隻眼の襲撃者
シャルロットの勝利で決闘は終り、それぞれが思い思いに身体と心を休ませていた。
シャルロット、アーデルハイドは芝生の上に萱で編んだ敷物を敷き、その上でまったりと座っている。
その僅かに離れた木陰には、ヴァネッサ、イレーネが、テターニアの介抱をしながら身を寄せていた。
そして、領主館玄関の階段には、ヒムロ、タムラが座り、遠巻きに女性陣に視線を向ける。
そんな中、ふと思い付いた様にタムラが口を開いた。
「それにしてもよぉ、姫様の体術、あれって何だ?」
シャルロット、アーデルハイド、ヴァネッサ、イレーネの四人は、誰が話すのか? とでも言う様に、顔を見合わせた。結果、整然と語る事が得意なヴァネッサが説明役として任命されたのだった。
「姫様や私達が使う体術は、王国騎士団の必須科目とも言える物です」
「あれがか?」
ヴァネッサの言葉に、タムラが首を傾げながら問いかける。
この問いにヴァネッサは一度頷くと話を再開した。
「騎士団に入るには、警邏隊、衛兵隊と経験を積まねばなりません。ここまでは良いですか?」
「おお」
タムラは言葉で、ヒムロは頷く事で理解を肯定し先を促す。
「その騎士団への最初の一歩、警邏隊所属中に習うのが先程の技術なのです」
そう言ってヴァネッサは言葉を締めるが、ヒムロ、タムラにとっては、どうにも雲を掴む様にもやもやとしたものだった。
「んん、まぁ、言いたい事は解るんだけどよぉ、何で騎士になるのに、さっきの技術がいるんだ?」
そう言ってタムラは首をかしげた。同様に首をかしげるヴァネッサだったが、何かに思い至ったのか両手をパチンと合わせる。
「警邏隊で習う技術だと言う事は、解っていただけましたよね?」
「おう」
「それでは質問です。あなた達の様な警邏隊の仕事は?」
「まあ、街の治安を守る事です」
「おう、そうだな」
ヴァネッサの問いに、ヒムロが答え、タムラもそれに同意する。この答えに満足したのか、ヴァネッサは静かに表情を緩め、話を先へと進める。
「そうです。街の治安を守る事です。では、相手にする者達は?」
「暴漢や、街へ侵入した野党ですかね」
次の問いかけも、ヒムロが代表して答えた。
「その通りです。警邏隊の相手は、暴漢や街へ侵入した野党です。では、どう言った対処が正しいのでしょうか?」
ヴァネッサから、さらなる質問が飛ぶ。
「はぁ? 対処? そんなもん、ぶん殴れば良いじゃねぇか」
「お、おい、リュウト」
タムラの短絡的な言葉に、ヒムロが注意を促した。だが、ヴァネッサの下した判断は意外な物であった。
「いいえ。タムラが正解です」
「「え!?」」
ヴァネッサの言葉が、よほど虚を突いた物だったのか、二人から驚きの声が上がった。
「何を驚いているのですか? 当然の事だと思いますが?」
「当然なんですか?」
余程不思議だったのか、ヒムロはオウム返しに言葉を繰り返した。
「ええ。警邏隊の活動場所は、街中なんですよ」
「ああ、そう言う事ですか」
ヒムロは、ヴァネッサが言わんとした事が理解出来た様だ。だが、一方のタムラは……
「はぁ? どう言う事だ?」
解ってはいない様だ。
「全く。街中には、カタギの方達がいるだろう」
ヒムロが呆れる様に言葉を紡ぐ。
そう言われ、やっと気付いたのか、タムラは表情を和らげた。
「ああ、その為にかぁ」
「ええ。周りに被害を出さずに制圧するには、一瞬で意識を奪うか、関節などを極めるに限りますから」
「でもよぉ、剣なんかじゃダメなのか?」
タムラの言い分も最もである。だが、ヴァネッサの言葉は逆を行っていた。
「ただでさえ興奮気味な連中を相手にするんですよ。こちらが完全武装して行ったら、余計に興奮して暴れ回りかねませんよ」
「…………そうだな」
ヴァネッサの正論に、タムラは納得するしか無かった。
「しかし、警邏隊の必修科目を、何故姫様が?」
ヒムロが新たな疑問をヴァネッサへと問いかける。だがこの問いに答えたのは、意外な人物であった。
「護身術ですよ。クリスタニアの王族は、外での公務も多いですから」
そう言ったのはアーデルハイド・ロッテンマイヤー。
だが、東方出身のヒムロとタムラにはピンと来ない話である。ヤマトでは、王族、つまり将軍家などは、ほとんどその姿を見る事は無い。それは、帝国なども同様である。それほどに広く民と触れ合って来たクリスタニア王家は、異常とも言えた。
「しかし、護身術と言いますが、姫様のは少し洗練され過ぎでは?」
ヒムロは素直に思ったままを口にした。
徒手空拳に関しては、ヒムロやタムラは素人である。素手での戦いなど、喧嘩程度しか経験が無い。
そのヒムロの目から見ても、シャルロットの動きは洗練され流れる様であった。
「そ、それわぁ……」
この問いかけに、ヴァネッサは困った様な苦笑いを浮かべた。そして、視線はゆっくりとアーデルハイドへと向かって行く。
「ロッテンマイヤーさんが何か?」
ヒムロの再びの問いかけに、ヴァネッサはやれやれと頬に手を当てながら口を開く。
「先生が訓練と称して、毎日毎日姫様の腕を極め、足を極め、意識を奪い続けた結果と言いますか、姫様本来の負けず嫌いが発動した結果と言いますか…………」
言葉を濁しながら口を開くヴァネッサだが、つまりは負け続けたのが悔しかったシャルロットが、必死で練習した結果、と言う事である。
ずっと殺気がひしめいていた領主館の中庭は、いつしかのどかな空気が漂い始める。誇りを掛けて戦いに臨んでいたテターニアの顔にも、僅かな笑みが漏れていた。そう、何時ものカーディナル領主館の様に。
だが、そんな空気は一瞬で覆される。
テターニアの種族特有の長い耳が、ピクンと僅かに跳ねた。そして、目つきも厳しい物へと変化する。
「娘、何か来るぞ」
「なにかって、なにが?」
テターニアの言葉に、呑気に返すシャルロット。
しかし、この緊張感の無い態度も、すぐに終了となる。
「姫様、上です!」
イレーネの言葉が飛んだ。
場の全員の視線が上空へと注がれる。
そして、そこにあったのは…………闇であった。穏やかな青空を、真円に切り取った様な闇。それがぽっかりと浮かんでいた。
「なに、あれ」
シャルロットがポツリと言葉を漏らした。
それに呼応する様に、闇はこちらへと膨らみ出す。ゆっくりと、ゆっくりと、闇は体積を増して行く。産まれ出でる様に、這い出る様に。
そして、数分を費やし闇は実態を現した。直径三メートル程の球体。その中心部で徐々に開かれて行く、巨大な瞳。
「アレを見てはいけません!」
突如ヴァネッサの声が上がった。
皆、その声に反応し視界を闇の球体から外す。
「オイ! 何だってんだよ!」
焦りからか、タムラが怒気を強めて声を上げる。
その言葉に憤る事無く、ヴァネッサは闇の球体の正体を口にした。
「ビホルダーです!」
ビホルダー。それは、ドラゴンと並び称されるモンスター。だが、ドラゴンが生物である一方、ビホルダーは魔法生物に分類される。ビホルダーの特徴として、その視線が挙げられ、ビホルダーの視線に捕らわれた魔法、マジックアイテムなどは、全てその力を失う。魔法の剣は只の剣となり、魔法の薬は水に変わる。それに加え、石化、即死もその視線には込められている。
「ビホルダー!? なんでそんな物が、こんな街中にいるのよ!」
「解りません! ですが!」
シャルロットの言葉に、ヴァネッサが即座に反応する。言葉自体は短かったが、ヴァネッサの言いたい事は理解出来た。そう、ですがに続く言葉が大事なのだ。ヴァネッサの言葉の全てはこうである「ですが、生き残る方が先です」と。それほどの敵が目の前に出現したのだ。
全員が焦りを顕にする中、唯一人だけ呑気な態度を取る者が存在した。ヴァネッサ同様、トレードマークである眼鏡に指を置き、上空を見上げる者が。
「アーデルハイド! あんた、なにしてんの!」
アーデルハイドの行動を目にしたシャルロットが、驚きの声を上げる。
だが、アーデルハイド本人は、どうと言う事は無いと涼しい表情。そして
「姫様、あれに危険性はほぼ無いですよ」
こんな爆弾をほおり投げて来た。
「「な!」」
全員の視線がアーデルハイドへと集中する。そして、その目に映るアーデルハイドの表情は、言葉とは裏腹に忌むべき者を見た様な表情であった。いや、実際にそうであった。
それは、アーデルハイドから発せられた言葉によって顕になる。
「何故、あんな醜い物がまだ存在するのですか」




