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少子化対策委員会

作者: 風神


 インターホンが鳴ったので家のドアを開けると、そこには見た事のない女子高生がいた。顔は知らぬが制服は俺と同じ旭岡高校のもの。丸顔にボブカットの髪型が似合っていて、ぴょこんとはねたもみあげが可愛らしい。目はちょいとタレ目っぽく、おとなしそうな雰囲気である。

「誰だお前」

「稲葉愛理です! お邪魔します!」

「おい待て。俺はお前なんか知らないぞ。つーか、赤の他人の家に何しに来た」

「二年H組です」

 俺は二年C組。同じ学年かよ。しかしC組とH組では教室のある階が違うし合同授業も無い。知らなくても無理はないか。いや、そんな事より、とにかくこの怪しさ満点の女はなんなんだ。

「何しにここに来た」

「お邪魔します!」

「話を聞け! 見知らぬ人間を家に入れられるかっ」

 俺は怒鳴ったが、稲葉はニコニコ笑いながら靴を脱ぎ、玄関を通っていく。あまりにも堂々と侵入するのでつい見逃してしまったが、これは立派な不法侵入だ。泥棒だ。訴えてやる。

 稲葉のブレザーを思い切り引っ張った。理由も無しに家に入るとはどんな親にどんなしつけをされてきたんだ。

「お前、あんまり調子に乗るとほんっとに警察呼ぶぞ」

「貴方の部屋に入れてくれれば事情をお話しします」

 どうしようか。突然訪れた非人道的な出来事に俺は頭を抱えそうになる。しかし人生は色んな事が起きる。多分こいつは頭がおかしいのだ。だからこそ冷静になれ。部屋に入れれば話すと言っているのだから、入れてしまうのが一番安全であり楽だろう。ここで突っ返そうとすると面倒な事になりそうだし。

 俺は稲葉の背中を押して、階段を上らせて自分の部屋に入れた。不法侵入者は俺の部屋をまじまじと見つめると、部屋の真ん中にちょこんと座った。

「で、お前は誰だ。なんで俺の家を知っている。何しに来た。なんで無理矢理家に入る。どうして笑ってる」

「稲葉愛理です。家は上司に教えられました。何しに来たかは今説明します。無理矢理家に入って落ち着いて話したいからです。営業スマイルです」

 この女、階段から転がしてやろうか。

「いきなり入ってきてすみません。では早速ご説明します」

 と、稲葉はとても機械的な口調で言った。どこが面倒くさそうにも聞こえる。

「私は少子化対策委員会の派遣員の稲葉愛理です。少子化対策委員会とは、極秘裏に活動している団体であり、貴方のようなモテない人に、異性の派遣員を派遣して、恋愛テクニックを教えたり、実際にデートもします。そうすることによって恋愛に対して積極的にさせ、恋愛をスムーズに進ませ、将来的に結婚して子供が作れるような人間にするのが、我が委員会の仕事であり目的です」

「病院ならすぐそこにあるぞ」

「問題ありません」

「どこで頭を打った」

「打ってません」

 困った。とんでもない女がやってきてしまった。しかも、なんかこの女逆ギレして微妙に苛ついた顔をして俺を見てくる。勘弁してくれ。俺はこの後のんびり本でも読むつもりだったんだぞ。こんな頭の沸騰した奴の相手をしていられない。

 今目の前にいる女は相当おかしい。家に押し込んでくる時点でありえないが、今の少子化云々はなんだ。そんなに子供作りたきゃ勝手に作ってればいいじゃないか。つーかそんな委員会聞いたことない。政府には少子化対策プロジェクトとか少子化対策担当大臣とかいた気がするけど、さすがに口論する事しか頭にないバカな日本の政府だって、ごく普通の女子高生を利用して、ごく普通の男子高校生の家に派遣するなんて事はしないだろう。

 深呼吸。稲葉愛理はおかしい。しかし旭岡高校の制服を着ている。という事は普段は普通に通っているのだろう。学校ではまともに過ごしていると思われる。こんな奴がありのままの姿で学校生活を送っていれば、話題になっているに違いない。しかしこんな奴俺は知らない。だから、学校では普通にしているんだな。

 しかしこいつにも、こいつなりの目的があってここに来たに違いない。それは、あまり穏やかな展開ではない。何かしら俺に危害が加わってしまう可能性がある。だとしたら阻止しなければならない。

 だが、とりあえずは……。

「帰れ!」

 こいつの事を調べる必要がある。どうせ話しても何も進まない。今から色々とこいつの事を調べてみよう。そして素性がわかり、俺に何かデメリットがあるかもしれないと判断した時は、またその時対処を考える。

「ですが私は、委員会の命令でここに」

「知るかっ。どこの宗教団体か何か知らないけど、帰れ!」

「女の子に向かって、そんなキツイ態度取るからモテないんじゃ……」

「どこの世界に家に無理矢理入ってくる奴をもてなす奴がいるんだ。いいから帰れ」

「でも、同じ旭岡高校ですよ。明日会いますよ」

 何故こいつはここまで人を苛立たせられるんだ。しょうがないので、無理矢理制服を引っ張って階段を下り、ドアから突きだした。ドアを閉める瞬間、稲葉は怯えた顔をしていた。まるで猫に追い詰められたように、ビクビクしていた。

 ……そんな態度をするのは、勝手すぎやしないか? 人の家に乗り込んで電波発言して、帰り際にあんな顔をするとは。あいつは何がしたかったのだろうか。

 いや、今そんな事を考えている場合じゃない。あいつについて調べなければ。さすがにあんな意味不明な奴が家にやって来て、何も気にせずに趣味に没頭するなんて出来ない。

 稲葉は確かに旭岡高校の制服を着ていたが、だからと言って本当にうちの生徒とは限らない。俺は机の引き出しから修学旅行のしおりを取り出した。これには二年生全ての班員、つまり名前が書かれている。

 C組の欄を見た瞬間、俺はとても腹が立った。二年C組の女子の一番上に稲葉愛理という名前があった。ちきしょう。本当にあんな奇人が旭岡にいたのか。という事は、少なくともあいつは俺の日常に波乱を起こしてしまう可能性のある人間だ。

 こういう場合、強く否定し続けるか、もしくは稲葉とあえて接触してあいつの考えてる事を読み取るか。あいつの言っていた事を思い出す。少子化対策。モテない男とかデートとか。確かに男として稲葉みたいな可愛い女と制服デート出来たら高校生の思い出として最高だが、顔が可愛くても性格は電波である。いやしかし、家にまで来てあんな怪しげな話をするなんて、電波ではない可能性もある。無理に家から追い出さずに、話を詳しく聞くべきだったか?

 怖くなってきた。あまりにも非現実的な事が起きて困惑している。あんな電波女を家から追い出したら、次は何をしてくるかわからない。理不尽な事は穏便に済ませることが大事だって事くらい、子供の俺でもわかる。……あいつ、まだ近くにいるかな?

 そう思い玄関のドアを開た瞬間、稲葉愛理はドアの前に立っていた。

「……おい」

「予想済みの行動です」

 人間、ここまで電波な人間を目の前にすると、思考回路が麻痺するらしい。俺はわざとらしく溜息をつくというささやかな抵抗をすると、部屋に再び稲葉を招き入れた。

 俺はベッドに座り、稲葉はさっきと同じ場所に座る。

「何が予想済みなんだ」

「モテない男は、すぐに後悔してオドオドして、今みたいに強気に女の子を突っ返したくせに、自分からこちらの様子を窺ったりするものです。マニュアルに書いてありました」

「殴っていいかな」

「女の子を殴るという事は、モテないという話以前に人として最低です」

「いや、家に無理矢理入ってくるお前はもう既に人として終わってるけどな」

「悪口は嫌いです」

「俺は不法侵入者が嫌いだ」

「仕事の話をしてもいいですか」

「どんな仕事か知らないけど、話してみろ」

 稲葉はブレザーのポケットからメモ帳を取り出すと、たまにメモ帳を見ながらしゃべりだした。

「先ほども言いましたが、私は少子化対策委員会に在籍している派遣員です」

「その委員会は世間的に公認されてるのか」

「極秘裏に活動しています」

「つまり、とても怪しい宗教団体として見ていいんだな」

 稲葉は太ももを人差し指でポリポリと掻きだした。ちょいと表情に苛立ちが出始める。

「一通り説明させてください。当委員会はこれ以上の少子化に歯止めをかける事を目的としています。言うまでもありませんが、子供がどんどん減っていくと、医療や介護、新しい技術者、何から何まで人手不足になり日本国は衰退します。事実、日本は今経済不況で経済はボロボロ。介護問題、各職業で後釜が不在になり日本がずっと育んできた技術や知識が無くなる可能性があります。良い事なんて何もありません。この国の問題点を挙げていたらキリがありません。そのうちブラジルにまでGDPが抜かれるかも知れませんよ? もう、日本国民は意地張って先進国ぶるのは止めないとダメなんです」

「言っている事はわかる。正しいと思う。でも、少し話題が逸れてる」

「失礼しました。ただ、少子化対策は一番深刻であり単純な問題です。だってやる事はただ一つ……」

「言わなくていいっての。アホ」

 その後の台詞は、あまり女子高生から聞きたい台詞ではない。

「まぁ子供云々は抜きにして、ここ最近日本はとても人間関係が薄れています。インドア志向なんですよね。人と群れるよりも一人が好きという人が多いのです。家で出来る娯楽が多いのもありますが、やはりネットの影響など色々考えられ、コミュニケーション能力は極端に落ちています。協調性の無い人間も増えています。交流や会話は人間の基本的な事なので、それが出来ないというのは一番問題です。そこで!」

 稲葉は人差し指をビシッと俺に突き出した。テンションがだんだんあがってきた。

「一番ダメなのは、貴方みたいにモテないのにくわえて彼女を作ろうともしないその消極的な態度! そういうモテない男にデートや恋愛テクを教え、人間関係の向上に努め、女の子と沢山交流出来る性格にして、少子化対策をしようと言うわけです!」

 俺は腕を組み、考えた。言っている事は正しいと思う。誰もが、心の底で少しは思っている事であろう。確かに人間関係が薄れている世の中だとは思う。インドアな人間は増えている。遊びや人との出会いを億劫と感じる人間は多い。

 昔にくらべて、異性との交流は減っているだろう。間違っても増えてはいない。最近は頭の悪いネーミングを付けるのが趣味のマスコミが婚活とか草食男子とかほざいているが、それは実際に人間関係が出来ない人間が多いからこそバカなネーミングがマスコミの頭に浮かんだのだ。

 いくら技術が進化したりネットが普及したり暮らしを便利にする物が生まれても、肝心の人間との交流が出来なかったら全く意味がない。そしてこれ以上若者が減っていけば、十年、二十年単位で考えると確かに深刻である。

 一番簡単に解決できるけど、一番難しい話だろう。まさか政府が怖い人を独身男の家に連れて行き、「この女と結婚して子供作れ」なんて言えないだろう。似たような事言ってる奴が目の前にいるけど。

「お前の言ってる事はわかったよ。で、お前は何しに来た。まさか現代社会の問題点を述べに来ただけじゃないだろうな」

「私の仕事はただ一つ。モテなくて女の子と全然交流のない貴方と仮の彼女になり、デートをしながら色々なテクを教えます」

「言い方を変えると、俺の男としてのプライドを仮の彼女という屈辱で潰したいのか」

「言い方を変えますと、練習です。今後女の子と仲良くなるために、私と遊ぶだけです。あ、お金は取りませんよ。我が委員会はボランティアですから」

「……俺に拒否権は?」

「あります。何故かというと、無理矢理仕事を遂行すると私がストーカーとして訴えられるからです」

「よしわかった。今すぐ帰れ」

「貴方、神崎優花が好きでしょう?」

 俺はいったいどこから出たんだと自分でも思ってしまうほどに甲高い声で「は?」と無様な声を漏らした。

「な、なんで知ってるんだ!」

「何故私が貴方の家に派遣されたかわかりますか。それは、同じ高校の同じ学年で、貴方の情報を調べやすいからです。貴方のクラスの宮野君に聞きましたよ。神崎さんが好きなんですってね。どう? 私と練習して神崎さんにアタックしない?」

 俺は腕をぶるぶるとふるわせながら拳を握った。どうする。どうする俺! プライドを捨てるか? もしくは頭を下げるか?

 そう考えると、自然に笑いが漏れた。プライド? 俺にどんなプライドがあるってんだ。モテなくてダサい男のくせに、何を強がっているのだろうか。プライドなんてねぇよ。自分に自分持てる人生を送っているつもりはない。こいつは怪しい女だが、デートの練習とかしてくれるなら、まぁいいかもしれない。

 それに、稲葉は顔だけ見れば可愛い。タレ目でおとなしそうな所も良い。俺だって、女の子と遊んだという高校生の思い出くらいほしいさ。毎日つまらい。何もない。同じ事の繰り返し。たまには、目の前にある刺激的なイベントに手を出してもいいんじゃないか。大人になってしまえば、そんな思い切った事なんて出来なくなる。

「……じゃあ、頼む」

 俺がそう言うと、突然稲葉は正座から女の子座りにチェンジし、大きな溜息をついた。その途端、ずっとしっかりと俺を見ていたまなざしは弱くなり、トロンとした目つきに変わった。

「ふぅ」

「どうした」

「仕事モード終わりです。えっと、改めて宜しくお願いします。坂木君」

 これがデフォルトモードらしい。ずっとそのままでいてほしい。その方が同年代の人間と話している気になれる。これまではどうも、実態のない人間と話している気分だった。

「ていうか、俺の名前知ってるのか」

「うん。調べたから当然。坂木勇太君でしょ」

「……そうか。ところでお前さ、どこでそんな怪しい委員会に声かけられたの?」

「うーん。そこらへんは、秘密です」

「なんでその委員会に入ってるの?」

「バイトです」

「バイトなのかよ。……時給いくら?」

「千五百円です。だからこの仕事やってます」

「……これ以上は聞かないでおく」

「そうしてくれると嬉しいな」

「で、これから具体的にどうすればいいんだ。怪しさ満点のお前を一応は受け入れたんだ。何も無いとか言うなよな」

 稲葉はニコリと笑って言った。

「明日から早速デートするの。あ、でも校内ではあまり話さないようにしましょう。噂が流れると、後々面倒だから」

「わかった」

 沈黙。半分勢いで話に乗ってしまったが、俺は別にこいつと友達でも何でもない。さっき始めて会った電波女と雑談出来るわけもない。戸惑って混乱する頭で必死に考えるが、どうしていいかわからない。

「……お前、この仕事をしている事、他の人間は知ってるのか」

「知ってる訳ないじゃない」

「俺がバラすかもしれない」

「そんな話を皆にしても誰も信じないよ。むしろ坂木君の立場が危うくなるよ」

「とても腹の立つ関係だな」

「し、仕事だからしょうがないじゃない」

 稲葉はそう叫ぶと、腕時計をチラリと見て言った。

「あ、ごめん。もうそろそろ晩ご飯だから帰るね! それじゃっ」

 あっというまに部屋から出て行った。慌てて後を追うが、階段を駆け下り後ろ手で手を振りながら家を出て行った。

 ……とりあえず、普通の生活を普通の人間としてやっているらしい。少子化対策委員会。本当にそんな怪しい団体があるのだろうか。女子高生を破格の時給で雇い、こんな事をさせている。させる方もさせる方だが、やる方もやる方だ。稲葉は見た目だけで考えると、そんな不気味な事に手を出す子には見えないのだが。


 翌日学校の廊下で稲葉を見かけた。おとなしそうな女友達二人と楽しそうに歩いていた。俺と目があってもすぐに目線を反らされた。理解不能な関係でもなんだかショックだ。

 ていうか、あんなおとなしそうな普通の女子高生が、怪しい団体でとても人に言えない仕事をしているなんて。少子化対策の前に、そういう仕事に手を染めてしまう稲葉みたいな人間を更正させる方が先なんじゃないか。

 昨日始めて会った女の子とは言え、お互い俺の家で会話をしたじゃないか。なのに、さすがに相手がどんな奴であれあまり良い気分はしない。稲葉はバイトで俺と関わっている。それはとても屈辱だが、神崎優花の名前を出されたとき、自分は断らないだろうと直感した。中一の時からずっと好きだったんだから、それこそ手段は選ばない。

 とは言え、やはり人として間違っているというか、屈辱は感じる。稲葉は金をもらうために俺を使う。俺は神崎と仲良くなるために稲葉を使う。お互い見返りはあるが、あっちは確実に金をもらえる。しかし俺は、仲良くなれるかどうかもわからない。それは稲葉次第。あいつがどこまでやってくれるかはわからないが、少子化対策委員会なんて所に、接客サービスなんて無いだろう。好きな女を切り札に、家に押し込んでくるくらいだし。

 しかし放課後、学校を出て住宅地に行くと、電柱に稲葉が寄りかかっていた。

「やっほ」

 と、満面の笑みで手を振ってくる。

「待ち伏せか」

「まぁね。早速デートをするわよ」

「どこで」

「まずは軽く喫茶店にしましょう」

「俺、行った事ないぜ」

「だからこそ行くんだよ。喫茶イトゥラにしましょう」

 喫茶イトゥラ。名前くらい知っている。旭岡高校の生徒がよく利用している。中はちょいと薄暗くて、カクテルの種類が豊富。雰囲気は大人向けだが、学生向けのメニューもあり、カッコつけたい高校生にはもってこい。

「ほら行くよ。練習練習!」

 稲葉はスタスタと歩いて行ってしまう。なんだかなぁと思いつつ、どうでもいいやとも思っている。ここまで来たらもう流れるままに稲葉との時間を過ごそう。だらだらしていようがしっかりと地面に足をつけていようが、時は進んでいる。俺はそれで良いと思ってる。

 喫茶イトゥラに着くと、稲葉は適当な席に座った。他に客は旭岡高校の女子三人組と、二十代前半の女だけ。

「何頼む?」

 メニューを見て俺は大人の世界を見た。喫茶店に行ったことがないので、コーヒーの高さに驚く。なんでコーヒーごときが三百円以上するんだ。でも、喫茶店によく行く人やコーヒー好きならそれが普通なのだろう。俺はコーヒーは好きだが、せいぜい缶コーヒー程度。だからこの値段には納得いかないけど、これも人生経験だろう。

 なんだか稲葉にバカにされるのも悔しいので、俺はあたかも「ふーんまぁ結構安い方なんじゃないの?」的な顔してカフェオレを頼んだ。稲葉は俺の顔を見ずにコーヒーではなく紅茶とチョコレートケーキを頼む。

 すぐにウェイトレスが注文したものを運んでくる。とりあえず一口飲む。……まぁ、うまいと言えばうまいが、三百五十円分の感動は無かった。まろやかな味なのかなとも思うが、カフェオレはまぁそういう飲み物だろう。

 稲葉も紅茶を一口。何も感想を言わずに、次はチョコレートケーキをフォークで突き刺す。

「ねぇ坂木君」

「なんだ」

「どうして沈黙を破らないの?」

「へ?」

「男子が話題を提供するのは常識だよ。私達はカフェ巡りでコーヒーの味を確かめに来たんじゃないんだよ」

「それは分かるけど、面白い話題なんか思いつかないな」

「だーかーら。面白い話をしようと頑張る所がおかしいの。別に他愛ないトークでいいのよ。何か一つの話題から、どんどん会話が進んで広がるんじゃない。背伸びしちゃダメっ」

「……液晶テレビより、ブラウン管の方が画面綺麗らしいぜ」

「坂木君」

「うん?」

「私に喧嘩売ってるの?」

「難しいんだな」

「……」

「稲葉は彼氏とかいるのか?」

「バカ!」

「すまん」

「いきなり恋愛の話題はダメ! しかもいきなり恋人の存在を確かめるとか、私に気があるっていう思惑が感じられちゃうじゃない」

「そんな事でか」

「まぁ人にもよるけど……。そう勝手に思っちゃおう女の子だっているんだよ。喫茶店に二人きりの状況っていうのがあるからね」

 なるほど。確かに二人で喫茶店にいるんだから、そういう話題が出れば意識されても仕方ない。

「私達は同じ高校なんだから、学校の話題でいいじゃない」

「なるほど。お前、うちの先生どう思う」

「うーん。良い人もいるけど、適当な先生多いかな」

「俺もそう思う。村岡っているだろ? あいつ、いつも授業忘れてこないんだ。もう年で頭ボケてんじゃねぇのか」

「ボケは坂木君だよ!」

「どうしてだ」

「いきなり悪口はダメ。些細な事でも、決して人をバカにしたりする事は言わない方がいいよ。恋愛の話や悪口もしない、無難で真面目な人だと思わせなきゃ」

 もっともだ。つまり、普段何も考えずに喋っている自分でいてはダメという事か。考えて話を切り出す。相手の事をよく考え、無難な話で盛り上がる。……なんか、恋愛って難しいし面倒なんだな。気楽な感じはしない。

 稲葉はチョコレートケーキを口に放り込む。ダメな俺に苛ついていた顔も、ケーキを食べた瞬間顔をくしゃっとさせ天井を見上げて「おいしい!」と感動の声をあげる。

「つーか、稲葉はこの先の進路とかどう考えてるんだ」

「え? えーと……。いや、まぁ、特に何も」

「なんで?」

「バカ!」

「悪い」

「今、私がせっかくわざとらしくはぐらかしたのに、なんで聞いちゃうのよ。普通に考えてダメだよ。坂木君、貴方は恋愛というより、基本的に空気を読めていない! 致命的だよ。友達と話す分にはいいかもだけど、女の子とデートしてるんだからもっといつも以上に気を遣って喋らないと。気を遣うだけでも、ずいぶん会話をスムーズに嫌みなく勧められるんだよ」

「めんどくせぇんだな」

「じゃあ神崎さんを諦めるの?」

「それはちょっと。なぁ、お前神崎について何か知ってるのか?」

「一年の時は同じクラスだったけど、あまり話さなかったなぁ。あの子強気そうで私とは気が合わない感じじゃない? あ、でも今回色々調べたよ。あの子好きな人いるね」

 それは俺も知っている。友達から聞いた噂話だが、和波秀という奴が好きらしい。でも、付き合っているという話は聞いた事がない。だから希望は捨てていない。捨ててはいないが、行動は何も起こしていない。

「まぁ、今三十分も話してないけど、坂木君がダメすぎるおかげで当たり前の事は教えられたかな。とにかく会話は気をつけること。自分の出す話題を客観的に考えるの。とにかく無難な話でいいのよ。つまらないと思う話題でも、女の子は会話そのものを楽しんでるから。内容はくだらなくてもつまらなくてもいいんだから」

「そんなもんなのか」

「そうだよ」

「じゃあ、神崎と俺も仲良く……」

「二人で遊びに誘おうと思ってる?」

「まぁ、出来れば」

「アホんだら!」

「いつの言葉だ」

「いきなり二人はあまりオススメしない。親密にはなれるけど、かなり危険な橋だよ。誘う相手が恋人欲しくてしょうがない! とか、自分に気のある女の子なら大丈夫だけど、恋人とかお付き合いに興味無くて自分にさほど好意を抱いてくれていない相手だったら、何を勝手に勘違いされて警戒されるかわからないからね。ていうか誘って断ったら終わりじゃない。でも、坂木君としての目的があるとすれば、神崎さんと仲良くなることだよね」

「まぁそうだな。とにかく神崎と一度で良いから遊びたい。そして最終的には付き合いたい」

「わかった。じゃあ、神崎さんと仲の良い友達がいるから、私誘ってみるよ。で、坂木君も連れて行くから」

「マジで!?」

「マジだよ」

 稲葉は胸をグーで叩くと、誇らしげに言った。良い奴だなぁと思ったが、こいつは時給千五百円もらっているからこそ、協力してくれているのだ。その時給がどの範囲まで含まれるかはわからないが、良いバイトじゃないか。

 俺はこれでいいのだろうか。人としてどこか違うような気もするが、そんな綺麗事や強がりばかり心に抱いていても、人生はうまく過ごせないし楽しくもならない。大きな志や期待はダメだ。利用されていようがなんだろうと、手段を選んでいたら灰色の学校生活のまま卒業してしまう。稲葉という俺を利用するやつがいれば、俺も稲葉を利用する。それでいい。クラーク博士、道産子でもあり少年でもある俺は、大志を抱けそうにないです。

 その後も、俺は稲葉に色々と恋愛テクニックとやらを受けた。だが、そこで一つの問題が頭に浮かび上がった。

「なぁ稲葉。お前恋愛テクを俺に教えてるけど、実際の所お前はどうなんだ」

「へ?」

「俺にここまで言ってるんだから、さぞ恋愛経験は豊富なんだろうな」

「いや……」

 調子よく喋っていた稲葉の顔がこわばり口も止まる。

「私、その」

 もしかして、経験無し? 委員会に言われた通りのマニュアルと、女としての心を俺に伝えているだけなのか? いやしかし、俺とて稲葉先生の授業を適当に聞いていたわけではない。わかりきっている事だ。こいつはマニュアル通りレクチャーしてるだけ。でも、そんな所を責めてもしょうがない。

 俺はコーヒーを一口啜って間を置いてから言った。

「まぁ、神崎の事は楽しみにしてるよ」

 稲葉は奥歯に物が挟まったような顔で俺をずっと見ていた。


 中学二年生の秋。文化祭の準備のため放課後教室に残って作業をしている時、神崎に突然話しかけられた。

「坂木君ってさ」

「え?」

「不器用だよね」

「……」

 言われなくてもわかってるし、そんな事を言うために話しかけたのか。俺はイラっと来た。皆も俺が不器用なのをわかっていても黙っていた。いちいちそんな事言ってたら始まらないし、言えば嫌みになる。それが優しさだと思っていたし、不器用で粗末な展示物が出来上がっても、たかが文化祭。適当な気持ちでやっていた。

 俺はポスターに写真を貼ったり、ステージで踊るために使う道具を作っていたがこれまた難しい。かなり見苦しい物が出来ていた。神崎はポスターを掴むと、まじまじと見つめて「へたくそ」と呟いた。

「お前さ、ハッキリそんな事言うなよ。しょうがないだろ」

「手伝うよ」

「へ?」

「坂木君、字うまいからポスターの文字沢山書いてくれたでしょ。それで皆の負担が減ったと思う。なのに、いざ坂木君が苦手な分野をやりだしたら誰も手伝わないなんてひどいよ。私はこういうの得意だから、一緒にやろう」

 目の前に、神崎が書いたポスターが置いてあった。女子なのにめちゃくちゃ字が汚く、小学生レベルであった。

 俺はもっと前から神崎を気にしていたが、この時にハッキリと好きになった。俺を手伝ってくれた優しさ。道具作りで悪戦苦闘している俺を見逃さずに手をさしのべてくれる気遣い。下手ものを下手とハッキリと断言し、うまいものは認めてくれる。そのハッキリとした性格。全てが嬉しかった。神崎のその優しき心は俺の体中の血液をまっさらにしてくれた。中学はどうもつまらなくてやってられなかったが、その瞬間だけ灰色で塗りつぶさせた灰色の俺の学生生活は、緑や青などの爽やかな色で優しく塗られた気がした。

 俺は多分、心のどこかで何も言わない人間にうんざりしていた。嫌な事があるのに黙っていて、ある日突然キレる。文句があるのに言わずにネットに書き込む。最近そういう人が多い。人間関係にどこか違和感を感じていた。でも神崎は違う。ハッキリと物を言い、裏でコソコソしない。純粋な優しさを持っている。惚れて当然だ。

 何より、可愛くて性格が良いのにちょっと強気な顔と物言いと、字が汚いというギャップがたまらなかった。

 でも神崎はデフォルトで優しいのだ。誰にでもそう。でも俺は舞い上がっていた。だから翌日親しげに話しかけると、不思議そうな顔をされた。とても腹が立ったし、自分が情けなかった。

 それでも諦められずにいたし、付き合うのが無理だと思えば思うほど好きになるし何故か希望する抱いてしまう。欲しい物が手に入らないと、そこまで欲しくないのに欲しくなってしまう子供みたいな心理。

 でも無理なものは無理。それをわかっているからうんざりするし全てがどうでもよくなってしまう。しかし、稲葉は無理を可能にしようとしてくれている。稲葉は時給がもらえればいい。仕事がうまく行き俺が神崎と仲良くなればどうせ報酬でももらえるのだろう。それでもいい。俺は神崎と仲良くなれればいいのだから、稲葉の思惑なんてどうだっていい。

 自分で言うのも変だけど、俺は少し優しくされただけで強く惚れてしまうような年なのだ。年をとり大人になったら、そんな事でいちいち俺の脳みそは反応しなくなるだろう。それはとても悲しい事でありつまらないと思う。

 俺は授業中、そんな事ばかり考えていたが、どうしても稲葉の言う少子化対策委員会というのが頭から離れない。本当にそんな変てこりんな団体があるのか。そしてそんな団体に稲葉は何故どうして入ったのだろうか。聞いてはいけないオーラを漂わせているし、あまりにもうさんくさくて聞いていないけど、普通に考えて、そこら辺にいる女子高生がそんな委員会に入り、人の家に無理矢理押し込むなんてしないだろうに。

 引っかかる。あいつの属している組織の実態はいったいなんなのだろうか。

 授業が終わりホームルームが終わり、放課後俺は一人で歩いていると、前方に稲葉を見つけた。ビルや昔ながらの店が並ぶいびつではあるがありきたりな風景に、ごく普通の女子高生である稲葉はとても自然に溶け込んでいる。

 俺は稲葉から五十メートルくらい離れて歩く。つけているわけではない。方向が同じなのだ。

 稲葉は一人でゆっくり歩いている。しかし、突然立ち止まると勢いよく振り向いた。そしてこちらにゆっくりと近づいてくる。

「坂木君」

「お前も家こっちなのか」

「違うよ」

「違うのかよ」

「少子化対策委員会がこっちにあるの」

「そりゃ大変だ。俺の家と近いじゃないか」

「場所知られると困るから、寄り道してくれない?」

 俺はムッとした。何故、怪しい委員会に所属している稲葉と関わりがあるからと言って、俺はまっすぐ家に帰ってはいけないのだ。人を舐めるのもいい加減にして欲しい。俺だって、お前を利用しているのに過ぎないんだぞ。

「嫌だね。俺の家はこっちだ」

「私は確かに、今神崎さんとその友達遊ぶ予定を考えている。この調子なら貴方も混ぜて遊ぶ事が出来るんだよ。私の言う事は、聞いた方がいい」

 確かに、稲葉は早速神崎の友達である星野真菜に接触し、俺ともう一人男子を入れて合計五人で遊ぶ事を予定している。近いうちに、俺が神崎と遊べる事は確実だ。それは嬉しいし、仕事とか怪しい団体云々を抜きにして嬉しいし感謝している。ただ、そんなアホくさい理由でまっすぐ家に帰る事を禁止されるのはおかしい。

「このまま坂木君が普通に歩いて行くと、私のいる委員会の場所がばれる。それはとても困る事なんだ」

「知るか。そんなあるか無いかもわからん委員会の事なんて。仮にあるとして、お前はその委員会から金をもらう。俺は好きな女と仲良くなる。利用され利用する。そういう関係だろう。でもな、俺が歩く道までお前が決めるな」

「何を言ってるの? 私は貴方の歩く道を今決めているんだよ。神崎さんと仲良くなるっていうバラが咲く遊歩道を」

 稲葉は、バカにするような顔でそう言った。その瞬間俺は気づいた。稲葉は俺の家に来たとき、敬語でハキハキとした口調で完全に仕事モードであった。そして俺が稲葉の話を聞き、神崎と仲良くなる事を頼んだ瞬間、一気に親しげで普通の態度に戻った。その時俺は稲葉が普通のいつも通りの姿に戻ったと思った。しかしそれは違う。あの日から仕事モードを変えていない。今の稲葉は、二つ目の仕事モードに切り替えているにすぎない。

 本性は違う。学校でいくら無難に過ごしているとしても、稲葉の噂なんて聞いたことないから無難におとなしく過ごしている事は予想出来るが、俺はこの女と学校で話した事はない。クラスも違う。学校でのこいつの姿なんて全然知らない。廊下で見るだけだ。

 だから今の稲葉がありのままの姿だと思っていたけど違うんだ。俺と接しているこいつは、あくまでも仕事上の姿。少し考えればわかるはずだった。普通の女が怪しい委員会に入って男を利用して金を稼ぐわけがない。でも普通じゃない女は援助交際を平気でやる。稲葉はそういう女と同じなんだ。

「バカな事言ってんなよ。俺は歩く。真っ直ぐ家に帰る」

「じゃあ、せめて二十分はここから先に行かないで。本当にバレるから」

「うるさい。俺達の関係を考えても、お前に俺の歩く道を決める権利はない」

「大げさな事言わないで。ただ単に、委員会の場所をバレたくないだけ。お願い。ちゃんと仕事はするから。貴方だって、面倒な事になりたくないでしょ」

「……じゃあ、その委員会の事教えろよ。気になって仕方がない。教えてくれれば、お前のいる委員会がある建物を発見しないように、お前が完全にここから消えてから家に帰る」

 稲葉は、長く伸びた人差し指の爪で頬を強く掻いた。その瞬間、耳を覆い隠していた横の髪がふわっとめくれて耳がハッキリと姿を現し、その耳には穴が開いていた。

 長い爪にマニキュアを塗り、隠した耳にはピアスの穴。爪はまぁオシャレだし女だから別に変な事ではないが、耳のピアスは決定的だ。こいつはおとなしい女の子である可能性はありえない。

 派手なマニキュアとピアスをつけ、こいつはいつどこで何をして遊んでいるのだろうか。そして遊ぶ金やピアスを買うお金はいったいどこで稼いだ金で買うんだろうね。考えなくてもわかる。さぞ高いピアスを買える事だろう。

「あのさ、立場わかってる? 私次第で、貴方は神崎さんと仲良くなれるかなれないか決まるのよ」

「決まる? わからないじゃないか」

「どうしてわからないの? 私は貴方の事色々と調べたんだよ。中学時代からずっと好きだったのに、もう高校生になってる。でも行動は何も無し。だから委員会はモテない貴方に目をつけて、私を派遣した。私がいなかったら恋愛テクも、神崎さんと遊ぶ事という予定も得られなかった。一度皆で遊べばそれだけでもう友達よ。そうなれば貴方は普通に神崎さんと話せるわ。同じ中学ってのもポイント高い。中学の話で盛り上がれるからね」

 この女。まるで俺をダサいトレーナーを着ている男を見るような目つきでそんな事言いやがる。本性が出てるぜ、派遣員さん」

「でも、委員会の存在は本当だよ。モテない人間に接触して、恋愛に積極的にさせるという目的も本当」

「ちょっと待て。それを信じるとしたらやっぱりいくつか疑問が出てくる。まず、お前は高額な時給をもらっている。ただ、俺はお前にお金を渡さない。そうだよな?」

「うん。私は委員会から時給を貰い、仕事の出来次第でボーナスをもらう。もしも本当に付き合えたらかなりのお金をもらえる。でも、依頼主は何も払わないよ。だってむしろこっちから押しかけるんだもん」

「だったら、そっちにメリットが無い。そのお金はどこから出てくるんだ。派遣員に金を払うだけ。委員会を経営している奴がどんな人間かは知らないが、直接的なメリットがない。もう一つ、どのくらいの規模があるかはわからないけど、あまり派手にやると問題になるだぞ。変な団体が女子高生を利用して変な事してるって」

 稲葉は一気に苦虫を噛みつぶしたような顔になった。しかししばらくすると、次は何故かニヤリと笑って言った。

「おいしい話にはどうしても面倒な事がつきまとう。確かにそうだね。でも、そうなる前に止めればいいし、無理矢理やらされたって言えばいい」

「お金をもらっておいて?」

「もらってないって言うもん」

「銀行口座を調べられたら終わりだろう」

「手渡しだもん」

 さすがに何も言えなかった。

「でも貴方が一番知りたいのは、少子化対策委員会なんてものの存在理由でしょう? 始めて会った日に行ったけど、人の恋愛を活発にし、少子化を食い止めるため」

「少子化を食い止める事は良いことだから、まぁわかる。でもそんな委員会なんて……」

「知らないわよ!」

「は?」

「たまにニュースで意味不明なかなり頭の吹っ飛んだ教祖がやってる宗教団体が、事件起こして問題になる事あるでしょ。そして教祖とか幹部は、たいてい意味不明な事を述べる。でも、本人達は凄く真剣で自分が正しいと思ってるし好きでやってる。最近じゃ宗教ではないけど、独自の通貨を作ってボロ儲けして捕まった人もいるでしょ。世の中、どこにでも頭のイカれた変な大人はいるのよ。だからこの委員会も、頭の飛んだ奴がよくわかんない信念の元にやってるんでしょ。お金は、他で活動してる宗教団体で儲けた金でまかなってるんじゃない? とにかく私は金もらえりゃそれでいいのよ! 援助交際もやってた。でも、この仕事の方が楽だし儲かるんだよ。頭の吹っ飛んだ委員会のお偉いさんは、私がうまく仕事をすると沢山お金くれるし」

 俺はとんでもない告白に、目の前の時が止まった気がした。嘘だろ。こんなのありえない。女子高生が怪しい団体に属して金をもらってる。それは最初からわかっていたけど、具体的に言われると思考回路が停止してしまう。

「まぁ、やる事はやるわよ。成功すればお金はもらえるし」

 共通の友達に応援されたりするのと、稲葉に協力してもらうのでは話が全然違う。

 確かに俺は自分なりのプライドなんか無い。意地も努力も嫌いだ。意味が無いから。そのくせ、神崎の事は諦めていない。だから怪しい人間でも稲葉を利用する事にした。

 でもいいのか? 違う。何かが違う。俺はどうした。人としてのプライドを取るのか。確実に神崎と仲良くなれる方法を取るのか? 自分で神崎と仲良くなれる自信は無い。あいつには好きな人がいるし、俺の事なんか全然眼中に無いだろう。

 ……嫌だ。稲葉を利用して利用されるのは嫌だ。俺は自分が嫌いだし強い意志もない。でも、人として心の底に残っている淡い希望や期待、プライドや意地、そして自我を捨てたくない。

 それらを捨てるくらいなら、俺は稲葉を拒絶する。

「依頼取り消しだ。やっぱり何か違う」

 俺がそう言うと、稲葉は目を見開いた後、大きな溜息をした。とても嫌みったらしい溜息。

「わかった。うちでは無理矢理仕事を遂行するのは御法度だからね。ま、次のターゲット見つけるよ」

 そう言うと、稲葉は振り返って歩き出した。俺も歩き出す。依頼を取り消したんだから、稲葉が俺に何かを頼む事は出来ない。俺もこいつの言うことを聞く必要はない。俺に委員会の場所を知られたらもうしょうがないんだろうし、俺としては委員会が入っている雑居ビルだろうが民家の場所がわかったってどうでもいい。

 後悔が強く体を支配した。本当に良いのかな。これでまた希望を抱くことが出来ず、何も出来ない自分に絶望しながら生きるのだ。やっぱり強がらずに、自分という存在を百パーセント完全に諦め、なるべく楽な道を歩み、そのためには言われるがままの道を歩いて、歩こうとした道を禁止されたらおとなしくその場で待つか他の道を歩く。それが一番楽だし、自分の望む日々を掴みとれるんじゃないか?

 でもそれは掴み取るとは言わない。掴み取ってもらったに過ぎない。本屋で、棚の一番上にある本を店員に脚立を使って取ってもらうように。

 しばらく歩くと、狭い住宅地に入る。その時、稲葉は振り向いて言った。

「……まぁ、せっかくのおいしい話を、これからって所で拒絶して、最後の最後ではなんとか自分を強く持てるんだったら、自分一人で好きな女の子と仲良く出来るんじゃない? それに、私はもう貴方に関わらないけど、神崎さん達と遊ぶ約束はしちゃったんだし」

「……」

「後の予定は皆で勝手に決めてよ。それくらいなら、利用しても構わないと思うよ? 人生、そういうもんでしょ。おいしい物は、見逃さずにしっかり食べないと」

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