無駄鑑定の嵐
読みやすくするため、改行を行いました。
昼食時。神鑑社の社員食堂は、異世界の香り漂う不思議な場所だった。食堂スタッフは全員、かつて異世界に存在した料理人たちの魂で、彼らは神の領域で「第二の人生」を過ごしていた。彼らが作る料理は本物の異世界の味がした。それが唯一、神鑑社の数少ない福利厚生だった。
鑑太郎は何とか食事の時間を確保し、ドワーフシチューとエルフパンのセットを手に席に着いた。しかし、そんな彼の目の前にも容赦なく依頼書が降ってくる。カレーの上にまで紙が落ち、ソースに染まっていく。
「ちょっと!食事中くらい休ませてくれよ!」
怒鳴っても無駄だと知りながらも、思わず声が出た。依頼は魔法的なプロセスで届けられるので、苦情を言う相手すらいない。隣のテーブルでは先輩の雲井さんが黙々と片手で食事をし、もう片方の手で依頼に回答していた。彼女は入社10年目のベテランで、「両手で食事なんてぜいたく」が口癖だった。左利きなのに、右手で書くことにも慣れていた。
「雲井さん、それじゃあ食事も楽しめないですよ」と鑑太郎が声をかけると、雲井さんは淡々と答えた。
「食事を楽しむ余裕なんてないわよ。神鑑社で10年も働いたら、あなたも分かるわ。食事は燃料補給。それだけ」
彼女の言葉には苦みがあった。かつて彼女には夢があった。神の領域で働く栄誉と、異世界の人々を助ける使命感。しかし今では、機械的に依頼をこなすだけの日々。彼女の目は魚のように死んでいた。
渋々、カレーを食べながら依頼書を開く鑑太郎。
「今日の天気を鑑定してください」
鑑太郎は箸を置き、頭を抱えた。
「外を見ろよ……」
しかし、仕事は仕事だ。彼は窓の外を確認し、「晴れ、気温26度、湿度45%、降水確率0%」と書き込んだ。「鑑定」というより「観測」だが、異世界の住人たちはそんな区別をつけないようだった。
次の依頼はもっと酷かった。
「うちの赤ちゃんが将来なれる職業を鑑定してください」
「それ占いだよ!鑑定じゃない!」
鑑太郎の叫びも虚しく、依頼は待ってくれない。幸い、「神の図書館」には「可能性の書」というものがあり、そこから情報を引き出せる。しかし、それは鑑定というより予言に近い。本来の業務範囲を超えているが、クレーム対応が面倒なので、渋々対応するしかない。
食事も終わらないうちに、さらに二枚の依頼が降ってきた。
「この服はモテますか?」
「この薬草は効きますか?何に効くか教えてください」
鑑太郎は半分冷めたカレーを一気に口に運び、水で流し込んだ。もはや味わう余裕もなかった。
「この服はモテるかって……そんなの着る人と場所によるだろ」と呟きながら、彼は「神の図書館」へと足を向けた。今日三度目の訪問だ。
図書館では冥府さんの代わりに、彼女の助手である黄泉君が対応していた。彼はまだ若く、入社2年目の新人だった。
「冥府さんは?」と鑑太郎が尋ねると、黄泉君は小さな声で答えた。
「休憩室で横になってます。朝から立ちっぱなしで……」
「大変だね。無理しないでって伝えておいて」
「はい。それで、何をお探しですか?」
鑑太郎は「服のモテ度」と「薬草の効能」について尋ねた。黄泉君は熱心に本を探し始めたが、明らかに冥府さんほど効率的ではなかった。一つの依頼を処理するのに30分以上かかってしまった。
午後の業務に戻ると、さらに理不尽な依頼が彼を待ち受けていた。
「このスライムがレア種かどうか鑑定してください」
これは依頼主の名前を見て、鑑太郎は即座に分かった。アルトリア・フォン・シュタインという少年。この依頼主は毎日同じスライムについて鑑定依頼を出してくる常連だった。なぜ毎日同じスライムを鑑定する必要があるのか、誰にも理解できなかった。
鑑太郎は呆れながらも、一応図書館で確認。当然、昨日と同じ結果だった。
「鑑定結果:一般的なブルースライム。レア種ではありません。希少度E。昨日と変わりありません。おととい、そのまたおとといも変わっていません。このスライムがレア種に突然変異する可能性は0.0000001%です」
最後の一文を追加したところで変わるとは思えないが、一応書いておく。しかし、明日も同じ依頼が来るだろうことは想像に難くなかった。
神鑑社での「効率化」の障壁の一つは、このような「常連客」の存在だった。同じ依頼を何度も出す彼らのために、貴重な労働力が費やされる。しかし、全知神は「すべての依頼は平等に扱え」と命じていた。
そして、夕方になると例の悪名高い依頼が来た。
「この服を着るとモテますか?鑑定お願いします」
「だから、それは鑑定じゃなくて占いだって!」
鑑太郎は机を叩いた。隣の席の新人・小鳥遊さんがびくりと肩を震わせる。彼女の机にも、既に小さな紙の山ができつつあった。
「先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、すまない。ちょっとイラついてな」
「わかります。私も『この石は幸運をもたらしますか?』って依頼に10回くらい対応しました」
「それ、同じ人からか?」
「はい、違う石で10回です」
鑑太郎と小鳥遊さんは疲れた笑顔を交わした。こんな会話をしている間にも、依頼書は積み上がっていく。小鳥遊さんの机の上の紙の山が崩れ、床に散らばった。彼女は慌てて拾い始めた。
「いつかこの会社、システム化できないかな」と鑑太郎は呟いた。「AIとか導入して、自動で鑑定結果出せれば……」
「それ、前から言われてますよね。でも誰も開発する時間がない」
「そうなんだよな……」
「それに」小鳥遊さんは声を潜めた。「上の方は、そういう提案をすると『伝統を重んじろ』って怒るらしいです」
「伝統か……」
伝統。神鑑社の最大の障壁。何千年も同じやり方で鑑定業務を行ってきた神々は、変化を嫌った。彼らにとって「効率化」や「DX」といった概念は、畏れ多いことのように思えたのだ。
その時、鑑太郎のデスクに舞い降りてきた依頼書が彼の注意を引いた。
「勇者の剣の強さを鑑定してください。魔王討伐に最適な武器かどうか」
これは重要な依頼だ。本来なら図書館で徹底的に調査すべきだが、既に閉館時間近い。しかし、勇者の運命がかかっている。鑑太郎は急いで図書館へ走った。
「閉館5分前です」と黄泉君が言った。
「勇者の依頼なんだ。頼む、協力してくれ」
黄泉君は時計を見て悩んだが、結局頷いた。二人は協力して「勇者の剣」についての情報を探した。図書館の奥の方にある「伝説の武器」の棚には、ほこりがたまっていた。あまり参照されない棚だ。
「ここにあった!」と黄泉君が叫んだ。
古い皮表紙の本には、様々な伝説の武器が記載されていた。勇者の剣は確かに強力だったが、現在の魔王に対しては効果が薄いという情報もあった。
「この情報、早く伝えないと」
鑑太郎は急いでデスクに戻り、詳細な鑑定結果を書いた。
「鑑定結果:勇者の剣は攻撃力S、耐久性A、魔法伝導性S、希少度SSですが、現在の魔王は光属性攻撃への耐性が高いため、効果は半減します。闇属性の武器を併用するか、属性変換の魔法を使用することを推奨します」
彼はこの重要な情報を送信し、ほっと胸をなでおろした。これで少なくとも一人の命は救えるかもしれない。
しかし、そんな達成感もつかの間、彼のデスクには新たな依頼の山ができていた。その一番上には「今日の運勢を鑑定してください」という依頼があった。
鑑太郎は深いため息をついた。
「お前の運勢は最悪だよ。俺のも最悪だ」と呟きながら、彼は再び仕事に戻った。
彼らの会話は、突然の天井の揺れで中断された。地震かと思ったが、違う。神鑑社の社長である「全知神」が現れる前触れだった。全フロアが緊張に包まれた。