来領
「おわらない―。おわらないー。いつまでたっても紙のやまー♪」
カーディナル領の領主邸では、何時もと同じようにシャルロットがうんざりした顔で書類と戯れていた。馬鹿な歌が口から出てしまうほどに。
ぐだぐだと文句を言いつつ仕事はきっちりとこなす。それがシャルロット。領主様。
そんな日常の中、執務室のドアがノックされる。
「どーぞー」
シャルロットの入室の許可に応え、ドアを開けたのはイレーネであった。
「失礼します」
そう言ってイレーネはティーワゴンを押しながら執務室へと足を踏み入れる。
シャルロットの机の前まで来たイレーネは、流石と言う流れで紅茶を淹れて行く。暖かな湯気が上るティーカップはシャルロットの前に。
シャルロットは短く息を吐き、ティーカップを手に取った。
「そう言えば姫様」
「なに?」
「学び舎件宿舎の建築、八割方終わったそうです」
「早いわね!」
シャルロットは驚きを表す。
領主館に続く坂。その中腹に学び舎件宿舎は立てられている。基礎を含め開始されたのは、一月程前なのだ。驚かない方が不自然だ。
「ええ。カーディナルの、いえ、元々のカーディナルで建築を行っていた方々。マンティコア隊のメンバー。それに元ストリートチルドレンの子供達。人手はたくさんおりますから」
「……なるほど」
シャルロットは納得したと頷いた。部材を大量生産出来れば、そりゃ早いわ、と。
「なら、近々あの子達は移住できそうね」
「はい。後は細々とした物だけだそうですから」
「りょうかい。ほかには?」
「クレメンスが来領するそうです」
イレーネの言葉に、シャルロットは首を傾げるが、すぐに両手をパチンと合わせた。そう言えばガード候補を頼んでいたな、と。
「ずいぶんかかったわね」
仕事の早いクレメンスにしては、候補を絞るのに時間随分時間をかけた物だとシャルロットは心の中で思う。候補が多数いて、絞るのに時間がかかったか? はたまた候補が居なかったのか? もしかして何か面倒事が……? ふと不吉な思考に捕らわれたシャルロットは、いやいやと首を左右に振った。幾ら何でも、そうそう面倒事など起きやしないと願いを込めて。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
恒例の書類整理に追われるシャルロット。本日もまたノックの音で顔を上げる。
「はいはーい」
間抜けな返事で入室の許可を出すシャルロット。ドアを開けたのは、ヴァネッサである。
「姫様、クレメンスが到着しましたが、如何致しましょうか?」
「応接室に……晩餐室の方がいいわね。晩餐室に通してちょうだい。今の書類が終わったら、私も行くから」
「畏まりました。クレメンスにもそう伝えておきます」
そう言うと、ヴァネッサは一礼して退出して行った。
暫しの時間を置き、シャルロットは晩餐室のドアに手を掛ける。ドアを開放し、室内へと視線を向けると見知った顔が幾つか見る事が出来た。
赤毛で、何時もの様に露出過多な衣装に身を包んだ奴隷商クレメンス・コーデ。
いかつい顔に、小奇麗な服を着た男。確かクレメンスの商会で働いている男だったと記憶している。
それ以外に、クレメンスから少し離れた所で姿勢良く直立する騎士。王国騎士団のナンバー2と言っても良い人物、ハミルトン・セーレンハイズ。
そして、見知らぬダーク・エルフ。
「いらっしゃい。ようこそカーディナルへ」
シャルロットは、椅子に座ると微笑みながら歓迎の意を告げた。
ダーク・エルフの事は気になるが、まずは何故王国騎士が此処に居るかと言う確認だ。
「クレメンスが来ることは聞いていたけど、ハミルトン、何故あなたが此処に?」
「はっ! 国王様から姫様に親書を預かって来ております!」
直立姿勢のまま啓礼し、自身の任務をハミルトンは口にする。
「親書ぉ?」
「はっ! こちらになります!」
そう言ってハミルトンは封蠟の押された手紙を差し出した。シャルロットは訝しげに裏、表、と親書を眺めるが、意を決して封蠟を破り、中の手紙に目を通す。
「……なるほど」
親書の内容で、大まかな事態は理解出来た。細かな事情は、クレメンスから聞け、との事。
「クレメンス。細かい事を教えて貰えるかしら」
ハミルトンを着席させると、シャルロットはそう切り出した。
「そうね。まずは自己紹介からかしら? こちらは、このカーディナルの領主、シャルロット・デュ・カーディナル男爵よ。」
そう言って隣に座るダーク・エルフに視線を向ける。その視線が何を意味するのか即座に理解したダーク・エルフは、視線をシャルロットへと向け口を開く。
「私の名は、クロムウェルと言う」
「そう、クロムでいいかしら?」
「構わない」
シャルロットの愛称呼びの可否に、クロムは了承の言葉を返す。
「それで」
御互いの名乗りが終わった所で、シャルロットは話の先を促した。
「私の部族は、この国の最南端あたりに村を築いていたんだ」
「最南端? そう言うとヴィルヘイム公爵領あたりかしら?」
「そうだ、そう呼ばれる地であったはずだ」
王国の最南端、そこには国境の意味で森が残されている。恐らく、クロムの部族はその森林の中に集落を築いていたのだろう。
「ある日、……アイツは突然現れたんだ」
「あいつ?」
「ワームだ。とてつもなくデカイワームが現れたんだ」
シャルロットは何も言葉を発せず、ただクロムの言葉に耳を傾ける。
「私達は必死で戦った。だが、アイツの身体は魔法を弾き、矢も意味をなさなかった。暴れ、私達を捕食するアイツに対して私達は何も出来なかった! 只、仲間が喰われるのを見ている事しか出来なかったんだ!」
クロムは拳をテーブルに叩き付けた。恐らく、話をする度に、その光景が脳裡に浮かぶのだろう。何度も何度も、話をする度に彼女は現場へと回帰するのだろう。
「生き残った者は?」
「居ない。部族総勢三百人、全てアイツに喰われた。残ったのは、私一人だけだ」
「そう」
シャルロットは冷静に情報の取捨選択をする。
通常ワームには魔法が利きにくい。それは、体中を覆う粘液で本体が保護されているからだ。
鈍器などの殴打は、そのぶよぶよの身体で衝撃が吸収されて、これも効果が薄い。
一番効果的な攻撃は、剣などでの斬撃や槍などでの刺殺。
そして、大量の弓矢による攻撃。
だが、クロムの言葉では、矢は効果が無かったと言っている。それは、大きさゆえ効果が薄かったのか? それとも体表が弾いたのか? 後者であった場合、少々不味い結果だ。
話を聞く限り、ヴィルヘイム領の騎士隊だけでどうにか出来る物では無い。王都から騎士団を呼び寄せ、総がかりで対処するしかない。それでも被害は少なく無いだろうが。
「ねえ、クロム」
「何でしょう?」
「先ほどあなたは、矢が意味をなさなかったと言ったわよね」
「ああ」
「それはどう言う意味化しら? ワームは矢を食らっても弱らなかったの? それとも……」
シャルロットは先程の疑問を口にした。
そして、じっとクロムの瞳を見つめる。
「弾いたんだ。まるで粘液が魔法障壁の特性を持っている様に」
やはりそっちだったか、とシャルロットは胸の中で毒づき舌打ちを漏らす。
話を聞く限り、完全体のレギオン・モンスターだと思われる。先日の失敗品のビホルダーを見て、技術の完成はまだ先だと思っていたが不味い展開かもしれない。
どうするべきか? シャルロットは口を噤み思考の海へと漕ぎ出した。
しかし、いくら考えてもそれは推測でしか無い。
真実を掴む方法は只一つ。そう、実地調査のみである。
「……行くしか、無いか」
シャルロットは小さな声でそう呟いた。




