騎士団長
結局、シャルロットとイレーネは、城を出た時と同じ二人だけでの帰宅と相成った。
裏門から城内へと入り、使用人達が使うドアから城へと入る。ガチャリ、と言う立てつけの良い音を立てドアが開く。
シャルロットが足を踏み入れると、そこにはヴァネッサが立ち、礼を持って迎い入れる。
「おかえりなさいませ。姫様」
「ええ。出迎え御苦労さま」
右手を上げシャルロットは言葉を返す。
「二人で、と言う事は、良い娘はいませんでしたか」
「残念ながら。でも、発破をかけておいたから、近日中には何らかの知らせが来ると思うわ」
ヴァネッサの現状確認に、シャルロットは事のあらましを語って聞かせた。
そして、シャルロットの方からも。
「城の方はどう? 異常ない?」
確認の言葉が告げられる。
「はい。いつも通り何事も――」
何事も無く、と続けられるはずだったヴァネッサの言葉だが、それは喧騒によって妨げられる事になった。
「・-・・・様、お待ちください!」
「いけません、・-・・・様!」
部屋の外を誰かが騒ぎながら歩いて行ったらしい。
「何なの? えらく騒がしいわね」
「はい。一体何事でしょうか?」
三人の疑問を解く為には、僅かに、ほんの僅かに時を遡る必要がある。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
優しく大地を照らした太陽が山の向こうに落ちる頃、クリスタニア城に帰還する一団があった。
クリスタニア王国聖騎士団。
その騎士団長を隊長とした第一班と呼ばれる部隊である。
優雅に、気品に溢れ、また力強く馬が進む。
城門をくぐり、馬飼に愛馬を預けると騎士団専用の入口から城内へと足を踏み入れる。
扉を開けた先には広間があり、五十人以上が座れる長椅子と、それに対する長机が清廉と並べられていた。恐らく作戦の説明、及び連絡事項などを講義する場所なのだろう。
ただし、何時もの使用目的は休憩場所だが。
広間の奥まで歩くと、左右にドアが一対。
そのドアをくぐると、木製のロッカーが並ぶ部屋に出る。騎士たちの着替え場所兼シャワールームである。
ドアが二つあるのは、男性用、女性用と言う事だ。
騎士団長、クーデリカ・ビスケスは無論女性であり、当然女性用のドアをくぐる。
そして、自身のロッカーの前まで来ると、頭部を守っていた重い兜から自身の頭を解放する。
カチャ、と言う金属音を泣かせながら、太い三本の縦ロールに纏められた金色の髪が優雅に垂れ、まだ歳若く美麗な顔が姿を現した。
「ふぅ。思ったよりも疲れたな」
「はい。強行軍でありましたから。横、失礼します」
クーデリカの呟きに、副官の一人であるハミルトンが返事と共に鎧の留金を外す。
「ああ、すまない」
礼を言い、クーデリカは外した鎧を床に置く。そして、ガントレットを、グリーブを脱ぎ、チェインシャツを脱ぎ去る。
これでクーデリカの纏う衣類は、ショーツのみとなる。
そのショーツも、大量の汗を含み、僅かに透けながら肌にまとわり付いている。
それを嫌う様に、クーデリカはショーツを脱ぎ捨てた。
周りを見渡せば、他の団員も同様で、二十名を超える女性団員達は全員全裸であった。
その何も身に付けていない瑞々しい裸体を晒しながら長椅子に座り、鎧装備の裏側を手拭いで丁寧に拭いて行く。拭きおわると、僅かに油を垂らし塗り込んで行く。錆防止の何時もの習慣である。
そして、やっとの事でシャワータイムとなった。
シャワー下のハンドルを回すと、上の階に溜められた水槽から自重落下で流れ落ちる水が勢い良く自身に降りかかる。
乱暴に頭を洗い、少し太くなったと言う悩みのある指で全身の汗を優しく洗い流して行く。
首筋を、ハリのある乳房を、引き締まった腹部を、油の乗った豊かなお尻を、そして、ふとももを洗い流しシャワーのコックを閉じる。
バスタオルで水気を取ると、シルクで創られた下着を、シャツを身に纏う。
ズボンに足を通し、櫛で髪を整えると、本日の業務は終了となる。
「よし。仕事も終わった事だし、今日は姫様の御尊顔を仰いでから帰るとするか」
だらしなく顔をほころばせながら、クーデリカは一人呟いた。
しかし、そこで割って入った者がいた。
もう一人の副官であり、本日の補給、後方担当で演習に参加していなかったフランソワである。
「姫様? そう言えば隊長」
「何だ?」
何気ない返事であった。別にどうと言う事も無く、何時も様に。
「その姫様なのですが、廃嫡された様なのですが」
クーデリカの表情が、一瞬にして固まった。
そして、フランソワの胸倉を掴むと
「どう言う事だ! それは、真実なのか! 嘘であったなら!」
鬼気迫る表情で回答を迫る。
だが、フランソワも噂程度に聞いたに過ぎない。
素直にその事情を話し、フランソワはクーデリカから解放される。
フランソワを解放した手で剣を握り、大股でクーデリカはロッカールームを後にした。
ただならぬ空気を感じ、ハミルトン、フランソワの二人の副官は後を追った。
クーデリカは城の廊下を歩きながら、目に付く者に声をかけ、事の真偽を確認していく。
そして、シャルロットの廃嫡が真実であると確定する
瞬間クーデリカは剣を抜いた。
「何て馬鹿な王族なのだ! 姫様を廃嫡するなどあってはならぬ事! 姫様、待っていて下さい! 姫様の騎士、クーデリカ・ビスケスが、姫様に玉座を献上いたします!」
言うや否や国王の私室へと駆け出そうと一歩を踏み出した。
「クーデリカ様、お待ちください!」
「いけません、クーデリカ様!」
その行動を見透かした、二人の副官が同時にクーデリカの手を取る。
何とか、暴走を阻止出来た様である。
しかし、ヴァネッサ、イレーネ同様、姫様馬鹿は諦めない。
しっかりと床を踏みしめ、副官二人を引きずりながら少しずつ前進して行く。普段の眉目秀麗な表情は影を潜め、まさに鬼神、いや鬼子母神の様であった。
奥歯を噛み締め、ゆっくりと前進して行く姿に、誰もが恐怖した。
そして、この様な事をしていれば衛兵が集まって来るのは自然の理である。
騒ぎを聞き付けた衛兵は、クーデリカの姿を見た瞬間、ありったけの声で城内へと報告の声を上げた。
「クーデリカ様、御乱心! クーデリカ様、御乱心!」
その声を聞き、さらに数人の衛兵が昆を手に現れる。
そして、口々にクーデリカの名を叫ぶ。
だが、こんな騒ぎを続けていれば、衛兵どころかもっと偉い人が現れるのは誰にでも想像出来る事。
「何をしているのか!」
太く重い声が響いた。
全員の視線が声の主に集中する。
その正体は、バーングラス・ド・クリスタニア。この国の国王であった。
「む。クリスタニア王か! 此処で会ったが百年目、いざ、御覚悟!」
言葉と共に、クーデリカの血走った瞳が見開かれた。
それを見つめるバーングラス王は、溜息と共に頭を抱える。
やっぱりこうなったか、と。
「ビスケス。今回の乱心も、シャルロット絡みじゃな」
疲れた様に言葉を漏らす。
今回も、と言う嫌味混じりの言葉に、クーデリカは怒る訳でも無く胸を張り
「その通りだ!」
威風堂々と宣言するかの様に声を張る。
ただし、四肢は団員達に拘束されてはいるが。
バーングラス王は、このクーデリカの発言を忠義と取る事にした。そうでなければ、只の愛情から来る暴走だ。
クーデリカの姿に、バーングラス王は何度も溜息を吐く事で落ち着きを取り戻す。
「ビスケスよ。シャルロットの事で話がある。余の部屋まで来るがよい。皆の者、ご苦労であった。後の事は、余に任せるがよい」
そう言って右手を僅かに上げた。
これを持って場は解散となる。
しかし、解散したからと言ってクーデリカの愛が収まるはずは無い。
剣を片手に王へとにじり寄る。
その血走った目が、得物を中心に捉えた時、それは起こった。
正に神の天啓、いや、魔女の気まぐれか。
「クーデリカ! アンタ、何やってるの!」
鈴の鳴る様な声が、怒気をはらんで。
その声に反応し、クーデリカの身体が石の様に固まった。
そして、古びた歯車が回る様に、視線が後へと向かう。
「ひ、姫様?」
「そうよ! 姫様よ!」
そこには、愛しのシャルロットの姿があった。
愛しの君の登場に、クーデリカのやる気が一気に上昇する。彼女の中の、何十個ものヤル気スイッチが一斉にONを告げた。
「少し待っていて下さい、姫様! 今、貴方様に玉座を!」
「何言ってんの! この脳筋馬鹿!」
言葉と共に、シャルロットはクーデリカの油の乗ったお尻を蹴り上げた。
もう、勢い良く。全力全開で。
「ギャフッ!」
クーデリカの身体が、僅かに浮いた。
それほどの勢いだった。
「なーにが玉座よ! そんな物いらないわよ!」
「し、しかし姫様……」
シャルロットは、痛みのあまり蹲るクーデリカの後頭部を掴むと、床へと擦りつける。
「申し訳ありません、バーングラス王。何卒御許しを。この脳筋馬鹿には私が言って聞かせますので。どうか、この場は、このシャルロットに免じて、どうか」
シャルロットは、クーデリカの為に許しを乞う。
このまま行ったら、確実にクーデリカは反逆罪で打ち首だ。
この光景を見、バーングラス王は呆れた様な、微笑ましい物を見た様な、複雑な表情を浮かべた。
「まあ良い。二人とも顔を上げよ。今回の事は罪には問わん。ビスケスも、お前を思っての事だろうしな。シャルロットよ、お前も付いてまいれ」
そう言ってバーングラス王は背を向けた。