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誘惑の白い粉

「それはなんですか」

年配の女性が少女から紙包みを取り上げた。

そのひょうしに中身の白い粉が僅かに宙を舞う。

「マリア、返して頂戴、お願いよ」

年配の女性の表情が厳しくなった。

「だめです。これらはヴァリスお嬢様には毒なのです」

ヴァリスと呼ばれた少女はマリアに断られると、すぐに別の人物に駆け寄った。

「お願いセバスチャン、あれを、もう我慢できないの、お願いよ」

「申し訳ございませんヴァリスお嬢様、あれらの管理は侍女長であるマリアが旦那様より一任されております。私ではお力になれそうにありません」

ヴァリスはぺたんと床に座り込み、ブツブツ呟いている。

マリアはヴァリスに視線の高さを合わせ、優しく声をかけた。

「ヴァリスお嬢様、少しお部屋でお休みになってはいかがですか」

「嫌よ、お願いちょっとで良いの、少しだけ、なめるだけでも良いからそれを、それを頂戴」

「何度お願いされてもだめです。これ以上悪化させては旦那様でも治療が出来ないかもしれません」

マリアはそう言い、複雑な表情を浮かべながら国王陛下の往診に行っておられる旦那様が早く帰ってくることを祈った。




ここはリヒテンシュタット伯爵のお城である。

伯爵は医者としても有名であり王侯貴族からの評判も良く、穏やかな性格で領民にも優しい、更に領主一族が領地に注ぐ潤沢な魔力により豊穣を約束された楽園のような場所である。

ただし、見えない部分では黒い病がじわじわと侵食しつつあった・・・

「こんなものを用意したのは誰!」

ヴァリスが頬を押さえながら銀製のグラスを床に投げ捨て周囲をにらみつける。

「も、申し訳ございませんヴァリスお嬢様・・・」

新米メイドが真っ青な顔で床にひれふして謝罪した。

「この者の指導は誰」

ヴァリスが新米メイドの横に立っている二人のメイドをにらみつける。

「わ、私でございます、ヴァリスお嬢様」

右側に立っていたメイドが真っ青な顔で答えた。

「セバスチャン!いつも通り処理しておきなさい」

ヴァリスは厳しい表情で執事長に命令する。

「お許しを、ヴァリスお嬢様」

メイドは祈るように懇願し、新米メイドはひれふしたまま震えていた。

二人はセバスチャンに連れられて部屋から出て行く。

残った一人のメイドが床に投げつけられたグラスを片付ける。

しばらくすると新たなメイドが銀製のグラスを持って入ってきた。

床を片付けていたメイドはハンカチで手を拭き、メイドの持ってきたグラスを取って傾けて少しだけ自分の手にすくう。

そしてそれを飲んで適切かどうかを確認した。

「ヴァリスお嬢様どうぞ」

メイドがグラスをヴァリスに差し出し、その後壁際に下がった。

グラスを持ってきたメイドも横に並ぶ。

しばらくしてセバスチャンが戻ってきた。

「いつも通りに処理しておきました」

「そう」

セバスチャンの言葉にヴァリスは短く答えた。




リヒテンシュタット城に朝がやってきた。

「おはようございますヴァリスお嬢様、朝食はいかがいたしましょうか?」

「どうせわたくしの希望はかなわないのでしょ。いちいち聞かずにいつものを用意しなさい!」

「かしこまりました」

ヴァリスは手早く着替えてから顔を洗い食堂へ向かう。

よく煮込んだスープを三杯食べ、歯を磨いて席を立つ。

「ヴァリスお嬢様、今日はお休みになってはいかがですか?」

セバスチャンが少し顔色の悪いヴァリスを気遣い声をかけた。

「わたくしはリヒテンシュタットの名に誇りを持っています。出来ることもせずに上に立つつもりはありません」

「仰せのままに」

セバスチャンは深く頭を下げてヴァリスを見送った。




更に一週間が過ぎた。

リヒテンシュタット伯爵は予定ではとっくの昔に返ってきているはずだが、国王陛下の往診に行ったまま未だに帰ってきていない。

国王陛下の病気が予想より深刻なのか、それともまた別の理由か・・・

そのため未だにリヒテンシュタット城の最高権力者はヴァリスだった。

「わたくしの前で・・・」

窓の外では若い庭師が口を開け、メイドがお菓子のような物を食べさせていた。

つまりは恋人同士の定番行事である、あ~んをしているのだろう。

ヴァリスが悪鬼のような顔で二人をにらみつける。

そしてヴァリスが次の言葉を発する前に、セバスチャンが視界に割り込んだ。

「二人を地下に連れて行け」

セバスチャンの指示で衛兵が急いで庭師とメイドを引っ張りこの場を離れた。

「申し訳ございませんヴァリスお嬢様、今後このようなことがないように徹底いたします」

「そうしてくれるかしら。今度こんな事があったらあなたも地下室に行って貰うわよ」

「仰せのままに」


その三日後、セバスチャンは地下室送りとなった。


更に五日が過ぎ、誰もが息を潜めながらリヒテンシュタット伯爵の帰りをまちわびるなか、やっとリヒテンシュタット城の主が帰還した。

「お父様!」

「おおヴァリス!」

馬車から降りたリヒテンシュタット伯爵は駆け寄ってくる娘に腕を大きく広げ笑顔を浮かべ・・・

「ぐほっ!」

みぞおちに一発良い打撃を貰ってうずくまった。

「あまりに遅いご帰還に、わたくし嬉しくて自然と手が動いてしまいました。お父様、そんなところで座っていないでお部屋で熱くも冷たくもないお茶でも飲みませんか」

リヒテンシュタット伯爵は返事も出来ぬまま娘に引きずられていった。


「お父様、ご予定では二ヶ月前に戻ってきておられるはずでしたが、病気になったらすぐにお父様を呼び出そうとする王を診療してから、まさか王家の人気取りのために王都で無料診療所なんて開いていませんよね?それとも立ち寄った街の領主にだまされて、無償で住民を診療してあげたりもしていませんよね?まさか成人前の娘に執務や広大な領地への魔力供給を任せておいてそんなことはないですわよね」

「いや、それは・・・」

「あら、そんなにおびえないでくださいお父様、わたくしはお父様を信じています」

「そ、そうか、ありがとう・・・」

「ああ、そういえばご報告がありますの。お父様が王都へ旅立たれてすぐ、旅の途中で夫人が体調不良になった、とカイロン侯爵が我が家に助けを求めてこられたので客室をお貸ししましたの。その時カイロン侯爵や同い年くらいのご令嬢とお話しする機会がありましたけど、そのご令嬢は最近(・・・)両親の補助を受けながら領地への魔力供給の練習を始めたの、と嬉しそうに話してくれました。カイロン侯爵も自慢の娘だと・・・ふふっ、確かわたくし物心ついた頃には領地への魔力供給をお父様の補助(・・・)もなく行なっていたような気がするのですけど、他の家の方は随分とのんびりしていますのね」

「すまない」

「あらお父様、なにを謝っていらっしゃるの。お母様やお爺様、お婆様も天に旅立たれ、お父様のご兄姉は国外にいらっしゃるのですもの。お父様がホイホイと遠方に往診に行かれている間、魔力供給を怠っては作物の収穫量に影響します。領主の一族であるわたくしが行うのは当然のことですのにおかしなお父様ね、ふふっ」

「そ、そうだな偉いぞヴァリス」

「褒めていただきとても嬉しいですわお父様、ですがわたくし言葉の他に欲しいものがありますの。おねがい、聞いていただけますか!」

「わ、わかった。私に出来ることなら何でもかなえると誓う。だ、だから許してくれ」

「あら、床に膝をついて懇願なんて変なお父様、ではお言葉に甘えて一つだけ・・・速やかに弟子数人とお父様の再婚相手を用意してください」

「え?弟子を取るのはまだわかるけど、再婚相手?ヴァリス、私は天へ旅立ったエメリアを今も愛しているんだ。再婚な「黙れお父様!」」

「もうわたくし我慢の限界です。お父様がいない間、魔力供給、決裁の代行、手紙の代筆、挙げ句の果てに疲れを癒やすために甘いものをやけ食いしたら虫歯になって大好きな甘いものは侍女長に止められるし冷たい水や暖かいお茶は歯にしみるし、お父様はわたくしが何歳かわかってます?」

「えっと十三歳だよね」

「意図を理解してませんね。わたくしは未成年なんですよ。おかしいでしょ。領地への魔力供給は血族か結婚相手じゃないと出来ないんですから、せめてわたくしの他に魔力供給できる人を用意して、いや用意しろ!」

疲れと虫歯でいらだっていたヴァリスの顔は般若のようであった。

その日は一日中リヒテンシュタット伯爵のおびえた悲鳴やヴァリスの静かな怒号が城の中を支配した。


そして翌日・・・


「お父様・・・嫌っ・・・許して」

「諦めが悪いぞヴァリス!」

今日もまた悲鳴と怒号が城の中を支配していた。

攻守が逆転してはいるが・・・

「いやっ、そんなの入れないで」

「しっかり広げて抑えろセバスチャン」

魔法具がキュイーンと言う音と共に回転する。

ヴァリスが声にならない悲鳴を漏らした。

・・・ヴァリスの虫歯の治療である。

リヒテンシュタット伯爵は、こと医療に関してだけ強気であった。

ちなみにこの世界での一般的な虫歯治療は本人を暴れないように手足を縛り、ペンチで歯を引き抜くか穴を開けたりする。

とてつもなく痛い。

それとは違い、リヒテンシュタット伯爵に高価な魔法薬を使って歯を再生させる治療をして貰えるヴァリスはとても恵まれているとも言える。

まあ麻酔がないのでとてつもなく痛いことには変わりはないのだが・・・

とにかくヴァリスの奥歯にあった黒い病は消え去った。




魔法薬とドリルの力で虫歯であった歯を再生させたヴァリスは、三日間食っちゃ寝生活を満喫して少し落ち着いてからお父様と再婚相手について協議を始めた。

「ヴァリス、私の妻に対する愛はエメリアだけのものと決めているのだよ。わかってほしい」

「お母様への愛、ふざけたことを言ってないで早く決めてください。マルラリーデ様は三年前に夫が死亡し喪は開けており魔力量も十分です。エリザベート様は魔力量的には劣りますが家の都合で未婚です。すでに話は通してありますのでどちらの方も金銭的な援助を約束すれば結婚することは可能です」

「ヴァリス落ち着きなさい。そもそも結婚とはそんな簡単に決めて良いものではないだろう」

「簡単に決めて良いのですよお父様(怒)、美人が良ければマルラリーデ様、初物が良ければエリザベート様、簡単なことではありませんか」

「おお、え、あ、そんな言葉どこで・・・、私はそんな理由で結婚するつもりはないよ。それにヴァリスだっていきなり結婚しろと言われたら困るだろう」

「いいえ困りませんよ。魔力が豊富で容姿が人間の範ちゅうに収まる相手なら今すぐにでも。まあ未成年は結婚できないと法律で決められていますけれどね。チッ、本人が良ければ自由だろう」

翌日、地下室で医術書を延々と写本する罰を受けていたセバスチャンが仕事に復帰し、二人を仲裁することでなんとか妥協案がまとまった。

リヒテンシュタット伯爵とマルラリーデ様は金銭的援助と引き換えに結婚し、ヴァリスが成人後に結婚したら白い結婚の制度を利用して離婚すること。

ヴァリスの結婚相手を速やかに見繕うこと。

医術の弟子を十人用意すること。

領地経営の実務支援としてエリザベート様を愛人という名目で雇うこと。

往診は今まで通り行なう。

これらのことが決められ、二人の間で合意の証文が交わされた。


そして一年後


「はあっ?その症状の患者に投与するのがエラビエンの葉?四番弟子、あなたは患者を殺すつもりですか?」

ヴァリスは現在お父様の弟子たち七人に、口頭で試験をしている。

「お嬢様申し訳ございません。あと私はアルフレードと言う名前が・・・」

ヴァリスの冷たい視線が突き刺さり、アルフレードは口を閉ざした。

リヒテンシュタット伯爵はヴァリスとの約束通り十人の弟子をとった。

だが三人はお父様の往診に同行して直接指導を受けているが、残り七人は領地で基本的知識の勉強をしていた。

医療魔法具は魔力を動力としている。

貴族や魔力持ちの平民から弟子を募ったが優秀な人材はすでに仕事を得ており、それを捨ててまで医術を学ぼうとするものは少なかった。

やってきた十人のうち、七人の弟子はやる気はあるが能力は高くなかった。

また、ヴァリスは幼い頃父が絵本代わりに読んでくれた人体の挿絵付き医術書や薬草図鑑により医療の基礎的知識がある。

知らなければ放置できたが、知っているのに明後日の方向へ学習していく者たちをヴァリスは放置することが出来なかった。

結果、七人のめんどうはヴァリスが見ている。

この弟子たちは十年くらい学べば成果が出るかもしれないが、現状ではヴァリスの負担でしかない。

ため息を吐きそうな自分を押し殺し、今後の教育計画を頭の中で再検討する。

そんなときノックの音と共にセバスチャンが部屋に入ってきた。

「ヴァリスお嬢様、北部の街道が崖崩れで通れなくなっていると連絡が入りました」

「わかりましたセバスチャン・・・弟子四号から十号、地下室で医術書の写本を命じます」

リヒテンシュタット家では定番の罰であるが、彼らの教育にはちょうど良いかもしれない。

それにいろいろ考えるのも疲れた。

おそらくこちらが本音である。

ヴァリスはうなだれる弟子たちを放置し執務室へと向かう。

ヴァリスが執務室の扉を開けて中に入ると、セバスチャンと廊下に控えていた伝令がつづいた。

伝令からの詳細な報告を受け、セバスチャンと共に必要な対策を検討する。

半年前までは領地経営の実務支援として雇ったエリザベート様が同席していたのだが・・・彼女はポンコツだった。

居ても邪魔になるだけだが、こちら側が望んで雇ったのに実家に追い返すわけにも行かず、仕方なく父の秘書兼監視役として追い出し・・・同行させた。

ところが彼女は監視役としては役に立たないのに秘書としては優秀だった。

なんだかお父様だけが得をしているような気がする。

まあ魔力供給に関しては一ヶ月くらいなら書類上のお義母様であるマルラリーデ様に任せておくことも出来るので、城の外へ出かけることも可能になった・・・

「直接私が行くしかないようですね。準備を」

「かしこまりましたヴァリスお嬢様」

セバスチャンと伝令が出て行くのと入れ替わりに、手紙を持ったメイドが執務室に入ってきた。

「オルデバラン様よりのお手紙でございます」

「またですか」

ヴァリスはため息をついて立ち上がる。

「手紙はあなたが開けて音読して頂戴」

そう言ってヴァリスはスタスタと歩き出し、メイドは後ろをついて行く。

「では読みます。ああ麗しのヴァリス様、あなたの輝く髪はまるで・・・」

手紙の相手は婚約者候補のカーレント伯爵家のオルデバランである。

美辞麗句九割の手紙の最後はカーレント伯爵領の花畑を私に見せたいから遊びにおいでと言う内容だった。

「・・・遊びに来いなんて馬鹿なの?」

「えっと、ヴァリスお嬢様がそうおっしゃるのであればそうなのかもしれません」

メイドの答えは歯切れが悪いけれど、他家貴族を馬鹿扱い出来るわけがないので聞いた私が悪い。

「返事を考えるのがめんどうね。私は北部に行くので帰ってくるまでにお返事の下書きを作っておいて。内容は、遊びに来い?前の手紙で忙しいって書いただろう、そっちに行くのに何日かかると思ってるの?馬鹿なの?それと私が嫁ぐのではなくあんたが婿に来るのよ。遊ぶ時間があるなら我が領地の視察にでも来い。嫌なら今回の話はなしだ!と言う内容を穏便で歪曲的な文章にしておいて」

メイドに考えさせるには、かなりの無茶ぶりである。

ヴァリスはポケットから白い粉をまぶした甘い焼き菓子を取り出し口の中に放り込む。


「ああ休みがほしい・・・」


それからしばらくしてヴァリスはストレスから白い粉を使ったお菓子を暴食し、またしても歯を黒い病にむしばまれた。




教訓

お菓子を食べたら歯を磨きましょう!

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