑑太郎を引き止めた。


「神野、一つ注意すべきことがある」彼の表情は暗かった。「このプロジェクト、実は全知様の正式承認はまだなんだ」


「え?でも社長が『検討しよう』と言ったじゃないですか?」


「あれは建前だ。実際には、こういうプロジェクトは過去にも何度も提案されて、全て握りつぶされてきた。『伝統を守れ』『コストがかかりすぎる』『現場が混乱する』などの理由でね」


「じゃあ、なぜ今回は…」


「私の独断だ」天照部長は真剣な表情で言った。「全知様に報告する前に、まず成果を出したい。既成事実を作るんだ。だから、極秘プロジェクトとして進めてほしい」


鑑太郎は驚いた。ここまでのリスクを取る天照部長の決意に感動すると同時に、不安も感じた。


「もし全知様に見つかったら…」


「私が責任を取る。だが、見つからないようにしよう。通常業務を装いながら、このプロジェクトを進めるんだ」


天照部長の目には決意が燃えていた。長年、改革を試みては潰されてきた彼にとって、これが最後のチャンスだったのかもしれない。


その日の夜、鑑太郎は終電ギリギリまで働いた。最後の依頼は、ある村の少年からのものだった。


「僕の飼っている犬、元気に長生きできますか?鑑定お願いします」


典型的な「鑑定じゃなく占い」系の依頼だが、なぜか鑑太郎の心に響いた。彼は疲れた体を引きずって図書館へ向かい、少年の犬について調べた。


「鑑定結果:健康状態良好。適切な食事と運動を続ければ、あと12年の寿命が見込まれます。飼い主への忠誠心は最高ランクです」


最後の一文は鑑定結果には必要なかったが、なぜか付け加えたくなった。彼自身、誰かへの忠誠心で頑張っているわけではないのに。


帰り際、鑑太郎は幹部たちの会議室の前を通りかかった。扉は少し開いており、中の会話が漏れ聞こえてきた。


「システム改革案は却下だ。今のやり方で何千年もやってきたんだ。なぜ今変える必要がある?」


「でも、現場の負担が限界を超えています。このままでは……」


「天照、君はいつも現場現場と言うが、それは単に彼らの努力不足だろう。我々の時代はもっと厳しかったぞ。甘やかしすぎだ」


「しかし、実際に倒れる社員も出始めていて……」


「それは選別されているだけだ。残るのは強い者だけでいい。神の領域の仕事は甘くない」


「デジタル化プロジェクトだけでも……」


「無駄な投資だ。現状維持が最も安全なのだよ。改革など言い出すと、君の評価にも関わるぞ、天照」


鑑太郎は固まった。上の連中は現場の状況をまったく理解していないどころか、改革を提案する者まで潰そうとしているのか。


しかし、これで天照部長が「極秘プロジェクト」を進めたい理由が分かった。正規のルートでは何も変わらない。体制を変えるには、時には規則を破る必要があるのだ。


深夜、ついに帰宅した鑑太郎は、アパートのベッドに倒れこむように横たわった。明日もまた同じ一日が始まる。それでも彼は、会社を変えたいという小さな希望を捨てられなかった。


「いつか、このシステムを変えてみせる……」


そう呟いて、彼は深い眠りに落ちた。しかし、その希望がかなうことはないと、どこかで感じていた。なぜなら神鑑社では、問題を指摘する者より、問題を否定する者の方が評価され、出世していくのだから。


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