清算
「御越し下さり、ありがとう御座います」
ロックフェル邸の正面玄関の前で、執事長であるハロルドは来客に対して礼を持って腰を折った。
「いいえ、御気になさらずに。これも、私共の仕事で御座いますから」
ハロルドの行動に対し、来客たる人物は気遣い不要と言葉を綴る。
ハロルドが迎き入れた人物、それはコルデマン商会、商会長クレメンス・コーデである。
「そうですか。御気遣い感謝致します。では、応接室へ案内致します」
そう言ってハロルドは扉を開ける。しかし、クレメンスの脳裏には、?マークが浮かんだ。それは、ハロルドが言った応接室と言う言葉だ。
この館の主、ロックフェル老が商売の相手ならば、書斎へと通されるはずなのだ。だが、今回は応接室だと言う。と言う事は、今日の商売相手は別の人物と言う事になる。
(ま、考えても仕方が無いわよねぇ)
クレメンスは、疑問を抱きながらも商売の事へと頭を切り替えるのだった。
応接室へと通されると、メイドが一人待機していた。
「ようこそ御出で下さいました。お茶で御座いますが、紅茶とハッカ茶が御座いますが、どちらに致しましょうか?」
メイドがお茶の種類を聞いて来た。これだけでクレメンスは確信出来た。本日の相手はロックフェル老では無いと言う事を。
「では、ハッカ茶を頂けますか」
クレメンスは、もやもやとした気持ちを吹き飛ばそうと、すっきりとした味わいのハッカ茶を注文した。
「畏まりました」
そう言ってメイドは、流れる様な仕草でお茶を入れて行く。カチャリと言う僅かな音と共に、ハッカ茶はクレメンスの前へと置かれた。
「もうしばらくお待ちください」
言葉と共に、メイドは腰を折り扉の横に控える。
時間にして十分少々、クレメンスを呼びつけた人物が姿を現した。
金糸の様な髪をなびかせ、大量のフリルで飾ったどこか子供っぽいドレスを纏って。この人物、屋敷の長であるロックフェル老の妻にしてシルキー、ヘンリエッタである。
「お待たせ致しました」
黒い革製の鞄を抱きながら、ヘンリエッタはクレメンスに向け頭を下げる。
「いえ、御気になさらずに」
ヘンリエッタの気遣いを感じ取ったクレメンスは、立ち上がり謝辞は無用と言葉を掛ける。
ヘンリエッタはメイドに対して、“私も同じ物を”とハッカ茶を頼むとクレメンスに着席を進め、自身もソファーに腰を下した。
「クレメンス様は、シャルロット様がなさっている事をご存じですか?」
ヘンリエッタは、開口一番こんな言葉を口にした。
シャルロットのしている事。むろん色んな事を知っている。
主に、悪どい事や、悪どい事や、悪どい事などを。あと、しいて挙げるなら詐欺まがいな事などだ。
だが、ヘンリエッタの表情を見るに、そっちの黒シャルロットの事では無い様に思えた。
「いいえ、存じません。カーディナル卿は、何をなさっておられるのですか?」
クレメンスは、最大級の礼を持って、シャルロットをカーディナル卿と呼び、ヘンリエッタに話の続きを促した。
「シャルロット様の所には、私の同族が居られると聞きました」
ヘンリエッタの同族。つまりは、シルキー。
アーデルハイドの事だとクレメンスは思い当たる。
「私の同族、アーデルハイド様に、シャルロット様は、一つの仕事を任せたらしいのです」
「アーデルハイド殿に、仕事を、ですか?」
シルキーであるヘンリエッタが言うのだ、シャルロットがアーデルハイドに任せた仕事は、ハウスメイドでは無いのであろう。
「先日、シャルロット様の配下であるヒムロ様からお聞きしたのですが、シャルロット様は、身寄りの無い子供達を集め、寄宿舎兼学校を御造りになったと言う事なのです。そして、そこの先生として、アーデルハイド様を」
ヘンリエッタが口にしたヒムロと言う名前、正式に紹介された訳では無いが、昨日街で見かけたシャルロットの隣に居た端正な顔立ちの大柄の男、恐らく彼がヒムロなのだろうとクレメンスは推測した。
しかし、解らない事が一つある。ヒムロと言う男は、何故寄宿舎の事をヘンリエッタに話したのだろうか? これが、ロックフェル老ならば納得が出来る。
どうにも背後にシャルロットの影がちらついて見えるクレメンスであった。
「それは素晴らしい事を始めたのですね。ですが、それと私共とどう言う繋がりが?」
クレメンスは、賛辞を交えつつ根源的な疑問を口にする。
それに対しヘンリエッタは微笑みを崩さず
「クレメンス様は、この御屋敷をどう思いますか?」
質問で返して来た。
「大きく、立派な御屋敷だと思いますが?」
クレメンスは戸惑いながら、素直な感想を口にする。
「そうですね。大きいお屋敷です。ですが、大き過ぎると思いませんか? ローザンメルド様は伯爵位を返上なさっております。他の貴族の方が、この御屋敷を尋ねる事も今後無いでしょうし」
ヘンリエッタの話を聞き、何となくだがクレメンスには行きつく先が見えて来たような気がした。
「では、ヘンリエッタ様は、この御屋敷をどうなさるおつもりで?」
「はい。シャルロット様を見習い、この御屋敷を寄宿舎兼学校にしようと思っております」
“やはり!”クレメンスは、自身の予想が当たっていた事を確信した。
しかし、学校を作ると言っても、子供達はどうするのだろうか? この辺りのストリートチルドレンは、シャルロットが軒並みさらって行ったと聞いている。
「これからの時期、薪や食料の乏しい家庭から、子供達が売りに出されると聞いております」
「ええ。確かに今の時期、農奴に落とされる子供達が多くなります」
「クレメンス様は、その子らを買い付ける事はできますか?」
買い付ける事が出来るか? そう聞かれれば答えは一つである。出来る、と。
しかし、先立つ物がなければ、どうにも出来ないのも事実なのである。
「恥ずかしいお話なのですが、実はローザンメルド様は以前少々悪さをしておりまして。シャルロット様に、証拠の隠滅を命じられているのですよ」
そう言ってヘンリエッタは鞄を開け、十数枚の羊皮紙をテーブルに置いた。
クレメンスの“見ても?”と言う問いかけに、ヘンリエッタは“どうぞ”と返す。
了解を得て、クレメンスは羊皮紙に目を通して行く。
クレメンスは、羊皮紙に書いてある文言に目を見張る。十数枚の羊皮紙、その全てが王国中央に席を置く大商会や、中央ギルドの債権であったのだ。これを清算すれば、恐らく三十億スイールを超える金額になるだろう。
「それをお使い下さい」
ヘンリエッタは、何の迷いも無く債権を手放すと言う。
「このままでは、ローザンメルド様は地獄に落ちる事でしょう。ですので、少しは善行を積んでいただこうか、と。それに、幼い頃からしっかりと教育を受けていれば、カーディナルの、ひいては王国の礎を支える事になるでしょう。そうなれば、ローザンメルド様もコーネリア殿も、浮かばれると言うものかと」
そう言ってヘンリエッタは、花の様な笑顔を浮かべた。
此の瞬間、クレメンスはこの証書の出所を理解した。因果では無いが、回り回ってまさか自分の所に来るとは。やはり、シャルロットの周りは面白い事が起きる。そう実感した瞬間であった。
「畏まりました。コルデマン商会の名に掛けて、農奴に落とされる前に子供達を回収しましょう」
「出来るの、ですか?」
クレメンスが発した言葉に、ヘンリエッタは驚きを顕にする。
「はい。今のコルデマン商会の規模であれば、各商業ギルドに連絡を取って、貧困に陥りそうな家庭を調べる事が出来るでしょうから」
「それは素晴らしい。是非ともお願いできますか」
「畏まりました。精一杯仕事に掛からせて頂きます」
こうして、誰も知らぬ所で、ローザンメルド・ロックフェル元伯爵の悪行の証拠は闇へと葬られた。
そして、ロックフェル邸を管理すると言う無駄金使いも無事回避する事が出来た。
そう、全てはシャルロットの掌の上の出来事であったのだ。




