盃直し
「なあ礼司よぉ、どう思うよ? 俺は賛成出来ねぇな、親をポンポン変えるなんてなぁ」
「ま、まあそうなんだけどな……」
坂本との話合いを終え、氷室と田村、二人は氷室の自室で顔を突き合わせていた。
「何だよ礼司、歯切れが悪いなぁ」
氷室は、田村の言葉に、曖昧な返事を返す。
その言葉に、田村は僅かに眉をひそめた。
「まさか、親父の話を飲もうって言うんじゃねぇだろうな?」
田村の目が、鋭く細められる。返事しだいでは許さない。そんな雰囲気が漏れ出していた。
「俺だって、気持はお前と同じだ。だがな――」
「だが、なんだよ!」
氷室の言葉が終わる前に、田村はテーブルに拳を叩き付けた。
「聞けよ! 親父の言った言葉が全てだとは、俺には思えないんだ」
「はあ? どう言う事だよ」
あまり聞か無い氷室の大声に、沸騰していた田村の思考は、やや沈静化を果たす。
「親父だって、こんな話をすれば、俺達が反発するのは解っていたと思うんだ」
「まあ、そうだな」
「それなのに、国の為だとか何とか言うって事は、何か別の目的があるんじゃないかって」
「どんなだよ?」
田村の問いかけに、氷室は沈黙で返す。その裏では、必死に坂本の思考を読み取ろうと頭を回転させていた。
無頼としての坂本。そして、もう一つの顔。カーディナルに流れ着き、シャルロットと出会った。それからの坂本。シャルロットと子供の喧嘩を繰り返す坂本。
色々な事柄が思い出される。そして、一本に繋がる。
「そうか。そうだよ竜人」
「は? 何だよ」
氷室の突然の呟きに、田村は驚きを表す。
「杯直しで、姫様が俺達の親になったらどうなる?」
「はあ? それが可笑しいって話をしてんだろ?」
「良いから! 姫様が親だったら、お前どうする?!」
田村の感の鈍さに、今度は氷室がテーブルを叩く。
「お、おう。そりゃあ、付き従うだろ」
「そうじゃなくて! 姫様なんだぞ! 姿を思い出して考えてみろ!」
「……………………まあ、守るわな」
田村の言葉に、氷室は我が意を得たり、と大きく頷いた。
「そうなんだよ。親父は、自分が居なくなった後、俺達に姫様を守らせるつもりなんだよ」
「ああ、成程なぁ」
答えが出た所で、二人は視線を下に向けた。
どこまでも、坂本について行きたい。それは紛れも無い本心なのである。
だが、その一方で、シャルロットと言う人間に惹かれているのも事実なのだ。
「なあ、礼司」
「ん?」
田村は顔を上げ、氷室の名を呼んだ。
「姫様ってすげえよな」
「どうしたんだよいきなり」
氷室は、田村の言葉に首を傾げた。今さら何を言っているのだ、と。
「だってよぉ、あんなに小せえんだぜ。線も細せえしよぉ。それなのに……領主やったりさぁ、そんで世界と来たもんだ。小せえ肩にそんな重いもん背負って……」
「そうだな、お前の言う通りだな。もしかして、親父にとって、最大の気配りなのかもな」
「俺達がか?」
「ああ。俺達と槐のお嬢様が、な」
そう言って氷室は、湯呑を手に取った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「もっさん、来たわよ!」
大声を響かせながら、シャルロットは引き戸を開け放つ。
「姫様。お待ちしておりました」
玄関先で、ナカジマが腰を折る。
「あれ? ナカジマじゃない、お久しぶり。向うは大丈夫なの?」
「へ、へえ。下の者もだいぶ育ってきてますさかい。ささ、姫様奥へ。メイドの姉さん方もどうぞ」
ナカジマの迎えに対し、イレーネとクロムウェルは頷くが、ヴァネッサは違った。
「いえ。私はブーツなので、外で待たせて頂きます」
ヴァネッサはそう言うが、ナカジマとしてはそうは行かない。何せ、シャルロット達には言ってはいないが、本日行われる催しは、非常に重要なのだ。是非とも見届け人として、シャルロットサイドには出席して貰いたいのだ。
「ま、まあ、そう言わんと」
しつこくせがむナカジマ。
どう説得したら良いかと思い悩むヴァネッサ。
そんなヴァネッサに、シャルロットから声がかかった。
「ヴァネッサ、良い加減にしなさい」
「畏まりました、姫様」
シャルロットの一言で、ようやく折れるヴァネッサだった。
シャルロットは、ヴァネッサがブーツを脱ぐまでの時間を、お部屋探訪の時間に充てる。
何度も来ている屋敷なのだが、何度見ても興味深い事この上ないのだ。それに、今回はクロムウェルも付いて来ている。ヤマトを知らないクロムウェルには、驚きの連続であった。
僅かな時間を置き、ヴァネッサがブーツを脱ぎ終わる。
それを見計らって、ナカジマが声を掛けた。
「では、御案内します」
礼儀正しいナカジマを前に、シャルロットは首を傾げる。
前日に聞いた話ではサカモトから“兄妹、美味いもん食わせてやるから、顔見せえや”と言う伝言だったはず。
それなのに、この仰々しさ。一体何が起こるのやら。
シャルロット達が、連れて行かれた部屋の襖が開けられる。
部屋の大きさはかなりあり、カーディナル領主邸の晩餐室よりも広い位であった。
壁は紅白の布で飾られ、部屋の左右に目を向ければ、サカモト一家、黒凰会の面々がそろっている。そして、部屋の最奥右側、上座の右側には紋付袴姿のサカモトの姿が。
「ようこそ御出で下さいました」
襖の横で、振袖姿の槐が頭を下げる。
「どうぞ」
若頭である氷室がシャルロットに声をかけ、自分の左前に置いてある座布団を指し示した。
続いてヴァネッサ達に視線を向けると、田村の横を指した。そこには座布団が三つ、空席のまま置いてある。それぞれ、そこに座れ、と言う事だろう。
シャルロットの眉は八の字を描くが、今騒ぎ立てても仕方が無い。皆、大人しく席に着いた。
シャルロットが座った事を確認すると、槐は部屋の中央に腰を降ろす。
同時に若い衆によって、サカモト、シャルロットの前に三方が置かれた。
三方に視線を落とすと、白い紙が一枚置かれ、その上に小皿が一つ。
シャルロットはその小皿に見覚えがあった。そう、自分に変な肩書をもたらした物。杯である。
その杯に、透明な液体が注がれる。水では無い事がその匂いで解った。
前回は、サカモトが遠慮し水であったが、今回は違うようだ。
実際、クリスタニア王国の成人は十五歳。シャルロットはとうに成人である。酒を飲む事に関しては問題は無い。だが、強いかどうかは別である。
まるで花畑に居る様な仕草でペタンと座るシャルロットを余所に、槐は口上を語る。
「既に御覚悟は十二分に御有りの事でしょうが、任侠の世界は厳しい御人の世界です――」
槐の言葉を黙って聞くシャルロット。
だが、その心は“よく解んにゃい”であった。それも当然、槐はヤマト語で話しているからである。
そうこうしている内に口上が終わり、サカモトは盃に僅かに口を付けると三方へと置いた。
「シャルロット様。盃を一気に飲み干し、懐に御収め下さい」
槐が大陸語で、この後の行動を指示する。
言われるままシャルロットは、盃の中身を一気に飲み干すと、紙に包んでスカートのポケットに入れた。それが何を意味する物かも解らずに。
「はにゃ?」
シャルロットの顔に赤みが差す。つまりは酔っ払ったのだ。
そんなシャルロットに向けて、サカモトが手招きいた。
「はにー、もっさん」
「おう? ええから、ここに座れ」
そう言ってサカモトは席を立った。
「後は任せたで、槐」
「はい。恙無く進行致します」
槐は一度姿勢を正し
「では、シャルロット様と黒凰会との、親子盃の儀へと移りたいと思います」
この言葉を合図に、シャルロットの前に別の三方が運ばれて来た。
そして、同時に氷室の前にも。
再度、槐から先程と同様の口上が語られる。
盃を見つめるシャルロット。
「姫様。先程と同じように」
氷室から促され、盃を煽るシャルロット。瞬間
「ふにゃん」
言葉と共に、シャルロットは後ろに倒れた。酔いが回り、眠ってしまった様である。
急ぎヴァネッサとイレーネが駆けつける。その瞬間、驚くべき事が起こった。
シャルロットに次いで、盃を飲み干し懐に入れたヒムロが頭を下げたのだ。同時に、部屋に居た黒凰会一同も。
そして
「「これから宜しくお願いします、親分!」」
全員の声が重なった。
この儀式によって、ヒムロ達黒凰会の立ち位置が決定付けられた。
カーディナル領系黒凰会、と。
同時に、シャルロットは、無頼達の親分となったのである。
シャルロットが頭を抱え、サカモトと激しい口喧嘩か勃発するのだが、それはシャルロットが起きるまで待つ他無いのであった。