三本目の矢
「どう?」
鳩で届いた小さなメモに目を通すヒムロに対し、シャルロットは問いかけた。
「まず、間違いはなさそうですね。トラからの報告によりますと、街中の鍛冶屋が、領主の注文に四苦八苦しているそうです」
ヒムロの言葉に、シャルロットは溜息を洩らす。
「まったく、バカな事をしでかそうとしてくれた物よ」
そして、呆れ返る様に言葉を紡ぐ。
「姫様。この件の始末、姫様はどうお考えで?」
ヒムロの問いかけに、シャルロットは眉間に皺を寄せた。
「始末って言ってもねぇ。隣国の事に口出しするのは御門違いなのよねぇ」
そう言うシャルロットに、ヒムロは楽しげに笑みを向ける。
「手を出すのは、御門違いでは無いのですか?」
そして、なだめる様な言葉を口にした。
しかし相手はシャルロット。一筋縄で行く相手では無いのだ。
「手を出す? なに言ってんのよ。わたしは交易の交渉を、マチダに命じただけよ」
しれっとこんな事を言うのだ。
これには、流石のヒムロも苦笑いを浮かべるのであった。
そんな中、執務室のドアがノックされる。顔を出したのは、ヴァネッサであった。
「姫様。マチダが来ておりますが?」
「通してちょうだい」
この言葉に答える様に、ヴァネッサは引きマチダが顔を出した。
「姫様。やはりベレン辺境伯は黒でしたよ」
こんな爆弾発言と共に。
「根回しは?」
「北側の三分の二程の豪族が加わる様ですね」
「本格的な戦になると思う?」
シャルロットは、ヒムロ、マチダ両名の瞳を見ながら意見を求める。
「トラの報告を見る限り、領民には内密にしている様ですし、名乗り無しの戦になると思いますが?」
通常、国と国との戦では、会戦日を事前に決め、お互い名乗り合う事から戦は始まる。だが、この内乱は、いきなりの奇襲で戦火が切られるとヒムロは予測する。
「そうですね。根回しも個人的な会食、と言う形で行われた様ですし」
「マチダ、ちょっと待て」
ヒムロがマチダのセリフを止める。
何か疑問が有る様だ。
「お前、その情報どこから持って来たんだ?」
ヒムロの言う通りである。
ずっとカーディナルの商業ギルドに詰めているはずなのに、マチダは知り過ぎているのである。
ギルド職員が、ケルミナス王国に入ってはいるが、それにしてもマチダの情報量は異常なのだ。
「はい。以前国を回っていた時に知り合った情報屋がいまして、そいつの稼ぎ口が主にケルミナス王国なんですよ」
マチダは自身の情報の聞き取り先を口にする。
「先日姫様から指示があった夜、酒場でばったりと会いまして」
つまりマチダは、旧知の情報屋を雇って情報を取っていたと言う事だ。
此の事に、ヒムロは呆れかえるのみだった。
以前から、事情報と言う件に限って、サカモト一家でマチダの右に出る者はいなかった。
そして、此処に来てマチダは、商業ギルドと言う途方も無く大きい組織を手に入れた。その商業ギルドは、領主の、シャルロットの直轄組織でもあるのだ。
情報を集めるのに秀でているマチダ。それに加えて、シャルロットの知恵。
混ぜるな危険どころでは無い状態だ。
そして、シャルロットの放つ矢は、トラ達と商業ギルド職員の派遣だけでは無かった。もう一つ用意してあったのである。
「ヒムロ、二人に連絡を取って。街中に噂を流す様にって」
「了解しました。ハセガワとイシザワを動かします」
ハセガワとイシザワ。
ヒムロの舎弟であり、別命を受け内密にケルミナス王国に侵入していた者達である。
ヒムロに指示を出したシャルロットは、すぐにマチダに視線を移す。
「マチダ。ケルミナスに鳩を飛ばして。北のバーゲンミット公国から、大量の注文が来たから、北側へは薪の輸出は出来なくなった。自分達で何とかしなさいって」
「畏まりました。しかし姫様、血も涙も無い裁定ですね」
マチダは苦笑いを浮かべながら、素直な感想を口にした。
「血も涙も無いってアンタ。大体ねぇ、ウチの隣で喧嘩するなっての! 迷惑じゃない! そう思うでしょ?」
ヒムロとマチダは、盛大に溜息を吐いた。
迷惑って。確かにそうでは有るのだが、これから起こる北側の大混乱と、辺境伯の吊るし上げを思うと、他人事ながら少々可哀そうに思う二人であった。
「姫様は、これからどうなさるおつもりで?」
ヒムロは、今後の行動をシャルロットに問う。
「うん? 事が起こり次第、情報をまとめてバーングラス王に報告を上げるわ」
にっこりほほ笑むシャルロット。
だが、ヒムロもマチダも、不思議そうな表情を浮かべた。
シャルロットの事だ、自分自身でこの騒動を収束させる。二人は、いや、この件に関与しているカーディナルの人間は、皆そう思っていた。
「なに変な顔してんのよ。戦の結末は王が付ける。それが常識でしょ? バーングラス王が、私の報告をどうするかは解んないけど、決着はケルミナス王が付けなきゃいけないの。わたしは、ちょっと御手伝いしただけよ」
そう言うシャルロットの表情は実に晴々しい物であった。
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「オイ、イシザワ」
名を呼ばれ、イシザワは顔を上げた。
「兄貴から鳩が届いた。仕事だ」
「やっとか。長かった様な短かった様な」
そう言ってイシザワは腰を上げる。
「しかしよ兄弟、こんな事でどうにかなる物なのか?」
「姫様とヒムロのアニキが考えた事だ、俺達には解らない事があるんだろ」
イシザワの問いかけに、ハセガワは悟った様な表情で答える。
「そうだな。これでどんな波紋が起きるか解らねぇけど、俺らがやる事は変わらねぇからなぁ」
ハセガワの言葉を受け、イシザワは同意の返事を返した。
「じゃあ、俺は東を回る。兄弟は西を頼む」
「解った」
そう言葉を交わし、二人は宿を出たのであった。
ハセガワは、大路を東へと歩く。目的の場所は、先日トラ達が訪れた鍛冶屋街である。
「こんちゃーす! 時間良いですかねぇ」
屋内へ向けハセガワは大きな声で呼びかけた。
「なんじゃあ、何用じゃ」
出て来たのは、ドワーフの鍛冶師であった。
「剣の手入れを頼みたいんだけど……出来るかい?」
ハセガワの言葉に、ドワーフの鍛冶師は額をぺシャリと叩いた。
「見てやりてぇのは山々なんだがよぉ、今は領主様の注文が切迫していてなぁ」
ドワーフの鍛冶師は、遠まわしにハセガワの頼みを断った。
此処までは織り込み済み。ヒムロからの指示はこれからなのだ。
ハセガワは、ドワーフの鍛冶師越しに鍛冶場を覗き見る。中には踏鞴が並び、皆忙しそうに働いていた。
「いやー、豪勢な物ですねぇ」
「何がじゃ?」
ドワーフの鍛冶師は、胡散臭そうな目でハセガワを見つめた。
「火の量ですよ」
「火の量が何じゃと言うのだ?」
「今年は、カーディナルからの薪の輸入は無いそうですが……いや、大量に使っているなぁと思いまして」
ドワーフの鍛冶師は言葉を失った。そして、自身も言葉を失った事に驚いたのか、僅かの後ドワーフの鍛冶師はまくし立てる様にハセガワに詰め寄る。
「ほ、本当なのか! 本当に薪は入ってはこんのか!」
その声は大きく、大路に居た者も何事かと近寄って来た。
それも一人や二人では無い。十数人もの人が押し寄せて来たのだ。
そして、口々にマキの事を聞いて来た。「本当に薪は入って来ないのか?」「何処でその話を聞いたのか?」「何故薪は入ってこないのか?」言葉は様々であったが、皆言いたい事は同じであった。
何故? なのである。
ハセガワは嫌な素振りを一切見せず、事細かに説明して行く。
曰く、本当に薪は入っては来ない。
曰く、旅の途中で、カーディナルの商業ギルドの職員から聞いた。
曰く、バーゲンミット公国から、大量の受注があったため。
そして、“何故?”に対する答えとして、ベレン辺境伯がカーディナル卿の機嫌を損ねた為、と説明した。
当然の如く話題は、ベレン辺境伯がカーディナル卿の機嫌を損ねた理由に移って行く。
この事柄に対し、ハセガワは僅かに言葉を濁し
「皆様も、薄々解っているんじゃないですか?」
そう答えを返すのだった。
そしてこの翌日、ベレン領は大混乱に陥るのだった。




