『芝公園六角堂跡』論・・・西村賢太のユーモアの極み
『芝公園六角堂跡』論・・・西村賢太のユーモアの極み
㈠
西村賢太が急死して、しばらくの時が経った。今、自分は、自分が当初から持っていた、西村賢太の小説に、目を通しながら、自分が当初から持っていなかった、西村賢太の単行本や文庫本の、収集に、時を費やしている。非常に、有意義な日々なのである。
㈡
その中でも、自分が持っていなかった、『芝公園六角堂跡』、という文庫本の、表題、『芝公園六角堂跡』を読んで、今更ながら、西村賢太のユーモアの極みに、心酔している状況である。『苦役列車』とは、随分異なる、自意識の真骨頂の様な内容で、述べた様に、ユーモアの極みが、随所に詰まっている。
㈢
西村賢太の師は、藤澤清造だが、自分の師は、と、問われれば、自分は恐らく、埴谷雄高、と答えるだろう。自分の人生を救ってくれた小説家には、畏敬の念を抱くのは、当然である。『芝公園六角堂跡』を、あの世の藤澤清造が読んだら、恐らく、大きく笑って、西村賢太をあの世で、迎え入れているだろう。師弟の間の酒は、美味いだろうなと、空想に浸った、『芝公園六角堂跡』の読後であった。