TIPS 4【P】
◆◇◆◇◆
『えっ…?』
時間が、止まった様な錯覚。
今し方あれだけの超常現象と対峙してきたのに。良く知る人の生きている言葉が、これ程までに重く脳を揺らすとは。
「あ、もしかしてあなた達の友達の事? その子の眼鏡かしら。ウチの子は眼鏡してないし…」
『え? あ、いや…』
待って、処理が追い付かない。
「娘に聞いたら知ってるかも。ちょっと呼ぶわね」
『あ、そのっ、待っ…』
娘という言葉に一瞬、紫音がいるのかと期待してしまった。
たった今その名を否定されたばかりだというのに。
「茜ーーー、ちょっといいーー? 桃ちゃん来てるわよーー!!」
あ か ね ?
「…はぁ~~~~い」
二階から声がした。きっと紫音の部屋から。
覚えているあの扉の開閉音。
トットットットッ、と降りてくる足音。
知っている音、知らない音が、不協和音の様に私の心臓を掻き鳴らす。
そしてその足音の主が現れる。
「どうしたの桃井…って、ちょっと、何その顔!? えっ? それ血!? 大丈夫なの!?」
無造作ショートカットの、活発そうな、私と同じくらい目付きのキツい女。
誰だ、お前。
『あ………うん、ちょっと、ボーっとしてたら木に激突しちゃってさ。もう止まってるから大丈夫』
思考が、追い付いた。
もう一人の私が驚く程冷静に事態を分析してる。口から滑り出た言葉は私の脳とは完全に独立していた。
「マジで? ほんとドジなんだから桃井は~。で、こんな時間にどうしたの?」
誰だお前は。私を知っている振りをするな。
そこは紫音の場所だ。
「茜、この眼鏡誰のか知ってる?」
「眼鏡ェ?? アタシ眼鏡しないし、誰かいたっけ…こんな恥ずかしい色のフレーム───」
黙れ。黙れ。黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ───
「ちょっと見せて…」
女が手を伸ばす。
" 紫音に触るな!!!!!!!!!!!! "
『あ、ごめん、思い出した。誰のか』
手が触れる直前、私は紫音の眼鏡を引っ込めて胸ポケットにしまう。
「あ、そう? そんなら良かった」
『私からその子に返しておくから。呼び出してごめん。おばさん、夜分すいませんでした』
「え? ええ…」
『失礼します。じゃあ』
疑われないように丁寧に、しかし視線を合わせずに礼をし、声を掛けられる前に玄関を後にした。
思考が制御不能の怒りで満たされていた。
…誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰なんだよお前は!!!!!
足早に、数少ない街灯だけが光源の闇の中を歩く。
無意識に唇を噛んだ。
悔しい。
足が歩くもどかしさに耐えられず走り出す。
悔しい。
体があちこち軋んで悲鳴を上げてた。でも走らずにいられなかった。
悔しい。悔しい。悔しい。
涙が、壊れたかのように溢れて止まらなかった。
ガタついた足がとうとう体を支えられなくなり、モロにアスファルトに前身を叩きつけてしまう。
衝撃に息が止まる。カシッと、胸ポケットから色鮮やかなメガネが転がった。
地面で擦った手に血が滲む。あの幻覚の血とイメージが重なる。
転がった眼鏡を鈍く痛む両の手で握り締め、蹲る様に胸に抱いた。
「うう…うううう…。…紫音…紫音…! 畜生…ううう…うあああああ……!!!」
起き上がる事もせず、私は暗闇の中で独り嗚咽を漏らした。
私達は、この夜を、死ぬまで絶対、忘れない。
ひとつ、決めた事がある。
私は本を読むのをやめた。
学校に行かなくなって何日目だろうか。数えるのもめんどくさい。
今日もPCのモニターに向かって取り憑かれた様にキーボードとマウスを操作する。
ブラインドタッチは早々にマスターした。起きている間中ずっと練習していればこんなものは嫌でも覚える。
髪の毛もカットに行かなくなったから伸び放題だ。くせ毛が暴走して鬱陶しいから雑に縛ってぶら下げた。
パパもママも私の変貌ぶりに慌て、何があったのかを問い質そうとした。
けれど " 誰も知らない子 " の説明をした所で話がややこしくなるだけだと、私は「実はひどいイジメにあっていた」と不登校の理由をでっちあげた。丁度オデコも怪我してたし。
でも逆に怪我までさせられた!と学校に殴り込みそうな勢いだったから、「周囲が勝手にヒートアップしたらどこにも居場所がなくなるからやめてくれ」って泣きそうな振りして懇願したらそれ以来両親は黙った。チョロいよな。
『分かってる。私達は、最低最悪だ』
中二の引き篭もり。進学希望も無し。ニート確定コース。でもお風呂はちゃんと入ってるけど。
登校拒否る前に最後に行った学校では、紫音という人間は存在すらせず、代わりにあの女が居座っていた。
八不思議も七不思議も、誰も正解を答える事は出来なかった。
つまり、これが恐らくは " 事後処理 " なんだろう、紫音を連れ去った存在の。小説でよくある展開だ。
無心で文字を打ち込む。マウスを連打する。他人が見たら「画面理解出来てるの?」と言われそうな速度でモニターの情報が入れ替わる。
私が見れない時は私が見ている。
最近、仕組みを理解した。私という仕組みを。
『真の中二病、ここに顕現す、ってか』
『うるさいな』
私は自分にツッコんだ。
私は本を読むのをやめた。───今は。
本は大好きだ。けれど本の物語はいつか終わりを迎え、世界を閉じる日が来る。
私は探さなければならない。閉じる事の無い世界で、ここではないどこまでも手を伸ばして。
この体で出来る事などたかが知れている。現実では手を伸ばして触れられる範囲など、割合にして海の水全体の一滴にも満たないだろう。
ガキの体で、頭で、無限に飛び回れるネットという世界。
今の私が最大限に紫音を捜索出来る手段。
そこに溢れる情報の全てが真実でない事くらい分かってる。やろうとしている事がどれだけ途方も無い事かも分かっている。
でも、その程度ではいずれも私を黙らせるだけの理由には全く足りない。
『紫音…。お前は " 待ってて " って言ったけどさ』
度の入っていないレンズを嵌めたピンクのハーフフレームのメガネを、クイッと持ち上げて位置を正す。
『待ってるのは、私の性に合わないんだ』
待ってろ。
必ず見つけ出して、今度は私が行くから。
それから… " あの声 " ───
『テメェだけは、私が必ずブン殴る』
小説で好きになるタイプの主人公はどんなだったろうか
私は自分のガサツさや、まるで女らしく無い事を自覚していた
だから多分、真反対に憧れた
だから多分、今こうして泥臭く走る事が出来るんだ
いつまでも、脇役の様に。
(TIPS 4 【P】 END)
※イラスト有り版はコチラ(スペース削除して下さい)※
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