TIPS 1 【B】/いつかの、誰かの記憶
忘れてなんかいない。
例え他の誰もが忘れたと言い張ったとしても。
目が、耳が、鼻が、魂が、存在を確かに覚えてる。
この感覚だけは、絶対に否定させない。
◆◇◆◇◆
自分には実は双子の弟がいた。
一卵性だったから見た目もそっくりで。唯一違うのは、性格。アイツはおっとりとした、自然と誰からも懐かれるような優しいヤツだった。
それが羨ましくもあり、憎らしくもあり、自慢でもあった。
それが、いつからだろうか。時折感じるようになった、表情に影を差す瞬間。
『何か悩んでる?』
って聞いても、
「何でもないよ。ちょっと疲れてるだけ」
っていつもの柔和な表情に戻る。だから気のせいか、って騙されていた。
自分は誰よりも一番【魂の形が近い存在】なんだから、片割れに何かあればきっと第六感で分かる! みたいなカルトな以心伝心論的アレを少し信じていた。我ながら今世紀最大の馬鹿だった。いや世紀を跨いだ次世紀でも馬鹿だったと思う。
それから少し時間が流れて。
アイツは次第に笑顔を失っていった。理由は全く分からなかった。アイツは理由を誰にも話さなかったから。
魂の片割れはこれでもかってくらいに何の変化も感じ取れなかった。アレは絶対に嘘っぱち理論だ。
病気を疑ったけれど、検査に無理矢理連れて行って診断結果を見た両親の困惑する様子を見ている限り病気が原因ではなさそうだった。
【魂の形論】が何の役にも立たないと分かって何度も直接問い質した。けれどアイツは明確な答えを返す事はなく、その度にはぐらかされた。
「多分、言っても誰にも解ってもらえない」
「どこに行っても、そこにいる」
「世界に嫌われたのかもしれない」
「いつか向こう側に連れていかれる」
そして程なく、アイツは部屋から出てこなくなった。
厳密には出てこれなくなった。無理矢理外に連れ出そうとすると酷く怯え、訳の分からない事を喚いて収拾が付かなくなる。
荒れている、と言う程ではなかったが、小ぎれいに整理整頓されていた部屋は散らかり、窓ガラスは一切の隙間が無い程に紙やらガムテープやらで塞がれ、分厚いカーテンで仕切られてた。
どうやら部屋の外、延いては外側の世界に対して強烈なトラウマを抱えているようだった。部屋の出入り口の扉の敷居を越えなければ暴れる事も無く落ち着いていた。家族が出入りするくらいならそこまで拒絶はされなかったが、扉や窓、カーテンを完全に閉めていなかったりすると鬼のような形相で猛烈に責められた。
もう、かつての穏やかな表情は欠片も残されていなかった。
食事の量が極端に減り、誰が見ても命に関わる程の衰弱である事は明らかだった。
でもどうする事も出来ない。外に出る事を拒絶し、家族以外が接近する事を恐れ、暴れれば痩せ細った体のどこからそんな力が出てくるのかという程に凄まじい惨状だった。
何とか自室で栄養点滴的な措置を取れないかとあれこれ調べたが、その頃には外の世界のあらゆる物を拒絶するようになっていた。
" 覚悟しないといけないのか "
そんな事をぼんやり考えてしまい、青ざめて全力で否定する。そして気付けばまた同じ事を考え、否定して。
その行為自体が既に遠くない未来を肯定している物だというのに。
終わらない自問自答に疲れ果て、気が付けば泥の中に落ちていくように眠っていた。
一瞬とも永遠ともつかない眠りの世界で、ハッキリとその声を聞いた。
「たすけて」
意識は一気に覚醒し、絞ったら滴るんじゃないかと言う程の寝汗と共に飛び起きる。いつの間にか外は明るくなっていた。
そしてまだ一足遅れて覚醒しきっていない体を叩き起こしてアイツの部屋へ───
『…え? ……あ? …あ、ああ…、ああああああああ』
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
脳が思考を拒絶した。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだウソダウソダ。
階段を半分転げ落ちながら下る。リビングの扉を乱暴に開く。驚いた両親の顔。
朝食の匂い。
懐かしい匂い。
いつからか失われた匂い。
なんで?
よりによって今日?
そんな疑問よりもまず口にしなければならない事があった。カラカラの喉で、必死に文字を、空気の振動に乗せて捻り出す。
『…アイツが…いなくなった…』
本当は、その表現だと、正解は半分だけだった。
◆◇◆◇◆
(次話、再び本編へ)
(TIPSは4へ続く)