白き騎士
マルコとの会話で、どこかすっきりとした気分になったクーデリカが連れて来られた先は、修練場であった。
何時もなら若き修道士達が己を鍛える場所、だが現在はひっそりと静まりかえっていた。
「こちらになります」
そう言ってマルコは一歩後ろへと下がる。
クーデリカはゴクリと喉を鳴らし、扉の取手に手を掛けた。
鬼が出るか、蛇が出るか。
クーデリカは意を決して扉を開け放つ。
開け放たれた室内からは、冷たい空気と僅かに汗の香りがした。
そして、整地された修練場の中央にその者は居た。
肩甲骨辺りまで伸ばされた栗色の髪。
切れ長の瞳に美しい顔立ち。
百八十センチ程の長身であり、少々華奢に見える身体。
それ以上に目を引くのが、その物が纏っている純白の鎧。
「初めまして、騎士クーデリカ。突然の呼び出しに応じて頂いて感謝致します」
そう言ってその者は頭を下げた。
「猊下、まずは名乗るのが先だと思いますが?」
男の行動に、マルコが注意を促す。
確かに、とクーデリカは思ったが、それ以上に驚きが勝っていた。
今、マルコは何と言ったのか? マルコは、目の前の男の事を猊下と呼んだのだ。枢機卿であるマルコが猊下と呼ぶ相手? これは男の地位が相当高いと思った方が良いだろう。
そんな事をクーデリカが考えている中でも、男とマルコの会話は続いていた。
「ふふっ。マルコ、君はユーモアと言う言葉を知らないようだね」
男はそう言って髪を掻き上げた。
男前が髪を掻き上げる動作、絵にならない筈が無い。しかし、クーデリカの動物的な本能は直感する。コイツは、馬鹿である、と。それと同時に、その身から感じるプレッシャー。騎士としての腕も、只者では無いのだと感じた。
不遜な目つきで見つめるクーデリカに気付き、男は咳払いと共に再びクーデリカに視線を移す。
「失礼。私の名はガラハッド。御見知り置きを」
そんな冗談めかした言葉と共に、男、ガラハッドは再度頭を下げた。
「すでに知っている様だが、私はクーデリカ・ビスケス。クリスタニア王国の騎士団長をしている」
ガラハッドは地位の高い者と推測はしているが、実際の所は未だ謎。ならば、とクーデリカは通常の態度を貫く事にした。
「本日お会いして頂いた目的は、騎士クーデリカに少々お聞きしたい事がありまして」
クーデリカの態度に、ガラハッドは表情を変える事無く目的を語る。
この言葉に、クーデリカは僅かに首を傾げた。
ガラハッドは、猊下と言う言葉の通り、恐らくだが法国の客分騎士であろうと推測出来る。それが何故、クリスタニアの騎士に質問が? ガラハッドの奥底は、クーデリカには一切読む事は出来なかった。
ならばどうするのか? 答えは簡単である。そう、相手の掌に乗るまで。
「左様ですか。それで、どの様な質問を?」
事を急ぐ様なクーデリカの言葉に、ガラハッドはクスリと笑みを浮かべる。
「質問の前に、少々確認したい事があるのですよ」
急ぐなと言う言葉と共に、ガラハッドは続けて言葉を紡ぐ。
出鼻をくじかれた様な態勢になるが、クーデリカにはガラハッドに従う他選択肢は無い。だからクーデリカは、素直に首を縦に振った。
「貴公は、姫殿下の騎士で間違いは無いかね?」
姫殿下。それはこの聖堂リンデルシアで何度も聞いた言葉。
自身の国では、聞く事の出来なくなった言葉。抹消された存在。
だが、クーデリカの心は何時もシャルロットと共にある。だからこそ自信を持って首を縦に振る。
「そうですか。貴公は姫殿下の騎士でありますか。…………ならば、認めさせなさい」
言葉と共に、ガラハッドは剣を抜く。
この行動に、最も驚いたのはマルコであった。
「げ、猊下! 御戯れを!」
必死な制止の言葉と共に、二人の間に割って入る。
だが、ガラハッドの瞳にはマルコは映ってはいない。ガラハッドの見つめる先には只一人、クーデリカ・ビスケス。
「貴公が弱ければ、姫殿下は守る為に力を使う。それは、姫殿下の……シャルロットの消滅を意味する。だから、私は確かめなければいけない。貴公が正しくシャルロットの騎士なのかどうかを」
クーデリカは、ガラハッドの目をじっと見つめる。
その瞳は、どこまでも冷酷で嘘や冗談などは一切感じられない。
「剣はそこにある物を御使い下さい」
そう言ってガラハッドは、僅かに視線を右へと向けた。
その行動に追従する様に、クーデリカも視線を向ける。そこには、大小様々な剣が掛けてあった。
その十数本の剣をクーデリカは見定める。その中の一本、バスタードソードをクーデリカは手に取った。
「それで良いのかな?」
「ああ。これが一番しっくり気そうだからな」
「そうですか」
ガラハッドの言葉がクーデリカの耳に届いた瞬間、一閃の煌きがクーデリカを襲う
ギャン! と言う重い音を立て、二つの意思はぶつかり合った。
勝負は一瞬。剣激の重さに負け、剣を落としたのはクーデリカであった。
「その程度、ですか?」
ガラハッドは、クーデリカを見降ろしながら問いかける。
だが、事があまりにも信じられなかったのか、クーデリカは茫然自失で自身の手を見つめていた。
「その程度ですか、と聞いているんですが」
再び掛けられたガラハッドの言葉に、クーデリカは僅かに正気を取り戻す。
「……まだだ」
折れそうになる気持ちを振り絞って、クーデリカは立ち上がり剣を握る。
だが、二度、三度とクーデリカは叩きのめされる結果となった。
「やはりその程度ですか?」
「ま、だだ」
笑い続ける膝を叩き、クーデリカは立ち上がろうと試みる。だがその行動は、ガラハッドが放った軽い足払いで無に帰した。
惨めに尻もちを付くクーデリカに、ガラハッドは背を向け
「私は此処に居ます。自分の言葉を証明したいのであれば、明日また来ると良いでしょう」
そう言ってガラハッドは場を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「たかがごはん食べるのに、何でこんなに階段上がらなきゃいけないわけ?」
タナトスに連れられ、法皇リリー・マルレーンとの会食に向かうシャルロットは、出発三十秒で早速愚痴り出していた。
それをたしなめる事無く、タナトスは興味深げに会話を続ける。
「では、姫殿下は、どこでお食事を?」
「どこって? 炊事場だけど」
問われた事柄に、躊躇無く答えるシャルロット。
しかし、その答えは、王族としてはどうかと言う答えである。
「す、炊事場、ですか?」
そのあまりにもな答えに、タナトスは一瞬言葉を失った。
そんなタナトスの事など気にも留めずに、シャルロットの言葉続く。
「だいたいねぇ、王族の食事なんて寂しいものなのよ。どんなに豪華な食材を使ってもねぇ、毒味だー、何だーってね、口に入る頃には冷え冷え。わたしは十歳の時に悟ったわね、この世に王族が口にする食事ほど不味い物はないってね! じゃあ、どうすればと十歳のわたしは考えたわけ」
「その答えが、炊事場での食事ですか?」
どこか笑いを堪える様に、タナトスは問い掛ける。
「そうよ。出来たてのご飯をすぐに食べる! こんな良い案は他にないでしょ? 十歳のわたしを褒めてあげたいわ」
腕を組み、十歳の自分を自画自賛するシャルロット。
「ですが、先ほど姫殿下御自身もおっしゃいましたが、毒味はどうなさっていたのですか?」
そう、シャルロットは王族であった。ならば、毒味や検分は外せない事柄である。
だが、この問いかけにも、シャルロットはあっけらかんと答えを口にした。
「毒味? そんなの毒味役の家臣や炊事場の人と、一緒に同じご飯食べれば良いだけじゃない」
何と言う豪胆さ。
王族、貴族としての自覚の無さ。
結局シャルロットは、家臣達に混じって食事をしていたのだ。
同じ鍋からよそわれる食事。
使い回しの食器。
結局のところシャルロットの食い意地は、最も安全な策を取っていたと言えない事も無い。
この事実に、タナトスは次の言葉が出ては来ない程呆れ返るのであった。