女王アナスタシア
早朝に届けられた、クリスタニア王国からの書状を前に、ケルミナス王国女王アスタナシア・デュ・ケルミナスは苛立ちを顕にする。
「何か企んでいるだろうとは思っていたけど、まさか簒奪とは…………騎士団長を呼びなさい! ベレン辺境伯を捕らえます!」
燃えるような赤い髪を搔き毟りながら、隣に控える文官へと指示を飛ばす。
バーングラス王からの書状の内容は、ベレン辺境伯に謀反の疑い有り。可能性として、隣接するカーディナル領に被害が出る可能性が有る為、至急調査求む、と言う内容が幾つかの状況証拠と共に書かれていた。
本来ならば、他国の内政に干渉する様な事は、れっきとした国際法違反である。だが、クリスタニア王国第一王子シャルルマーニュの妻であるエリザベート妃は、この国、ケルミナス王国の第三王女。つまり、クリスタニア王国とケルミナス王国は、縁戚関係になるのである。
だからこそ、要請と言う形で干渉する事も、僅かにだが許されるのである。尤も、おおっぴらに出来る事では無いが。
「失礼します!」
豪胆な声と共に、フルプレート鎧を纏った大柄な男が部屋に入って来た。
この男こそが、ケルミナス王国第一騎士団の隊長であり、ケルミナス王国騎士団の総大将である。
「騎士団長、ベレン辺境伯を捕らえます。用意しなさい」
「どう言う事で御座いましょうか?」
いきなりの言葉に、騎士団長は混乱を顕にする。
「これを見よ」
そう言うと、女王アスタナシアはバーングラス王からの書簡を机の上に置いた。
騎士団長は書簡に書かれた文字を、ゆっくりと確実に読み込んで行く。そこに書かれた状況証拠に、騎士団長の表情は苦く歪んだ。
一つ。カーディナルを経由し、ベレン領へ運ばれる小麦の増加。
一つ。ヴァスカビル領から、ケルミナス王国中央へ抜ける街道で運ばれる鉄製品の大幅増。
一つ。ベレン領内の鍛冶屋への、武器修理及び武器生産の大量発注
一つ。北側豪族との、会食と言う名目での根回しの疑い。等々。
「確かにこれは、謀反の疑い有り、としか思えぬ事柄ですね」
「左様。我が国とクリスタニア王国の間に緊張があれば、戦に備えて、と言う言い逃れも出来るが、今の二国の状態は極めて良好。ならば、ベレン辺境伯の目は、こちらに向いていると考えるのが常識でしょうね」
騎士団長も、女王アスタナシアとの会話の中で、ベレン辺境伯への疑いを濃厚にしていった。
それとは別に、関心する事柄もあった。それは、クリスタニア王国の諜報力である。
恐らく最初は、僅かな違和感だと思われる。その違和感を皮切りに、端々へと手を広げ情報を探って行ったのだろう。そして、ベレン領の役人に感づかれない様に人を潜入させ、実地調査をさせた。
実に根気がいる作業であり、また繊細さが必要とされる仕事である。
「クリスタニア王国の諜報部、侮れぬ者達で御座います」
騎士団長は、感じたまま言葉を漏らした。
だが、この言葉に女王アスタナシアはクスリと笑みをこぼした。
騎士団長は何が可笑しかったのか解らず、呆けた表情を見せる。
その表情に対し、女王アスタナシアは自身の考えを広げて見せた。
「恐らくこの情報は、クリスタニアの諜報部が手に入れた物では無い」
「ど、どう言う事で御座いましょうか?」
「この情報は、私が思うに、カーディナル卿からもたらされた物であろう」
「い、一領主が此処までの情報を、で御座いますか?」
慌てる騎士団長に、女王アスタナシアは笑いが止まらない思いであった。
「騎士団長。現在の、カーディナル領の領主は誰か知っておるか?」
この問いかけに、騎士団長は首を横に振る。
騎士団とは力であり、国を守るのが仕事である。だからこそ、他国の軍備には目を光らせてはいても、統治者にまでは目が行っていなかった。
「現在、カーディナルを治めている者は、シャルロット・デュ・カーディナル子爵」
女王アスタナシアはそう言うが、騎士団長にはピンと来ない名であった。
それが解っているのだろう、女王アスタナシアは話を続ける。
「こう言った方が良いでしょう。元、シャルロット・デュ・クリスタニア第一王女、と」
「な、なんと。シャルロット姫殿下が……」
騎士団長は女王アスタナシアと共に、シャルロットの姿を、彼女が起こした大騒動を思い出す。
あれは、二年程前であった。
当時、十三歳となったシャルルマーニュ王子の婚約者は誰になるのか? そう言う事象が巻き起こった。
どの国もが、貴族の娘を差出しクリスタニア王家との繋がりを作ろうと必死になっていた時期である。
その中にケルミナス王国第三王女エリザベートの姿もあった。
当時エリザベート二十四歳。女王アスタナシアは良く立候補した物だと呆れかえった物であった。決して選ばれる事は無いであろうと言う確信と共に。
しかし、エリザベートは選ばれた。
皆が反対する中、シャルロットの強引とも取れる説得によって。
女王アスタナシアは、婚礼の儀の際、シャルロットに問いかけた事があった。
“何故、エリザベートを推したのか”、と。
シャルロットは、まだ幼さの残るその顔に最大の笑顔を浮かべてこう言った。
“だって、エリザベートだけが、シャルルマーニュの事以外聞かなかったから”、と。
弟とずっと歩んで行く人は、そう言う人であって欲しいとシャルロットは言ったのだ。弟の事だけを愛してくれて、弟を一番に考えてくれる人が、将来王となる弟の隣に相応しいのだ、と。
女王アスタナシアも、護衛として隣に侍っていた騎士団長も、シャルロットの言葉に随分と驚いた物であった。
加えて、クリスタニア王国が有するかの殲滅軍師ローザンメルド・ロックフェル伯爵の弟子である事も驚かされた。そのシャルロットが動き、手に入れた情報。疑う余地は、ほぼ無いであろう。
「急ぎ用意を整えよ。本日中に出立する」
「御意!」
女王アスタナシアの命を受け、騎士団長は急ぎ仕事に掛った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
女王アスタナシアが王城から出立してから三日。ベレン領の領民は混乱の中にいた。
皆の視線は上空に釘付けとなっている。上空に何があるのか? そう、それはそこに居た。
ケルミナス王国の国旗が描かれた前垂れを纏った二十数羽のグリフォンが。王国騎士隊であった。
大きく円を描く様に飛翔していたグリフォンの群れ。徐々に半径を減らし、その姿は一軒の屋敷へと吸い込まれていった。ベレン辺境伯の邸宅へと。
騎士隊員は急ぎグリフォンから降りると、足早にベレン邸へと走り、そのドアを開けた。
「ハイドミナ・ベレン辺境伯、アスタナシア女王陛下の御成りである! 速やかに姿を現すが良い!」
そして、大声で呼びかけた。
その声に呼応して、使用人達がぞろぞろと顔を出した。
その後最後に、三十代前半と思わしき男が現れる。絶えずイラ付いた様な表情の男であった。
「何事だ!」
男は騎士隊員を一括する。
その行動は上位の者である事を、暗に証明した様な物であった。そう、この男がハイドミナ・ベレン辺境伯。ケルミナス王国の第一王子であった人物である。
慌ただしく騒ぎ立てるベレン辺境伯を余所に、騎士隊は左右に割れ道を作った。
その道を、威厳を持って歩く一人の女性。ケルミナス王国 国王アナスタシア・デュ・ケルミナスその人。
「久しいな、ハイドミナ」
「これはこれは姉上。本日はどの様な用事でわざわざこんな所にまで?」
ベレン辺境伯は、まるで芝居役者の様に言葉を綴る。女王アスタナシアはこの挑発とも取れるベレン辺境伯の行動に、顔色を一切変えずに事実だけを口にする。
「なに、お前に謀反の疑い有りとの情報を手に入れてな、少し話を聞こうと思っただけよ」
この一言で、ベレン辺境伯の顔から、表情が抜け落ちた。
(どこだ? どこから漏れた? 豪族達か? いや、ギルドか?)
「姉上。姉上の言っている意味が、私には解りかねますが?」
そう言うベレン辺境伯に対して、女王アスタナシアの表情は変わらない。
「調べれば解る事。騎士隊、ハイドミナを拘束せよ」
「「ハッ!」」
女王アスタナシアの号令一過、数名の騎士隊員がベレン辺境伯の背後に回り腕を取る。
「放せ!」
言葉と共に、ベレン辺境伯はもがき暴れる。
「大人しくして下さい! 謀反が嘘であるならば、すぐに解放されますので!」
騎士隊員も必死に押さえにかかる。
「大体だ、女王制であると言うだけで、何故私がこんな何も無い場所に送られねばならぬ! 私は優秀なのだ! 姉上などよりも、余程私の方が王に相応しいのだ!」
ベレン辺境伯の感情が爆発し、思いの丈をぶちまける。
女王アスタナシアはその言葉を、憐れむような表情で聞いていた。そして
「連れて行きなさい」
短く、それだけを口にしたのだった。