最終章 私が好きな君の理由
もうどうでもよかった。
彼の心は私にないし、彼女は今頃きっと勝ち誇った顔をして彼の所にいるだろう。
鉄製の階段を上る。出入り禁止の警告を無視して屋上へ続く扉を開けた。開けたそこは、壊れた鉄網のドアが不気味に軋んでいる。つい最近、ここから飛び降り自殺をした人間がいるらしい。腹をナイフで刺し、自ら飛び降りたとのこと。その人はいったい何を考えていたのだろうか。きっと私と同じ気持ちだったのかななんて勝手に想像して私は一人吹き出した。
自分用のスマホを操作し、電話をかける。
3コールして相手は、もしもしと言った。
「駅前ビルの屋上にいる。」
「え?」
「会って話がしたい。」
「急にどうしたの?家じゃダメなの?」
彼が戸惑ったように言う。私は答えない。しばらくの沈黙の後、ため息を吐くと彼は分かったと言って、電話を切った。これが最期かもなぁなんて思いながらスマホを放り投げると、屋上に無様に転がった。液晶画面にひびが入って、2人の笑顔を真っ二つに割った。それを見て私は満面の笑みを浮かべる。それでいい、それがいい。
しばらくして彼が屋上のドアを開けて現れた。
「話って何。」
何時もより冷たい声。それもそうだ。彼女と会っているときにわざと呼び出したんだから。
落ちているスマホを拾うと、何の真似?と怪訝そうに差し出す。私はそれを受け取ると、慣れた手つきで操作して彼に画面を見せた。
「は?」
そこには幸せそうにキスをする彼女と彼の写真。
見せつけるようにスワイプすれば、そこには証拠の数々。私が掻き集めた悲鳴の群れ。それを聞いた彼は膝から崩れ落ちると、違うんだ、これは・・・!と情けない表情をした。
「これは、なに?」
「違うんだ、これは・・・そう!職場の後輩が勝手に!」
「そうね、メッセージからも分かるけど彼女は後輩ちゃんのようね?」
「そ、そうなんだ!」
「ハートマーク送られるなんてよっぽど浮ついた相手なのね?」
「な、なんで知って・・・。」
「彼女と君のことなら何でも知ってるよ。」
女の子らしい彼女。男らしい私。
所詮その程度の男なのだ。
「私に告白してくれた時のこと覚えてる?」
「も、もちろんだとも!」
「あの時の答え、今答えてあげる。」
私は肩にかけていた鞄から新聞紙にくるんだものを取り出した。
「恋心って理論的に証明できると思う?」
「ぼ、僕は!・・・えっ。」
新聞紙を取り払えば、彼はゾッとしたような声を上げた。
2人で料理していた時に使っていた包丁。家から持ってきたもの。見覚えのあるそれに恐怖を浮かべて彼は腰を抜かした。崩れ落ちる途中で襟首を掴むと鼻先に包丁を突き付けた。
「ひぃ!」
「君の頭のいいところが好きだった。あの女に浮かれて馬鹿になって。」
「ち、違うんだ!水族館も他のも君へのサプライズのためで!」
「嘘まで吐くんだ。」
「お、落ち着いて話を・・・!」
聞きたくない言葉を聞く君は、まるで君の皮を被った別の何かの様で、吐き気を催すほど気持ちが悪かった。ぶら下がった右手の先が重い。これを振り下ろしてしまえば君と私はここで終わりを迎えるのだけれど、私の心の何かがそれを阻止していた。手が震える。気のせいだろ、と呟けば、君はまた恐怖を顔一面に浮かべて、首を左右に振った。
私は君が好きだった。本当に心から好きだった。
君がくれたものはかけがえのなくて、大切だと思えて、こんなこと思うなんて人生でこの先ないんじゃないかって思う程だったから。
私は君に尽くした。命に代えても尽くした。
だからかなあ。こんな短時間なのに本気だったのに。
あぁ、でもきっとこの数年間はあっという間と思えるほど幸せだったんだ。
ずるずると屋上の端に彼をひきづっていく。離せと暴れるのは包丁を突き付けて黙らせた。
「そうだ!これ!!君に!!好きな色って言ってたから!」
彼が叫ぶ。悪あがきのそれを横目で見て私は発狂した。
彼の手に握られていたのは・・・
黄色い鬱金香の花束。
「あははははははっはははっはははは!!!」
もっと頭のいい男だと思っていたんだけどな。贈り物の意味も調べないで取り繕う男だったのかと己の目を疑った。この数年、きっと私たちはお互いを見ていなかったのね。そう思って、私は彼の襟首を放すと、己の身体に勢いよく包丁を突き刺した。
返り血で花束が真っ赤に染まる。
「それが私の答えだよ。」
彼が悲鳴を上げる。私は彼の手を取って立たせ、引っ張りながらゆっくりと後ろに体重をかけた。
そして。
彼は私の手を放した。
屋上から覗く彼が小さくなる。地面が近づく。
本当はね、分かってたよ。だけど悔しいから言わない。
馬鹿で不器用な君が好きでした。