法皇の真実
「陛下、姫殿下を 御案内致しました」
扉の前に立ち、言葉を掛けるタナトスに、室内から「入れ」と入室の許可が下りる。
「では、姫殿下」
タナトスはシャルロットに一声かけ、扉を開けた。
シャルロットが通された部屋、そこは普段なら貴賓室として使われている場所である。部屋の中は奇麗に片付けられており、二人が食事できるテーブルが一つ、椅子が二脚、それと、ある家具が存在するだけであった。
では何故そこが貴賓室だと解ったのか? それは残された一つの家具、それが天蓋付きのベッドであったためである。流石にあの巨大な家具は、運び出せなかったらしい。
そんな部屋の中をぐるりと見渡すと、シャルロットは部屋の中央で椅子に座る人物に目を向ける。
ゆったりとした白い法衣。
腰まで届く、流れる様な金色の髪。
その頭に戴く豪華な刺繍が施された法皇冠
そして、法皇の顔を隠す法皇冠から垂らされた羅紗布。
ロックホランド法国、法皇リリー・マルレーンがそこに居た。
「お久しぶりで御座います、法皇陛下。再び法皇陛下とお会いでき、シャルロット・デュ・カーディナル心より喜びに震えております(クソめんどくさい事に巻き込んでくれちゃって、なに考えてるかしんないけど、簡単には踊ってあげないわよ!)」
シャルロットは、スカートの端を摘み優雅に腰を折る。
「ほんに久しき事。健勝であったか? シャルロット(ふふん。悩んでおるようじゃのう。そう怯えんでも、簡単に取って食ったりはせんぞ)」
リリー・マルレーンも右手を上げ、返礼の言葉を口にする。
御互いに笑顔で対面し、まあリリー・マルレーンに至っては羅紗布で表情は見えないが、挨拶を交わす。化かし合いの一手をお互いが打った瞬間であった。
「再びの法国はどうであるか?」
「懐かしき空気を感じました。それと、一つ驚きが」
リリー・マルレーンの問いに、素直に答えるシャルロット。
その言葉を聞き、リリー・マルレーンの眉は羅紗布の裏でピクリと跳ねる。興味深い言葉が有った様だ。
「ほう、驚き。それは一体何か聞かせては貰えぬか?」
リリー・マルレーンのリクエストに、シャルロットは言って良いのか僅かに逡巡する。だが、数秒の後、腹を括って驚きの内容を公開する。
「タナトス卿の事で御座います。あのクソビッチと瓜二つ、正直言葉に詰まりました」
「ほ、ほう。クソビッチとな」
「はい。あのお騒がせで、腹黒で、慎みの欠片も無いクソビッチで御座います」
リリー・マルレーンの眉が、羅紗布の裏でピクピクと引き攣り続ける。それが解っているのか、タナトスは顔をそむけ必死に笑いを我慢していた。
「の、のうシャルロット。そのクソビッチとは、まさか崇高なるビクトーリア様の事ではあるまいな?」
リリー・マルレーンは、クソビッチの言葉の意味を問い掛ける。
「崇高だなんて。リリー・マルレーン陛下、騙されてはいけません。あのクソビッチは、ただの愉快犯です」
ビクトーリアを信仰するリリー・マルレーンに、件の人物の本性を語るシャルロット。
他の者が見たら、正気の沙汰では無い出来事であろう。なにせ、十六歳の小娘が、魔女信仰の総本山、そこの法皇陛下に魔女を語っているのだ。
だが、知っている者に言わせればさもありなん。魔女の本質を一番に知る者は、魔女の加護を受けし者なのだから。
シャルロットは、過去のエピソードを持ち出し、ビクトーリアがしでかした事柄で、自分がどれだけ迷惑したかをリリー・マルレーンに語って聞かせた。
そのエピソード集も終盤に差し掛かった時、事件は起きた。
「はらがへったぞー! なにか食べ物はないか? お姉様ー!」
一人の少女が、貴賓室に乱入して来たのだ。
サラサラとした長く伸ばされた黄金の髪。
大きくドングリの様な、髪と同様の色を湛える瞳。
歳の頃は十二歳程か? 百三十センチ程のちんまい身体。
その身体に、白い法服を纏って。
その少女は、シャルロットと目が合うなり全ての行動を停止した。
同様にシャルロットも
「ミ、ミカサ」
たったこれだけを、口にするのが精一杯であった。
それほどの驚きと衝撃を少女はもたらしたのである。
そして、少女、ミカサが口にしたお姉様と言う言葉。
その言葉を確認する様に、シャルロットの首は油の切れた歯車の様に、ギギギと室内を見渡した。
タナトスを視界に納める。
その瞬間、タナトスは首を横に振った。
その真剣な表情から、タナトスは嘘を付いていないとシャルロットは判断する。
ならば、残るは一人のみ。
「法皇陛下? いえ、ビクトーリア様と御呼びした方が良いのでしょうか? そんな羅紗布は取って、お顔を御見せ下さいな」
猫なで声で詰め寄るシャルロット。
「わ、私が、ビビクトーリア様だと、ななな、何をいっておるのじゃ、シャルロット」
「ほんとぉ?」
半眼で、さらに詰め寄るシャルロット。
「ほ、本当じゃとも。妾、私が、あの美しく慈愛に満ちたビクトーリア様であるなど、あろう筈がなかろうが」
あるのか、無いのか、あやふやな返事を返すリリー・マルレーン。だが、シャルロットの追及は止まらない。
「妾? 妾って言った?」
「言う訳なかろうよ。大体、わら、私がビクトーリア様じゃと言う証拠はあるのか?」
「……ねえ」
「なんじゃ?」
腰を引きながら答えるリリー・マルレーンに対し、シャルロットの顔には邪悪な半月が浮かぶ。
「口調、崩れてきてるわよ」
「ちっ!」
舌打ちと共に、リリー・マルレーンは司教冠をテーブルに叩きつける。
そして、無言でミカサに近づくと……おもむろに胸倉を掴み、窓から外へとほおり出した。
だが、ここは四階。通常であれば、タダでは済まない高層である。
だが、時間にして三分。
「なにすんじゃー!」
怒りの声と共に、ミカサは生還を果たす。全くの無傷で。
「ふん! キサマが妾の楽しみの邪魔をしたからじゃ!」
言葉と共に、リリー・マルレーン、いやビクトーリアは再度ミカサの胸倉を掴むと、外へと投げ捨てる。
そして、三分後。
「なにさらすんじゃ、ワレー!」
やはり無傷で帰還を果たす。
「先程も言ったであろう! キサマが妾の楽しみを邪魔したからじゃ!」
そう言って三度ミカサを投げ飛ばそうとするビクトーリア。
「やめなさい!」
茶番を前に、シャルロットからお叱りの言葉が飛んだ。
お叱りと言っても、別にビクトーリアの行いを責めるつもりなどシャルロットには無い。どうせ、この世界の住人ではミカサを傷付ける事など出来やしないのだから。それが、例え世界を創造した魔女達でさえも。
では、何故シャルロットはビクトーリアを止めたのか?
答えは単純にして明快。単にイラついたから。目の前で繰り広げられる、馬鹿二人の茶番劇に。
「それで、法皇陛下はどこへお隠れになったのよ、バカビッチ」
シャルロットは腕を組み、椅子にどっかりと座るとビクトーリアに問いかけた。
「バカビッチだって、お姉様」
シャルロットの言葉を聞き、ミカサが馬鹿にした様な笑い声を上げる。
「黙りなさい、アホ鳥」
「なにを!」
「正座」
「は?」
「正座!」
一度は反抗の姿勢を見せたミカサだが、シャルロットに睨まれ渋々床に膝を付く。
「もう一度聞くわよ。陛下をどこへやったの?」
シャルロットからの再度の尋問に、ビクトーリアは頬を掻く。何と答えたら良いのか迷っている様である。
「あのな、小娘。何処も何も、法皇は妾じゃ」
「バカを言いなさい。法皇と言うお仕事は、あなたの様なちゃらんぽらんには出来ません。真実のみを口にする様に」
裁判官の様にビクトーリアを追求するシャルロット。
その様子を、困った様な表情で見つめていたタナトスがおもむろに口を開いた。
「姫殿下、ビクトーリア様の仰る事は真実です」
「あらあら、タナトス卿は冗談が上手い」
タナトスの言葉を、全力で否定するシャルロット。何度も同じやり取りが繰り返されるが、シャルロットは一向に信じようとはしなかった。
「小娘よ、法皇は歴代妾達魔女が務めておる。これは真実じゃぞ」
豊かな胸を張り、ビクトーリアは宣言する。
この言葉を飲み込み、シャルロットは顔を伏せた。そして……
「自作自演も良い所じゃない! バカじゃないのー!」
聖堂に、シャルロットの魂の叫びが響いた。




