センチュリオン領へ
「やっほー。何だか、困った事になってるらしいわねぇ、シャルちゃん」
顔を出したのは、黒凰会の槐であった。
「槐、あんたなんで?」
思いがけない人物の来訪に、あっけに取られるシャルロット。
それが有々と解るのか、槐は柔和な笑みを浮かべる。
「何でってねぇ。そこでアキリーズさんと会ったからよ」
「アキリーズと会ったって……」
何が何だか解らず、混乱するシャルロット。非常に珍しい事例であった
「相手はワイバーンなんでしょ? テターニアちゃんでは、あまりお役には立てないと思ってねぇ」
涼しい顔で、こんな事を言い出す槐。
「え? どう言う事? 槐って戦えるの?」
「戦えるわよぉ。肉弾戦じゃ無いけど」
槐はそう言って、ニヤリとほほ笑んだ。
「そっかぁ、月狐族だもんね。お願い! 協力して!」
槐の種族を思い出したシャルロットは、救援を頼む為に頭を下げた。だが、それは必要無い、と槐の口は語る。
「シャルちゃんは、私の親筋になるんだから、遠慮しなくていいの。雷鳴会の会長さんでしょ」
そう言ってさっきとは別の、優しげな笑みを浮かべた。その微笑みは、何と言うか姉が妹に見せる様な頬笑みであった。
「ああ、そうだったわ」
気付きたくない事に気付かされた、そんな感じにシャルロットの表情は、酷く疲れた物に変わっていた。
「じゃあ、ヴァネッサ達が準備出来次第出発! 槐もそれで良い?」
「ええ、良いわよぉ」
これから戦いに行くのに、まるで近所の散歩に出かける様な槐の態度に、シャルロットは妙な違和感を覚えるのであった。
それからほどなくして、ヴァネッサが現れる。
「姫様、出立の準備整いました」
「わかったわ!」
言葉と共に、シャルロットの足は庭へと向かう。
「わたしは、ハミルトンの後ろに乗って行くから、みんなは空馬車に乗って」
「そんな、姫様が馬に乗って行くなんて、私がハミルトン殿の後ろに乗ります」
そう言って馬上を選ぶ声を上げたのは、イレーネである。
「とりあえず、セイレーン達の所までは、わたしが指示を出さなきゃいけないの。それからは、入れ替わりで良いから、最初はわたし。わかった?」
どう言ってもイレーネは折れないだろう。
それが解っているからこそ、シャルロットは代替案を提示する。こうまで言われては、イレーネも引き下がらずには居られない。
「解りました。ですが、セイレーンの山までですよ!」
語尾を強め、念を押すイレーネであった。
「じゃあ、出発!」
シャルロットの号令一過、一行は旅立って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「また子様、何者かが近付いて来ます!」
ニケからの知らせに、また子は空を見上げた。澄み切った青空に、一頭のペガサスと、何やら籠を吊下げた四頭のヒポグリフが見える。
「何だ、あれは?」
また子は、言葉と共に自身の頭部から生える翼を大きく広げた。上空の魔物に脅威を感じ、警戒の為に飛び立とうとする。
風の精霊の力を借り、今まさに上空へと羽ばたこうとした瞬間、その声が聞こえた。
「サイレン!」
そう、自ら仕えると誓ったシャルロットの声だ。
「主様、なのか?」
羽をたたみ、ペガサスをじっと見つめる。手綱を握っている者は知らないが、その後ろには、確かに主であるシャルロットの姿があった。
ペガサスはゆっくりと着陸し、シャルロットが降りて来た。
だが、その表情を見るに、楽しい事では無いだろうとセイレーン達は感じ取っていた。
「どうしたのだ、服ならもう貰ったぞ?」
シャルロットの緊張をほぐそうとしたのか、また子の第一声は砕けた物であった。
「そんな事じゃないわよ。あなた達の力を借りたいの、頼まれてくれる?」
シャルロットは、力の籠った瞳でそう訴えかける。
「ふふっ。主が力を貸せと言うのだ、我らに断る理由は無い」
「ほんと!」
シャルロットの表情が、安堵で緩む。だが、また子の言葉は、これで終わりでは無かった。
「だが、条件が一つある」
「条件?」
「そうだ、我の事はまた子と呼んで欲しい」
また子のこの言葉に、シャルロットは少々ゲンナリとした表情を浮かべた。実際問題として、また子なんて名前、間抜けすぎて言いたく無いのだ。
だが、ここで我を通しても仕方が無い。事情が事情なのだ。今は、ワイバーン討伐が最優先事項なのである。
「わかったわ。頼むわよ、また子」
「おうよ」
仕方が無く、条件を飲むシャルロットであった。
「それで、一体何があったのだ?」
事情を知らないまた子は、素直にその事を口にする。
「うん、ソレなんだけどね……」
問われるまま、シャルロットは事のあらましを説明する。
「ワイバーン、か」
「そう。それでどう? 勝てそう?」
シャルロットの心配に、また子は胸を張り鼻を鳴らす。
「あんな小回りも出来ぬ、劣化ドラゴン、訳も無いわ」
物凄い勢いで、自信満々な言葉を告げるまた子。
シャルロットは、セイレーン達に急ぎ出立の準備をさせ、センチュリオン侯爵領へと旅立つのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「アルバース様、大変であります!」
センチュリオン領の領主邸、その会議室に座るアルバース・ド・センチュリオン侯爵に、一人の騎士が慌てて報告を持って駆け寄った。
「どうした、何があった」
蒼い髪をオールバックに撫でつけた四十半ばの男、この領地の領主であり、侯爵の位を持つアルバース・ド・センチュリオンは、低い声で騎士に呼びかける。
「はっ! 上空に無数の魔物が現れました!」
「何だと! ワイバーンなのか!?」
「違います! 観測員の話ですと、魔物の正体はセイレーンとの事です!」
騎士の報告に、アルバースは奥歯をギリリと噛み締めた。
大変な時期に、更なる厄介事が舞い込んで来たのだ。渋い顔をするのも、当然の事である。
「現状、王国聖騎士隊のクーデリカ隊長を頭に、迎撃の準備を進めているとの事です」
「解った。だが、自分の目で確かめたい。案内を頼む」
「しかし…………畏まりました」
騎士はアルバースの身を案じ一瞬戸惑うが、その決意ある表情に負け案内を決める。
アルバースが外に出て、上空を見ると、確かにかなりの数のセイレーンが旋回していた。
「アルバース卿!」
館から姿を現したアルバース・ド・センチュリオン侯爵を見つけたクーデリカが、声を掛けながら近づいて行く。
「クーデリカか。これはどう言う状況なのだ?」
「解りません。突然西の空から現れました」
アルバースの問いかけに、クーデリカは包み隠さず事実だけを語る。
二人が、現状を確認する中、上空に変化が起きる。旋回していたセイレーンの群れから、三体のセイレーンが高度を下げこの地に降り立とうとしていた。
アルバースとクーデリカの前に立つ三体のセイレーン。その中心に居た白いセイレーンが、おもむろに口を開く。
「オマエがこの地の支配者か?」
アルバース目掛け、不遜な態度で問いかける白いセイレーン。
「お前達の目的は何だ?」
だが、アルバースは答える事無く質問で返す。
「我らは、この地の支配者に用があるのだ。早く答えるが良い」
僅かに語気を強め、イラ付いた様な態度を見せる白いセイレーン。
「そ、そうだ。私がこの地の領主だ」
息を一つ吐き、気を落ち着かせ、アルバースは素直に答える。目の前のセイレーンから、怒気は感じられても、殺気は感じられなかったのがその理由である。
「そうか。先程の問いかけだが、我らは、我らの主様の命でこの地に参った」
白きセイレーンは、自分達の行動の理由を口にした。
だが、アルバース達にとっては、何の疑問も解決はしていなかった。尤も大きな疑問は、セイレーン達の主が誰だ、と言う事である。
「失礼だが、その主の名を聞いても良いか?」
アルバースを守る様に、一歩前に出たクーデリカが問いかけた。じっとクーデリカを見つめる白いセイレーン。
「ふむ。キサマがクーデリカ、か?」
突然の呼びかけに、一瞬身体が硬直するクーデリカ。
「違うのか? 聞いていた特徴と一致するのは、この中でキサマくらいなのだが?」
白いセイレーンのこの発言によって、アルバースにはセイレーンを送り込んだ人物が誰か、薄々見当がついて来た。
「そうか、参戦感謝する。ところで、君達の主は、シャルロットと思って良いのかな?」
アルバースのこの発言に、クーデリカは驚きを顕にした。だが、白いセイレーンは、そんなクーデリカには視線を向けず
「そうだ! 我らセイレーン、主様に忠誠を誓う者だ!」
誇り高くそう宣言した。