初手
クレメンス・コーデが、朝商会に出社し自身の執務机に着いた瞬間、ノックの音が響いた。
「誰?」
呟く様に発せられた言葉に、男の声が返事を返す。
「エンデマン・コーネリアで御座います」
男の名はエンデマン・コーネリア。クレメンス所有の奴隷でありながら、クレメンスの片腕となって商会の運営を手伝っている男である。
「入りなさい」
クレメンスから入室の許可が下りる。
エンデマンはドアを開けクレメンスの前に立ち、うやうやしく腰を折る。
「クレメンス様宛に書簡が届いております」
そう言って封筒を一つ差し出した。
その封筒を受け取ったクレメンスは、若干眉をひそめた。
「どう言う事?」
「いかが致しましたか?」
クレメンスの言葉に、エンデマンは困惑した様に言葉を掛ける。
クレメンスは、何度も封筒の裏と表を見つめた。
「この書簡って、カーディナルの商業ギルドからよね」
「はい」
そう、表には、カーディナル商業ギルドから、クレメンスへと書いてある。しかし、裏の封蝋は百合の紋章。シャルロットの意匠が押されているのだ。
「面倒事である事は、間違いなさそうね」
クレメンスは意を決して封を切った。
文字を読み進める内、クレメンスの顔から表情が消えていった。
それが有々と解ったエンデマンは、硬く唾を飲み込んだ。
数日一緒に居て解った事だが、クレメンスは他の人間が居る時は、絶えず笑顔なのである。何か問題が起こった場合でも、どこか楽しそうに見える様に振る舞っていたのだ。
そのクレメンスが、奴隷とは言え、他の人間、自分が居る状況で表情を消すなど余程の事が書簡には書かれていると軽く予想出来た。
クレメンスは、その冷たい表情のまま顔を上げる。
「エンデマン。ここ数週間の、ケルミナス王国近辺を回る行商人に出荷した荷物の一覧を出して」
まくし立てる様なクレメンスの言葉に、エンデマンは一瞬たじろぐが、すぐに持ち直し頭を下げる。
「畏まりました」
時間にして三十分。エンデマンは再び、クレメンスの執務室のドアをくぐる。
「持ってまいりました」
言葉と共に、執務机の上に十枚程の羊皮紙が置かれた。
クレメンスは、エンデマンにその場で待つよう指示を出すと、一枚ずつ羊皮紙に書かれた文字と数字を追って行く。塩、麦、綿………………様々な商品が並ぶ。
そして見つけた。鍬、鋤、釘などの鉄製の品物が、多く流れて行っている事実を。
クレメンスは椅子に深く腰掛けると、考えを巡らせる。
「エンデマン。ケルミナス王国が、建築に湧いているって話聞いたことある?」
「いいえ」
エンデマンは、言葉と共に首を横にふった。
この行動を見て、クレメンスは自身のこめかみに嫌な汗が流れるのを感じた。
建築ラッシュに沸いている訳でも無いのに、大量に注文される釘。鍬や鋤など、簡単に壊れる訳も無い。修理も考えずに買い替えるとも思えない。ならば、出て来る答えは何か? 鋳潰しである。
では、鋳潰す理由は? それは決まっている。鉄などの金属が欲しいからだ。
ならば、鉄鉱石などの原材料を仕入れれば良いのではないか? 推測ではあるが、早急に金属がほしいのだろう。
ならば、根源的な疑問として、何故彼らは金属を欲するのであろうか? それも隠す様に。
ここまでの考察で良い方向に考える事は無理であろう。考えるうる内で一番最悪な結果は、内乱の準備。
「クソッ!」
クレメンスは吐き捨てる様に言葉を放つと、自身の爪を強く噛むのだった。
「エンデマン! シャーリィに……カーディナル子爵に書簡を送るわ! あなたは、商品の数を書き出して!」
「畏まりました」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いよう、姫様。来たぜー」
乱暴でありながら、どこか呑気な挨拶と共にタムラが領主邸に顔を出した。
「いようじゃないわよ。バカじゃないの」
そんなタムラを一喝するシャルロット。
タムラは、不思議そうにその言葉を受け取った。
そんなタムラの表情を見て、シャルロットは溜息を一つ。
「マチダから話はきいてる?」
「おお、聞いた聞いた」
タムラはソファーに座りながら呑気に呟いた。そして、一呼吸置くと
「それでなんだけどよぉ。俺の部下だけじゃあ、不味いんじゃねえかって話になってよぉ」
昨夜の話を口にした。
「誰がそんな事を?」
シャルロットは、脳裏に浮かんだ疑問を素直に口にする。
「オヤジとレイジだ」
問題点を指摘した人物の名を聞き、シャルロットは落ち着きを取り戻す。
この二人ならば、納得出来る理由があるはずだ、と。
「それで?」
シャルロットは話の先を促す。
「おお。それでな、ヤマト出身の俺達が、ぞろぞろ行くのはどうかって話がレイジから出てよぉ」
シャルロットはタムラの言葉を受け、もっともだ、と今さらながらに気付く。
タムラ達、ヤマトの人間は、大陸の西側では非常に目立つ。特に、黒い髪が。
「でな、俺の部下一人と、新しく隊に入った奴らを派遣したらどうかって話になった訳だ」
新しく隊に入った奴ら? シャルロットの眉は、八の字を描く。
「ほれ、元ストリートチルドレンだった奴らだよ」
タムラの言葉に、シャルロットはポム、と手を叩いた。
そう言えば、そう言う話があった、と。
「あいつらなら目立たないだろうからってな」
「それが良いわね。で? 指揮は?」
「俺の部下が取る。オイ!」
タムラはドアに向けて呼びかけた。
「「失礼します!」」
声と共に三人の男達が入室して来た。
一人は三十歳くらいの黒髪の男。
残りの二人は茶色っぽい髪の十代中頃の少年。
「オイ。挨拶しろ」
タムラの声に、黒髪の男はいち早く腰を折り、残りの二人も僅かに遅れて追従する。
「トラザキ言います。宜しゅう御願します!」
「フェルナンドと言います!」
「ラルフです!」
「ええ。よろしくね」
男達の名乗りに、シャルロットは右手を挙げて返礼した。
御互いの挨拶も終り、シャルロットは話を核心へと進める事にした。
「それで、アンタ達にやってもらいたい事なんだけど――」
シャルロットの言葉に、場は沈黙で答える。
一体何をやらせようと言うのだろうか?
「まず、今日中に鍛冶場街まで行ってくれる? そんで、そこに居るダジルっておっちゃんから、荷物を受け取って来てほしいのよ。場所は、クマちゃんが知っているから」
そんなシャルロットの言葉に、意を唱える者がいた。そう、タムラである。
「姫様よぉ、コイツらに一体何をさせようとしているんだ? コイツら馬鹿だから、言ってやらなきゃ解んねえぞ」
そう言われて、シャルロットは改めて三人の顔を見た。
フェルナンドとラルフ。賢そうな顔をしている。
そして、視線はトラザキへ。短く刈り込んだ頭髪。伸ばされた口髭。少し垂れ目気味な黒い瞳。
顔立ちは悪くは無いかもしれない。しかし、表情を見るに……シャルロットは確信する。バカそうだ、と。
「じゃあ、これから説明するから、良く聞いてなさいよ、トラ。」
名前を出されたトラザキ、トラは困惑した。
何故、自分だけ名指しなのだろう、と。
「あのー……」
「黙って聞いてろ! 姫様が話してんだろうが!」
問いかけようとしたトラを、タムラがたしなめた。
タムラ達無頼の世界では、上の者が絶対である。だからこそ、舎弟であるトラは、タムラには逆らえなかった。
肩をすくめるトラを余所目に、シャルロットは話の続きを展開する。
「おっちゃんの所にね、周りの鍛冶師さんのお弟子さんが打った剣を集めてもらったのよ、三十本くらい。それを持って、ケルミナス王国の北側にある鍛冶屋を回るのがアンタ達のお仕事」
「「?」」
皆の頭に疑問符が浮かぶ。
鍛冶屋を回って、それが一体何になると言うのだろうか?
各人の表情を見、それが解ったシャルロットは、補足する様にさらに話を続ける。
「あのねぇ、戦争が起きるとして、どうしても隠せない事象って何だと思う?」
シャルロットは、皆にそう問いかけた。
だが、この問いに答える事が出来た者は一人も居なかった。タムラなど、露骨に目をそらした程だ。
この光景を見て、シャルロットは溜息を突きながら答えを口にする。
「鍛冶屋さんでの、武器の調整と製造、でしょ」
この言葉に、全員の手が打ち鳴らされた。
それを見て、呆れ顔のシャルロット。
「そいで、わしらが旅人を装って、鍛冶屋を調べる訳ですね!」
トラがやる気満々の表情で口を開く。
シャルロットは、それを頷く事で受け止めると
「がんばりなさいよ」
激励の言葉を掛けるのであった。