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アーデルハイドのカーディナル到着から五日、シャルロットは政務と関節を極められ続ける日常を送っていた。
そして、運命の日が訪れる。
「待たせたな小娘。今日と言う日を、どれだけ待ち焦がれたか」
余裕を感じさせる表情で、テターニアが先手を打った。
「そうなの? わたしは平和な二日と地獄の五日間を過ごしたわ」
のれんに腕押し。疲れ果てた表情で、シャルロットは言葉を返す。
何でも無い近況報告であったが、そこに食いつく者も居るのが事実。
「姫様? 地獄の五日間とは一体……」
イレーネが不思議そうに言葉を掛けた。
その言葉を耳にし、シャルロットは油の切れた歯車の様に、ゆっくりと視線をイレーネに向ける。
「なに、イレーネ。知りたいの? ねえ、知りたいの? ホントにし・り・た・い・の?」
大事な事だから三回言いました。とでも言う様に、シャルロットは言葉を繰り返す。
「いえ、あの……」
イレーネは何と答えたら良いのか解らず言い淀む。隣ではヴァネッサも同様の表情を浮かべていた。
心情的には知りたい。だが、彼女らの内にある何かが、知ってはいけないと警鐘を鳴らし続けている。
どちらかとも無く、喉がゴクリとなった。その瞬間
「あなた達は、大切な姫様をほおっておいて何をやっていたのですか?」
背後から少女の声が聞こえた。
ヴァネッサとイレーネは、声を聞いた瞬間背筋を伸ばす。
そしてシャルロット同様に、油の切れた歯車の様にゆっくりと背後へと視線を向けた。
当然そこには見知った顔が。
「ひぃっ!」
イレーネの口から、ひきつった声が漏れた。
「ひぃとは何ですか、ひぃとは! まるで、化け物を見た様な態度で!」
腕を組み、眉を吊り上げる声の主。
「まあ、化け物では無いですけど……人でも無いですね」
「失礼な!」
ヴァネッサの呟きに、抗議の声を上げる声の主。
「「申し訳ありません!」」
瞬間的に二人のメイドは頭を下げる。
声の主。その正体とは、二人が絶対に頭の上がらない人物。メイドの師匠にあたる、アーデルハイド・ロッテンマイヤーであった。
メイド達の態度に、呆れた様な表情を映すアーデルハイド。
「しかし……先生は何時からこちらに?」
表情を正し、今までの事を末梢しようと試みるヴァネッサ。
「そういえば、そうですね」
これに同調を示すイレーネ。
アーデルハイドの苦笑いは、僅かに強調された。相も変わらず調子の良い生徒、だと。だが、今さらそれを言っても始まらない。過去は改編出来ないからこそ過去なのだ。
それに、今はシャルロットが主人だ。彼女らへの罰は、シャルロットが下すべきなのだ。だから、自分が言う事は僅かなお説教程度で留まるべきなのだとアーデルハイドは結論付けた。そして、話を本題へと戻す。
「私が姫様と再開したのは、五日前になりますね」
「五日? それほど前に到着なされていたのに、何故私達と顔を合わせ無かったのですか?」
ヴァネッサが尤もな疑問を口にする。隣でイレーネも静かに頷いた。
この問いに、アーデルハイドは一つ咳払いをすると、理由を雄弁に語る。
「街に宿をとりました。姫様が治める街、ゆっくりと見て回ろうかと」
「ああ、それで」
納得の意を表すヴァネッサだったがアーデルハイドの答えは微妙に違う様だ。
「なのに、姫様の身の回りをお世話するメイドが二人とも不在! ですので、通いでメイド業務と姫様の修行の御相手を少々」
アーデルハイドの内に納まっていたイラつきが、再び顔を上げる。
それを感じ取ったのか、イレーネはゆっくりとヴァネッサから距離を取る。そして、身支度をするテターニアに近付くと小声で語りかけた。
「大変な御方が姫様サイドに付いた様です。決して油断無き様に」
「承知した」
言葉と共に、テターニアの視線は再びシャルロットを捉える。
その視界に映るシャルロットは、前回と同様に白いドレスの様な鎧をまとっていた。
テターニアも同様に、革のワンピース水着の様な鎧を身にまとう。
だがテターニアの装束には、一点だけ相違点があった。それは、得物である火砲槌を装備していないのだ。
その代わりに拳を包み込むのは、指先が出たオープン・フィンガー・グローブ。
この装備を見たシャルロットの顔が緩んだ。
「へぇ。武器は使わないんだぁ」
やや意地悪く言葉を掛ける。
その言葉に対し、テターニアは同様に頬を緩ませると
「殺し合いでは無いのだろう? ならば、同じ土俵で戦わねば、種族の誇りは守れん」
堂々と決意を口にした。
この会話を、場の全員が注視していた。
御小言を言っていたアーデルハイドですら。それほどに、表情と視線から伝わる力強さは別物であった。
テターニアとシャルロットは、どちらからとも無く距離を縮めて行く。
御互い掌が届く距離で停止した。
その瞬間
「始め!」
ヴァネッサの声が響いた。
シャルロットとテターニアは、同時にバックステップを決め、僅かに距離を取る。そして、同様に左半身を前に構えを取った。
ゆっくりと身体を横にずらしながらお互いの隙を窺う。どちらが先手を取るのか? 緊張の時間が流れる。
「ふっ!」
テターニアのローキックが放たれた。
むろんこれは牽制である。
それを肌で感じたシャルロットは、僅かに左足を上げガードする。
パシッ! パシッ! と軽い音を立てながら、何度かテターニアがローキックを打ち続けた。五度、六度、基本そのままにテターニアは牽制を続ける。
「テターニアさん!」
その時、背後からイレーネの声が響いた。
その声に反応し、テターニアの表情が僅かに険しくなる。そして、蹴りの軌道も僅かに変化した。
先程の蹴りは、シャルロットのくるぶしの僅かに上、十センチ程を狙った物だったが、今放たれた蹴りは、それよりも僅かに三十センチ程上を狙った物だ。この地味な軌道変化に、シャルロットの眉が歪んだ。
三十センチの軌道の上昇。つまりは、毎回四十センチ程のもも上げをシャルロットは強いられると言う事なのだ。
「くっ!」
徐々にだが太ももに疲労が溜まって行くシャルロット。
その隙を突くかの様に、シャルロットの眼前に黒い影が走った。
一瞬の間、その瞬間シャルロットはバックステップで距離を取る。
影の正体は、テターニアの放った左のジャブであった。
「なかなか小技を覚えたみたいね」
足のしびれを取る為に、軽くジャンプしながらシャルロットは冷静ながらもテターニアを挑発する。
「まあな。これでも必死で修練したからな」
誇らしげにテターニアは言い放つ。兆発には乗らない、と。
この言葉に、シャルロットは僅かに息を吐く。隙を突くのは難しそうだ、と。
ならば、シャルロットが取る手段は只一つ。真っ向からの勝負。
シャルロットは腰を落とし、一気にテターニアとの距離を詰める。そして滑り込む様に近づくと、その右手を前へと突き出した。
「グフッ!」
テターニアからくぐもった声が漏れる。
体重を乗せての掌打。単純に思える攻撃だった。
何故テターニアはこの攻撃を回避出来なかったのか? 理由は単純であった。それはスピードの差。
足技はイレーネが、打撃はヴァネッサがそれぞれ指導を受け持っていた。
だが、一つだけ見落としていた点があったのだ。
それは、シャルロットとヴァネッサは、真逆の性質を持っていると言う事だった。
一撃の威力では、ヴァネッサに軍配が上がるだろう。
では、スピードは? そう言う事であった。
掌打によって、前傾姿勢を取らされたテターニアの左側頭部をシャルロットは右足で打ち抜いた。
それだけでは無く、まるでダンスのステップでも踏む様に左右と何度も蹴り貫く。シャルロットの連檄によって、テターニアの意識は徐々に刈り取られて行く。意識を手放しそうになる。その瞬間
「「テターニアさん!」」
ヴァネッサとイレーネが激を飛ばす。
この言葉に反応するかの様に、テターニアの瞳に力が戻る。
シャルロットの右ハイキックを左前腕で受け止めると、テターニアはシャルロットの首筋目がけて右手を伸ばす。密着状態へと持ち込む算段だ。
どうにかマウントを取れれば、体重のある自分が有利なはず。その態勢を狙い、テターニアは押し込む様にシャルロットに体重を掛けた。
だが、一瞬でそれは悪夢に変わる。これさえも、シャルロットの誘いであったのだ。
シャルロットは突き出されたテターニアの右腕を抱え込むと、両足でその右腕と首筋を包み込む。そして、拘束する様にテターニアの左肩あたりで両足を交差させる。三角締め。相手の腕を利用しながら頸動脈を締め付ける技である。
この三角締めには、もう一つ利点があった。それは、上手く身体の位置を調節する事によって、捉えた腕の肘関節を決める事が出来るのだ。
シャルロットは腰を浮かせ足の締め付けを強くする。それと同時に、肘の関節を逆方向へと向ける。
テターニアの身体から、徐々に力が抜けて行く。シャルロットの技によって、脳へと向かう酸素が阻害されているのだ。いわゆる、落ちる、と言う現象へとテターニアは向っていた。
そんな霞の掛ったテターニアの耳に、遠くから何かが聞こえて来た。いや、実際にはすぐそばで掛けられた声なのだが、意識がもうろうとするテターニアには、距離感が解らなかった。
だが薄れゆく意識の中でも、その言葉に集中する。きっと大事な事を言っているのだと信じて。
「「――――さい! ――――さん」」
「「うご――なさい! テタ――さん」」
「「動きなさい! テターニアさん!」」
ハッキリと聞こえた呼びかけに、薄らいでいたテターニアの意識が一瞬覚醒する。
長くは持たない。テターニア自身そう判断を下す。
テターニアは、拘束されている自身の右腕に左腕を絡ませると、力一杯に持ち上げる。そして、勢いのままにシャルロットを地面に叩きつけた。その衝撃と痛みで、シャルロットは拘束を解かざるを得なかった。
ゆっくりと二人は立ち上がり視線を合わせる。
第二ラウンドの始まりだった。




