商人と奴隷
旧ロックフェル伯爵邸の応接室に、三つの影があった。
一つはローザンメルド・ロックフェル元伯爵。
一つはロックフェル伯爵の妻でシルキーのヘンリエッタ。
そして最後の影は、コルデマン商会の商会長であるクレメンス・コーデである。
「本日は御目通り頂き感謝致します」
クレメンスは貴族の様に流麗な挨拶を口にした。
その光景を見て、ロックフェル元伯爵は意地の悪い笑みを浮かべる
「そなたはひとかたの商人と聞いておったが、儂の勘違いじゃった様だな」
嫌味とも取れる言葉で、ロックフェル元伯爵はクレメンスに話しかけた。
クレメンスは、この言葉に眉をひそめる。
それも当然の事だろう。ロックフェル元伯爵の言葉は、初対面の人間に掛ける言葉では無いからだ。
「それはどう言う意味で御座いましょうか?」
クレメンスは言葉少なく問い掛ける。
だが、ロックフェル元伯爵の表情は変わらない。
どこか見下す様な、どこか蔑む様な、そして値踏みする様な表情であった。
「私が至らない事は、私自身が承知しています」
どこか自嘲するようにクレメンスは言葉を紡ぐ。
その言葉に、ロックフェル元伯爵は笑みをこぼした。
「解らぬ娘じゃなぁ。お主が尻尾を振らねばならぬ者は儂では無い、と言っておるのだ」
ロックフェル元伯爵の言葉に、クレメンスの思考には疑問符しか浮かばない。
それが解っているのだろう、ロックフェル元伯爵は問いかけた。
「娘。儂は誰じゃ? 今、お主の前におる儂は誰じゃ?」
禅問答の様な問いかけであった。
クレメンスの前、自分の目の前に居るのはロックフェル元伯爵だ。それは間違い無いだろう。
だが、ロックフェル元伯爵の言いたい事はそうでは無い事が解る。
クレメンスは思い悩む。その思考は、迷宮と言ってもいい程の意識の本流に翻弄されていた。
「解らぬ様じゃな」
「はい」
ロックフェル元伯爵の問いかけに、クレメンスは素直に反応した。
「お主の前に居る者は、弟子にこき使われておる只の老人じゃ」
「!」
ロックフェル老の発言に、クレメンスは衝撃を受けた。
目の前の人物は、恥じる事無く元伯爵では無く只の老人だと言い切ったのだ。
だから堅苦しい挨拶は不要だ、と。
「お主が共に歩む相手はシャル坊だと言う事を忘れるな」
「肝に命じます」
化かし合いの様な挨拶は、クレメンスが一方的に敗北する事で幕を下ろした。
本番はこれからである。
「さて、本日は何用で来館されたのかな?」
「はい。ある犯罪奴隷を買い付けようと思いまして」
クレメンスの言葉に、ロックフェル老の眉が跳ねた。
「ほう。受注でも入ったか?」
「いえ。私の手元に置くためです」
ロックフェル老の口元がニヤリと弧を描く。
クレメンスが求める人物が誰なのか解った様である。
「ほう。彼の者の手綱を握るか。しかし、出来るのかのう?」
ロックフェル老の意地の悪い問いかけに、クレメンスは表情を引き締めると
「出来なければ、あの娘を二度と友とは呼べませんから」
キッパリと言い切るのであった。
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元ロックフェル領、伯爵直轄都市ロックフェル。
現在はカーディナル領 地方都市ロックフェル。
その中心街から外れた墓地などが置かれている地区にそれはあった。
犯罪人流刑所。
名の通り犯罪者が留め置かれている場所である。
建物は二つの地区に分かれており、一つは裁判前の犯罪者が留め置かれている場所。もう一つは、裁判後奴隷として売られて行く者達の収監所である。
クレメンスはその一つ、裁判後の者達が収監されている建物の門を叩いた。
「クレメンス・コーデよ」
クレメンスの名乗りに、門兵は名簿と照らし合わせる。
「聞いております。お通りを」
言葉と共に、重苦しい扉が開かれた。
クレメンスは目的の場所へと進む。
そのクレメンスだが、本日は一味違う。
あの露出過多であった服装では無いのだ。
今のクレメンスの身体で、露出している部位は首から上だけなのである。乗馬服に酷似したスーツに身を包み、足元は編上げのブーツ。手先には革の手袋。その全てが黒一色であった。
そして、その黒で統一された衣装が、クレメンスの燃える様な赤い髪を一際目立たせていた。
妖艶に。鮮烈に。苛烈に。
クレメンスは一つの部屋の前まで辿り着くと、そのドアをノックした。
そのノックに呼応し、ドアが開かれる。
中には一人の兵士がおり、着席を促すと一礼して反対側のドアから出て行った。囚人を連れて来ると言い残して。
クレメンスは暇に明かせて室内へと視線を巡らせる。何も無い、本当に何も無い部屋であった。
室内にある物は、机が一つ、椅子が二脚、そして天井から吊るされたランプが一つ。その全てが固定されていた。理由は勿論、武器として使われない為である。
ほどなくして兵士が戻って来た。
一人の男を連れて。
男は疲れ果てた様な表情をしていた。着ている衣類もどこかみすぼらしく見える。
男の名はエンデマン・コーネリアと言った。
エンデマンは、椅子に腰掛けるなり鋭い目つきでクレメンスを睨みつける。
その目にははっきりとした意志が込められており、端的に言えば“何をしに来た”であろう。
クレメンスにとって、敵意、悪意ある視線は慣れている。どの犯罪奴隷も皆こうした目をしているのだから。
だからこそ冷静に、冷徹に、エンデマンの前に一枚の証書を滑らせる。
「カーディナル子爵から、正式に許可が下りました。あなたは私の所有物となりました」
クレメンスは冷たく、只事実のみを告げる。
「わ、私は、どこに売られるんだ?」
エンデマンは自身のこれからを問いかける。
クレメンスは表情を変えず
「何処にも。あなたは私が個人的に買い付けました」
再び事実のみを口にした。
エンデマンは混乱の中に居た。
目の前の女は奴隷商で間違いは無いだろう。しかし、何故自分を買い取ったのかが解らない。
男娼、と言う言葉も一瞬脳裏に浮かんだが、目の前の女の美貌ならば引く手数多なのは間違い無い。
「私に何をさせるのだ?」
「主人は私です。言葉に気を付けなさい」
エンデマンの物言いに、クレメンスは注意の言葉を投げかける。
その一言で、自分は奴隷に落とされたのだとエンデマンは自覚した。
「私は、何をすれば良いのですか?」
やや丁寧な言葉遣いで、エンデマンは再度問いかけた。
「仕入れの助言。販路の統制。商会員への指示。決済書類の確認。決定権を除けば、今まであなたがして来た事と同様の仕事です」
エンデマンは頭を撃ち抜かれた様な気分になった。
目の前の女、クレメンスは、奴隷と言う立場で商会の長として働けと言っているのだ。
「こ、断った場合、どうなるのですか?」
「どうもなら無いわ。あなたは奴隷として私に買われた。その意味を知りなさい」
一切の慈悲を感じさせない言葉であった。
自分のこれからを嘆き、エンデマンは頭を垂れる。
「ですが条件が無い訳でもありません」
クレメンスのこの言葉に、エンデマンの瞳に僅かにだが力が戻る。
「まずは五年、奴隷として力の限り働きなさい」
「……五年」
エンデマンの言葉に、クレメンスは一度頷く事で返事とする。
「そして、次の五年。あなたに、僅かにですが権限を与えます。その与えられた権限の中で得られた利益、その利益であなたの値段、五百万スイールを私に返済しなさい」
「返済したら、どうなるのですか?」
クレメンスの説明が進む度、エンデマンに力が戻って行く。
「返済が終了したならば、私の持つ販路の中から、あなたが望む場所の店を任せます。無論、奴隷契約も解除します。どうしますか?」
クレメンスは問いかける。
全てはエンデマンしだいなのだと。
エンデマンは静かに目をつむり、考えを巡らせる。
そして、再び目を開くと
「やらせて頂きます」
力強く約束の言葉を口にした。




